STEREO CLUB TOKYO

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クスノキとFILM

 写真はガラス乾板の時代を経て、取り扱いの簡単なロールフィルムに替わっていった。やわらかさと透明性を持った画期的な材料、それがセルロイドだった。セルロイドは石油製品ではない。天然の原料から作られている。ニトロセルロースと樟脳である。ニトロセルロースは綿花の芯を硝酸で処理して作る。また、樟脳はクスノキの精油成分から作られる。
 セルロイドの主原料としているニトロセルロースは良く燃える。砲弾を発射する発射薬の構成品としても使われるように、いったん火がつくと燃え広がる性質がある。昔の映画館やフィルム倉庫は、火事になると手に負えないほど延焼したという。そのため、写真のフィルムに使われるベースの素材は、セルロイドから難燃性の樹脂フィルムに置き換わっていったのだ。
 今ある写真フィルムに、セーフティフィルムとわざわざ但し書きを入れているのもその名残だ。セルロイドはフィルムに限らず、今ではあまり使われなくなった。きれいなセルロイド製の万年筆も、今では在庫の材料を使って作っているらしい。
 セルロイドのもう一つの原料である樟脳、これを採るために昔はクスノキがずいぶん植樹されたという。クスノキは自然林にはあまりなく、里山に人の手で植えられたものが多い。それが今では巨木になって残っていることもある。僕の住む町にも県の天然記念物になっている大きなクスノキがある。樹齢は数百年が経っていると思われるが、木の勢いは衰えることなく枝の隅々まで葉が茂っている。遠くから見ると小さな森のようにも見えるほどだ。
 石油が枯渇したら、プラスチックが世の中からなくなる。そうしたらプラモデルも作れない、と子供の頃に心配した。当然、写真フィルムも作れない。だけど、セルロイドを使えば石油がなくても大丈夫じゃないか。燃えにくくする工夫ができればいいのだ。そんな世の中になるのはまだもう少し先なのだろうか。せめて、今のうちにクスノキを大事にしておこう。

クスノキ.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年01月29日 10:00

くだもの之樹

 果物がなる木というのは好きである。色づいた実が枝にぶら下がっている様子を見るのは楽しい。特に好きなのはリンゴの木。果樹園では、収穫の手間を少なくするためか木の高さを低くしているところもある。今でも忘れられないのが、北海道の岩見沢辺りだったか、曲がりくねった道の両脇にリンゴ畑が広がる光景に出会ったときのこと。
 大して交通量もないところで、桂沢湖経由で富良野に向かう近道として通ったときだ。周りの景色が一瞬変わった。果樹園なのだろうが、柵がない。小さくまとめられた木が丘の斜面にまばらにあり、どれも大きな赤いリンゴがなっている。誰もいない、自分の車しかいない状況に、おとぎの国に迷い込んだ気分だ。ほんとうに、絵本に出てくるような風景だった。残念ながら、このときはステレオ写真をやっていなかった。普通の写真も撮ったであろうが、なぜか手元に残っていない。
 さて、南北に伸びる日本は、その土地ごとに果樹園も変わってくる。そんな風景を見て回るのも楽しいものだ。瀬戸内海近辺はなんと言ってもミカンの産地だ。斜面一面がオレンジ色の小玉で埋め尽くされる様子は美しい。ちょうどよい季節に訪れると、ここもまたおとぎの国のようだった。果樹園によっては観光農園としてミカン狩りをさせてくれるところもある。小高い丘に登り、遠くに瀬戸内の海を望みながらミカンを摘むのも楽しいものである。
 なるべく小さいものの方が味が良いといわれ、小ぶりでよく色づいているものを選んで摘む。その場で食べても良いので、木の根元にはミカンの皮がいっぱいに散らばっている。こんなふうに簡単に手でむけるオレンジというのは、日本のミカンにしかない特長らしい。味わいながら収穫用の袋に入れるが、あっという間にいっぱいになった。
 だんだんと日が暮れて、赤い夕日に照らされたミカンがいっそうオレンジ色に、キラキラと輝いていた。

みかん.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年01月26日 10:00

白色LED

 以前に、バックライト付ビュアーの色温度を上げる方法について書いた。あれは豆電球の色温度をフィルターを使って補正する、というものだったが光源自体を白色化できればより簡単になる。昔は高価だった白色LEDも、ずいぶんと安価になってあちこちに使われるのを見るようになった。消費電力も少なくて済む。では、これをビュアーに組み込んでみようというのは自然な流れだった。
 実際に組み込んでみると、いろいろと問題があることがわかった。一見明るく見えるLEDの光だが、指向性が強いため、画面の全部を明るく照らすには複数個のLEDが必要になる。もう一つはLEDの色調にばらつきがあること。もともと、白色LEDのベースとなっているのは青色LEDで、この光をモトに蛍光を発する物質を組み合わせて白色になるように構成されている。そのため、やや青みがかった光を発するものがどうしても出てくる。
 もう一つは、LEDといえども大きな電流を流しすぎると発熱する。このあたりの回路設計がどうにも苦手だ。僕は電気工作が苦手なのだ。あれこれやっているうち、LEDが劣化したのかどれも微妙に青っぽい光になってしまった。それでも、デルタステレオ用のビュアーに組み入れた。電池はリチウム電池を使い、もともと軽量なビュアーがさらに軽量になった。
 使ってみるとなかなかいいんだけど、やっぱり青みが気になる。これを補正するには、黄色のフィルターを使う。青と黄色を混ぜたら緑色になるじゃないか、というのは絵の具の場合。光の場合は違うのだ。
 というわけで、結局フィルター補正で白色にした。でもどうしても電気回路がこれで正しいのか気にかかる。いつかのコンデンサのように、いきなりバン!!ってなことにならないだろうか。心配なのであまり使っていない。

白色LED.jpg
▲豆電球の口金にLED4灯をセットした。

投稿者 sekiguchi : 2010年01月22日 10:00

圧板の修理

 ベルプラスカで撮影すると、必ずフィルムに横線が入ることに気がついた。乳剤面ではなくて裏面だから、圧板かどこかにキズの原因となるヤツが潜んでいるはずだ。漫画に出てくる虫歯菌のような、とんがった槍を持ったヤツが必ずいる。
 そう思ってカメラのあちこちを触ってみるんだが、どうにもよくわからない。キズはとても小さいので、人間の指先では感知できないような小さなヤツなんだろう。原因と考えられるのはやっぱり圧板だ。このカメラはオークションで購入したのだが、圧板の一部に塗装の剥がれがあった。当然、この部分は自分で丹念に補修したのだが。
 何回か塗装の補修をやり直したのだが直らない。仕方が無いので圧板を交換するしかない。しかし、オリジナルの圧板を外してしまうのは心苦しい。オリジナルに近い形で、もう一度修復する機会があるかもしれないのだ。できることなら、大きく手を加えないで修復したい。なんとかする手はないかなぁ。散々悩んだ。
 そこで選択したのが、オリジナルの圧板の上に、薄い新しい圧板を貼り付ける方法だ。新しい圧板はジャンクカメラから採取することにした。ちょうど2台で400円のコンパクトカメラがあったので、この圧板を取り外す。プラスチック素材なので、裏側を紙やすりで薄く削ってゆく。この作業は簡単そうで実は難しい。均一に削るには訓練がいる。僕は昔、金属の顕微鏡試料を研磨することばかりやっていたことがあって、その経験のおかげでうまく削ることができるのだ。
 新しい圧板をベルプラスカにセットできるようにカットする。切り口の角は丸く削り落として、ここは研磨で滑らかにする。プラスチック用のコンパウンドを使い、最後はCDのキズ修復用の研磨剤を使った。これをオリジナルの圧板の上に、両面テープで貼り付けた。この結果、キズは発生しなくなったのだが。・・・虫歯菌のようなヤツは、まだ両面テープにくっついている。

ベルプラスカ圧板.JPG

投稿者 sekiguchi : 2010年01月20日 10:00

氷でできた宝石

 寒い寒い冬がやってきた。大地が硬く凍っているかのように冷たい。秋にあれほどうるさく鳴いていた虫たちも姿を消し、卵の姿で冷たい大地の中でじっと冬が過ぎ去るのを待っている。空気は乾燥し、冷たい風がさびしく吹いている。こんな季節はマクロカメラを持ってフィールドに出ても被写体となる題材が乏しく、さびしい気分になる。
 だが、こういう季節だからこそ出会えるものもある。底冷えのするような朝は、放射冷却現象のため地面一面に霜が降りていることがある。この霜のできる過程というのは結構不思議な現象だ。乾燥した空気の中にも、ある程度の水が水蒸気、つまりは水が気体の形で空気に含まれている。地面が空気よりも先に氷点下に下がり、その時の空気の温度と含まれる水分量がある一定の条件を満たすと、水分が昇華して地面に氷として現れる。気体から直接固体になるという不思議な現象なのだ。
 ここで霜が付いた様子をルーペで拡大してみよう。小さな氷がキラキラと輝いているのが見える。小さな粒は、空気中の水分が結晶の形で固まったものなのだ。一度液体になって水から固まったものではないから、粒の一つ一つが単独の結晶なのだ。雪の結晶にも似ている。天然の水晶のように表面が角ばっているものもある。だからキラキラと光っている。
 この霜は、朝日が昇り、日光が当たるととたんに融けて消えてしまう。太陽がまだ低い位置にあるわずかな時間帯が撮影のチャンスだ。フィールドに出ると、葉牡丹にたくさんの氷の結晶ができている。拡大するととてもきれいだ。自分の息で氷が融けないように注意しながら撮影する。フィルムをマウントして、ビュアーで見ると氷の粒が光って見える。
 フィルムをスキャナーで取り込んだが、輝きがうまく再現できない。マクロモードのあるカメラなら、2度撮りでステレオになるから皆さんもチャレンジしてみるといい。くれぐれも温かい服装で風邪などひかないようご注意を。

葉牡丹の霜.jpg

霜.jpg
モニターだとキラキラが見え・・・ないですネ。すんません。

投稿者 sekiguchi : 2010年01月15日 10:00

なぜFILM?

 ステレオの話を書き続けて、ちょっと間が空いたりしながらもよく続くものだと自分でも感心する。まだまだ続けばよいなと思っている。そのうち、自分の子供の友達から「カメラおじさん」と呼ばれそうである。このコラムでは自分のことを「僕」と称しているが、実はいいおじさんの年齢である。カメラおじさんといえば「ちびまるこちゃん」に登場するたまちゃんのお父さんを思い出す。ライカ、ライカと熱を上げているお父さんである。どこか自分に似ていなくもないな、と思う。
 「ちびまるこちゃん」の原作者のさくらももこさんはエッセイの中で、ライカを作品に登場させたことで当時の販売代理店から感謝され、漆塗りのライカをプレゼントで貰ったと書かれている。今まで、ごく一部のヒトしか知らなかった外国製のカメラを世に知らしめた功績を讃え、ということである。漆塗りのライカ。なんともうらやましい。僕がせっせとリアリストのことを書いても、ホワイト社はすでに存在していないので漆塗りのリアリストを手に入れることはできそうにない。
 こんなことを書いていると、じゃあ自分で作ってみるか、漆塗り。などとろくなことを考えない、とも言えないので恐ろしい。でもいいだろうな、金蒔絵か象嵌、螺鈿なんぞをほどこしたリアリスト。
 でもまあ、誰に感謝されるのでなくてもいい。僕の話がフィルムでステレオを撮る人の何かの役に立ってくれればいいのだ。ステレオ写真というのはとても楽しい。ちょっと難しいところがあるかもしれないけど、それもまた楽しい。立体写真になじみのない人に見せてあげると、つまらない写真でも感動してくれる。撮ってあげてプレゼントすれば、なお喜ばれる。思い出がいつまでも残るし、特別な機械を使わなくても、いつでも思い出をよみがえらせてくれる。僕がフィルムにこだわるのは、もしかしたらこんなのも理由なのかな。と、書きながら思う。

花畑.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年01月11日 10:00 | コメント (3)

手乗り。

 鳩というのはまあ、何であんなに首を振りながら歩くんだろうか。前後に首を振って頭が痛くならないんだろうか。そんなことはどうでもいいんだが、神社仏閣、公園などなど鳩の集まる場所はあちこちにある。そういうところで眺める分にはいいんだが、駅のホームの天井とか、都会のビルの隙間とかを糞だらけにしてしまう困った奴らでもある。
 そういった鳩の害を防ぐため、とまって欲しくないところに針のような突起をつけたり、金網を張り巡らせたりと、人間の努力は並大抵のものではない。それでも、ほんのわずかな金網の隙間から入り込んだりする。タフな奴らだ。
 そういうわけで「ハトにエサをやらないでください」という張り紙もあったりするのだが、公園や神社では観光客に積極的にエサを売っていたりする。鳩もそれを知っていて、そういう場所にはよく集まってくる。おみやげ物屋の一角に、豆かなんかが入っている小さい紙の袋が50円で売っていたりする。こういう場所の周りによくいるのだ。
 今もあるか知らないが、靖国神社のエサ売り場はなんと自動販売機になっていた。ここには白い鳩たちがいたのだが、販売機の前に立つだけでエサをもらいにくる。まだお金を入れていないのに、いっせいに集まってくるのだ。頭のいい奴らである。
 そんな彼らは、雨の日で人が少ない日とか、休日で人が集まるときでも朝方とかは腹が減っている。誰かが豆を食っているとわかると、いっせいに遠くの方からでも飛んでくる。先に食った方が勝である、とばかりに群がってくる。こういうとき、手のひらにエサを載せておくと手乗り鳩になる。何羽も乗ったり、乗り切れなくて頭や肩に乗ったりもする。
 こんな状況で、右手にエサを乗せ、左手でシャッターを切る。近距離過ぎてステレオウインドウがうまく作れないけど、面白い写真が撮れた。。。鳩の足は結構汚れていたりするので、遊んだ後はしっかり手を洗ってください。

手乗り鳩.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年01月08日 10:00

富士山上空1万メートル

 羽田から西に向かう飛行機は富士山の上空を通過する。夜の便でなければ、富士山が見える側の窓側座席があるときは迷わず確保する。高度1万メートルから眺める富士山はとても美しいのだ。全体をほぼ真上から見ることができるし、富士山は大きいので高高度からも肉眼で立体的に見ることができる。まるで精巧にできたミニチュアのように見えるところも面白い。離陸時に天気が良くなくてもがっかりすることはない。飛行機は雲の上に出るし、富士山の頂上が雲から飛び出していることが多い。こういう時は富士山によって気流が複雑に変化し、雲がたなびく様子を見ることもできる。
 これをステレオ撮影してみることにした。電子機器ではないリアリストは、離着陸時を含めて飛行機の運航に一切影響を与えない。安心して使ってよい。気をつけるべきは、飛行機の窓に反射する自分の姿が写ってしまう。ちょっとカッコわるいけど、毛布を借りてこれを被って撮影するといい。しかし、肉眼で立体的に見えるとはいえステレオ写真ならもう一つ迫力が欲しい。飛行機の移動速度を利用したハイパーステレオに挑戦だ。これは時間を置いてなるべく同じ構図で2コマを撮るという方法だ。実際にやってみると、飛行機はマッハ0.8程度で飛んでいる。あっという間に構図が変わってしまう。すばやく巻き上げてシャッターをチャージし、2コマ目を撮影する。がんばっても4回撮影するぐらいが限界だった。
 さて、現像したフィルムから最適な視差が得られているペアを選択する。構図はなるべく合うように撮ったものの、正確には合わない。ハーフフレーム用の窓の小さなマウント台紙を使ってステレオウインドウがうまくできるように調整する。これがとても難しかった。視差が大きすぎるのである。もっとすばやくシャツターを切らねばならなかったか。。。でもまあ、何とかぎりぎり観賞できそうなものになった。改めて思うのは、富士山は大きい。そしてとても山登りはできそうにない。

富士山.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年01月04日 10:00