STEREO CLUB TOKYO

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変色

 今はもう中古のステレオカメラを買うこともなくなった。いろいろ手に入ったのでお腹いっぱい。くれると言われれば喜んで貰うかもしれないが、中古屋巡りをして新しいアイテムをわざわざ探すという行為はここ数年していない。熱が下がってきたのかとも思ったが、物欲が治まっただけでステレオ熱が冷めたわけではない。
 リアリストは同じモデルを2台も持っていたりで、改めて数えたら10台もあった。これだけあると順番に使うのも大変。気分で使い分けるのもいいけど、フィルムを使い切らないで別のカメラを使い出すと混乱が始まる。カメラになじんでくると、手に持った重さの感触でフィルムが入っているかが分かるという話を聞いたことがある。が、いくらなんでもそうはいかない。カメラを使うときはいつも、巻き戻しノブを回してみてフィルムが入っているかどうかを確かめることにしている。
 そんなある日、ノブを回してみるとカラのはずなのにフィルムが入っている。何だろう?思い出そうとしても思い出せない。とりあえず残りのコマを適当に撮影して現像に出してみる。仕上がりを見て驚いた。なんと、2年以上前のものだった。
 何かの用事で夏のシーズンも去った後の新島に行ったときのものだ。適当にスナップしたのだが、大して思い入れも無かったのでそのままにしておいたのだ。島から帰って棚の上に置いたまま、別のカメラに興味が移ってそのまんま。明るい場所に置いてあったからごくわずかな光漏れが蓄積されたのだろうか。そんな光線引きの生じたコマもある。
 露光したフィルムをあまりにも長時間放置しておくと、潜像がだんだんと薄れ、ついには何も写っていない状態になるのだが、このフィルムはそこまでいかなかった。だが、全体に赤みが強い変色を生じていた。それでも使えそうなコマをマウントし観賞してみると、撮影したときの記憶がよみがえってきた。記憶は変色しないから、この赤味はとても気に障る。

変色.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年07月30日 10:00

ヒマワリとミツバチ

 天気のよい日、ヒマワリの花にはミツバチがひっきりなしにやってくる。強い日差しがエネルギーになり、大きなヒマワリの葉で盛んに光合成が行われる。光合成で作られた糖の一部が花に集まり、ミツバチが集めに来るというわけだ。暑い暑い夏の盛り、ヒマワリの大きな花を見ると、舐めたら相当に甘いんじゃないかという妄想が広がる。
 ホントウに舐めたことはないけど、人間が舐めておいしいとはやっぱり思えない。花をよく観察すると、黄色い花粉がたくさんついている。舐めたら口の中が黄色くなりそうである。花粉の味ってきっとおいしくないに違いない。
 ミツバチを観察すると、この花粉が後ろ足に団子状になってついている。ミツバチが蜜を吸うたび、花粉が体毛に付き、他の花に受粉のための花粉を運んでいる。植物にとって子孫を残すための大切な役割をハチに任せているのだが、ハチは蜜を集めるだけではなく、花粉も利用している。体についた花粉を足の体毛を使い、後足に集める。集めた花粉は巣に持ち帰って幼虫のエサになるという。こんなものを食うとは。虫は味覚ってものを持っているんだろうか。
 さて、ホバリングをしているミツバチをステレオで撮ると、空中に浮かんだ姿が立体視できるのでオモシロイ。ホバリング中のミツバチを追いかけるのは大変なので、蜜を吸っているときにピントを合わせて待ち伏せする。飛び立った瞬間にシャッターを切る。こうするとミツバチの頭が花とは逆のほうを向く写真になるのではないかと思うが、必ず後ろ向きに飛び立つので常に花のほうを向いた写真になる。今から花の蜜を吸う姿勢に見えるが、実は吸った後なのだ。
 そういうわけなのでミツバチが飛びながらカメラのほうを向いた写真、というのは偶然でなければなかなか撮れない。いつも同じような写真しか撮れないので、なんか面白いやり方はないかなぁ、と思案している。

ヒマワリとミツバチ.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年07月27日 10:00

金魚ちょうちん祭り

 山口県といえば下関のふぐ、ふぐちょうちんのイメージだが、似たような形のちょうちんで金魚ちょうちんというのもあるというのを知った。なんともかわいらしいちょうちんである。いったいどこのものだろうと調べると、柳井市に古くから伝わるもので、8月には祭りがあるという。町中にこのちょうちんが飾られるという。
 そんな楽しそうな祭りなら、一度行って見なければならん。というわけで、ステレオカメラをお供に出かけた。柳井市の大通りには屋台が立ち並び、多くの人であふれかえっている。一方で古い町並みが残されており、ここに一歩踏み入れると子どものころに遊んだ路地裏の雰囲気がよみがえってくる。家々の軒先には金魚ちょうちんが並んでいて、大通りとは趣の異なる、昔の素朴な祭りの風景が広がっていた。
 撮影するのも忘れて散策していると、古くから構えているふうの商店があった。入ってみると醤油屋さんである。柳井市は甘露醤油という独特の醤油が名産であるとか。店の中は昔の雰囲気そのままで、あちこち見入ってしまう。天井には金魚ちょうちんが吊るしてある。店の方にお願いして、店内を撮らせてもらった。醤油を一瓶購入し店を出たが、ここは間違いなくこのカメラより古い歴史を持っている。醤油屋だけでなく、文具店とか理髪店、土産物屋でさえ旧家のままで、その造りを活かしながら使われている。
 夕刻になるにつれ、祭り客が増えてきた。金魚ちょうちんに明かりが灯り、祭りの雰囲気が盛り上がる。デジタル一眼レフと三脚を抱えたおじさん達の集団があちこちで目に付く。このところ、写真を趣味にしている人が増えているような気がする。だけどフィルムで撮影している人は誰もいない。ステレオで撮影している人も誰もいない。それが寂しいかというとそうでもない。時代がどのように流れようと、残るものは自然と残っていくような気がする。この街並みのように。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月23日 10:00

古代ハス

 ハスの花はどこか神秘的な雰囲気がある。仏様が座る台座にもハスの花がデザインされているからだろうか。大きく優雅で、触れてはいけないような雰囲気を漂わせる。この花、受粉すると種を作るのだが、ラッパのような形をした実が熟し始めると茎が大きく伸びてくる。中には大振りの種が並んでいて、美しい花に比べると奇妙な形をしている。
 この中の種、一般には「ハスの実」と呼ばれ食用になる。結構おいしいらしい。で、この種は他の植物の種に比べると皮が厚く、保存状態次第で長い期間にわたって発芽能力を維持することができる。ハスは底に泥が厚く堆積した水辺で繁殖するが、種がこの泥の中に埋まり、酸素から遮断した状態に置かれると、何百年も発芽能力を維持したまま生き残るらしい。
 そんなハスの種が地中から発掘され、発芽したのが昭和27年。世界的な話題になったという。その古代ハスが株分けされ、各地で花を咲かせているという話をだいぶ前に聞いたのを思い出した。どうせハスの花を観賞するなら古代ハスを観に行こうと決め、茨城県古河市にステレオカメラを持って早朝に出かけた。ハスの花は朝開き、午後には閉じてしまうからだ。
 到着すると大きな蓮池がある。これが全て一粒の種から生まれた子孫か、と驚くほどに繁茂している。朝も早いというのにもう観に来ている人がちらほら。失敗したのは脚立を持ってこなかった。奥のほうまで見渡すことができない。
 奥のほうの花を見るために池の中に入ってゆくわけにも行かない。撮影するだけなら長い棒の先にカメラを付けてみるか。でもどうやって付ける?シャッターはどうやって押すの??そんなどうにもならないことをあれこれ考えているとフラストレーションが蓄積する(笑)。そんなこっちの思いなど関係無しに、ハスの花は優雅に咲いていた。これが2000年間眠っていた種から生まれた子孫であるとは。生命というのはなんと不思議な存在であろうか。なむなむ。

古代ハス.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年07月20日 10:00

SLに乗ろう

 えすえる。スチーム・ロコモーティブ。蒸気機関車である。僕はもうおじさんの年代だが、子どもの頃にSLが走っていたわけじゃない。だけど、蒸気機関車を見るととても懐かしく思えてしまうのはなぜだろう。SLは電車とは違って、遠いどこかの知らない土地に連れて行ってくれる乗り物というイメージがある。思えば、貨物列車の最後部に車掌車が付いていたころ、あの車掌車に乗ったらやっぱりどこか知らない土地に行けるような気がして、一度でいいから乗ってみたいと思っていた。因みに車掌車というのは貨物列車の後部ブレーキの役目も持っていたらしく、ブレーキ制御が高度になった現代では車掌車は廃止されている。この車掌車というのも機関車同様に黒く塗装されていて、イメージが似ている。
 車掌車を見なくなってずいぶん経つが、SLは一部の区間で今も運転されている。観光のために復活したものだが、それでも嬉しいものである。夏の盛り、山口線に臨時列車として運行されているやまぐち号に家族そろって乗ることにした。事前に予約が必要とのことで、近所の「みどりの窓口」で手続をしておいた。特急扱い、全席指定である。実は動いているSLを見るのははじめてであった。動かないSLならその辺の公園なんかにも置いてあるが、遠くからヘッドライトを点け、煙を吐きながら近づいてくるのは迫力が違う。駅舎にゆっくりと近づいてくる。ああ、コイツはまさに生きているのだ。
 客車の中も昔のまま。冷房も効いていて快適だが、電車とは違うリズムが聞こえる。同じレールなのになぜだろう。なぜか気持ちが落ち着く。このまま、どこか遠くの土地まで行ってしまいそうである。さて、旅行のスケジュールの関係もあって終点の手前で下車する。やまぐち号とここでお別れだ。小さく見えなくなるまで見送ったが、実は終点まで行きたくなかったのだ。それは、もうここで終わりなんだと実感してしまうから。想像の中では、彼は知らない土地をいつまでも走っている。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月16日 10:00

ハンミョウを追え!

 昆虫図鑑をめくると、様々なきれいな虫達が登場する。蝶の羽がきれいなのは誰でも知っているが、甲虫の中にも美しいものがたくさんいる。メタリックな輝きを持ち、色とりどりに輝く甲虫。よく知られているのはタマムシだろう。緑の中に黄色や赤の線が輝いて美しい。少年のころカブトムシ採集をやったことがあるなら見たことがあるだろう。
 タマムシのように輝く美しい昆虫にハンミョウがいる。図鑑で見ると、赤と緑、青のような体色に白い斑紋があり、メタリックに輝く。あまりメジャーな虫ではないので見たことの無い人も多いだろう。夏場の砂地や林の近くの道端に普通に見つけることができるが、小さいし近づくと飛んで逃げる。この虫は「道教え」とも呼ばれていて、近づくと飛んで数メートル先に着地する。また近づくと飛んで着地。これを繰り返す。
 この逃げ回る虫をマクロステレオで撮影することにしたが、これが大変だった。近づくとすぐに逃げる。数メートル先に着地するからそーっと近づく。フォーカスを合わせているうちに視界から消える。また追いかける。これの繰り返し。蝶やトンボなら危険を感じるとさっさと遠くに飛んでいってしまう。それなら諦めもつくが、ハンミョウは何回も数メートル先に着地して待っている。何回も何回も。虫ってヤツは疲れないんだろうかと思うほど繰り返す。こっちもバテて来る。
 追いかけて追いかけて、しまいには遠くに飛んでいってしまうこともあるが、しばらくすると戻ってくる。こんなことを繰り返すうち、ヤツも疲れてきたのかおとなしくなってきた。残念なのは、正面から撮ろうとすると逃げてしまうので斜め横からのショットが精一杯だった。それでもこの一時の相棒の、美しい体色を捉えることができた。今度はもうちょっとこっちも体力を付けて、正面からのショットに再挑戦したい。ハンミョウの大きな牙とそのユーモラスな顔を撮るのだ。

ハンミョウL.jpg ハンミョウR.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年07月13日 10:00

かえるちゃん

 最近はあちこちの自治体が休耕田などを利用して向日葵畑を作り、市民の憩いの場として公開しているような場所が増えた。インターネットというのは便利なもので、どこにそういう場所があるかといったマイナーな情報もすぐに知ることができる。そういうわけで、だいぶ昔になるが埼玉県のある町で作った大きな向日葵畑に行ってみた。
 この頃はマクロステレオカメラの自作がうまく行き、あちこちの花畑にいっては撮影を繰り返していたのだ。ここで栽培していたのはちょうど大人の背の高さぐらいで、手のひらより一回りほど大きな花を咲かせていた。
 はて、向日葵というのはもっと大きくなるんじゃなかったっけ?確かに昔の向日葵は大きかった。それは子供の頃に見たから大きく見えたということではないらしい。どうも向日葵にもいろいろ品種があり、小さな花瓶にも映えるようなごく小さなものから、花の直径が30cmを超え、高さが軽く2mを超えるものもあるようだ。こういうのになると・・・マンモスフラワーか?
 まあそれはさておき、この向日葵畑の花たちはヒマワリらしいヒマワリというか、花の形もよく、撮影するにもちょうどいい高さで咲いている。向日葵の蜜は相当に甘いのだろう。たくさんのミツバチが集まってきている。これをマクロで撮影していると、花の中に緑の見慣れないものが・・・まさか。僕は芋虫が大嫌いなのだ。・・・何かと思えばアマガエルだった。
 何でこんなところにと思ったが、たまたま居たのではなく、こういうことはよくあるようなのだ。もちろん、僕がファンタジーな写真を撮るという目的で、かえるちゃんを無理やり、作為的に花の中に押し込めたというのではない。良く調べたわけではないが、花に集まる昆虫を目当てにこんなところに隠れていたようなのだ。アマガエルの主食は昆虫なのだ。
 アマガエルが鳴くと雨が降るとか、ねっとりとした感じの皮膚には実は毒があるとか、そんな話を思い出しながら撮影。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月09日 10:00

なんだこれは

 デジタルカメラの天敵はホコリだそうである。レンズ交換のたびに撮像素子に降り注ぐ、塵やホコリがとてもいけないんだそうだ。で、ユーザーで掃除をすることができない厄介なものだという。意外だね。そんなこと常識じゃないかと言われるかもしれないが、僕は機械カメラしか使わないからデジタルのことはほとんど知らないのだ。それにしても、デジカメではホコリがそれほど厄介だとは本当に思いもしなかった。フィルムの場合は常に新しい面が出てくるからホコリの影響はまずない。
 そんな風にのんきに構えていたら、マウント作業のときに画像に異常があることがわかった。右画面の左下に、おかしな影が映っている。蜘蛛のような変な形。撮影のときにレンズの前にゴミでもあったんだろう、と思っていたが、多くのコマで同じように写っている。別の日に撮影した、別のリールのフィルムでも同じように写っている。
 これはカメラ内部に何かあるとひらめいた。画面の左下ということは、カメラ内部では上下さかさまの映像になっているから・・・おそらく右上の角に何かある!もしかしたら蜘蛛が巣を作っているのかもしれない。さて、どのカメラで撮ったのか。記憶をたどると、今まさにフィルムが入っているリアリストだった。途中までの撮影枚数をメモして、ゆっくりフィルムを巻き戻す。フィルムをはずして、まさにこの位置という場所を恐る恐る覗き込む。
 なんと、そこにあったのは蜘蛛ではなく、毛玉だった。たぶんフィルムをセットするときに、袖口に当たったかして毛玉がくっついたんだろう。それにしても、フィルムを変えた時にも気がつかなかったとは。
 フィルムをセットするときには確認をしなければならない。当たり前のことに気がついた。幸い、毛玉は簡単に取り除くことができた。蜘蛛が巣を作っていなくて、ホントウによかった。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月06日 10:00

花火を見よう

 打ち上げ花火は、星と呼ばれる火薬玉の集合体を、球状にまとめたものを打ち上げる。だから上空では球状に展開しているのだ。遠くにあるので平面的に見えるが、巨大な球の形に広がっている。これを確かめるには巨人の視点で眺めるとよくわかる。2台のカメラを使ってステレオベースを数mのレベルで広げた撮影がこれを実現してくれる。巨人の視点で見た、大きく広がった花火を縮小化して立体視するというものだ。ハイパーステレオと呼ばれている。
 僕はこのようなハイパーステレオ撮影をやったことがない。やり方はわかるのだけど、実際に大勢の花火見学客がいる中で2台のカメラをセッティングする体力がない(笑)。ステレオクラブの例会で、メンバーが撮ったステレオ花火を鑑賞させてもらったが、実にすばらしい。色とりどりの光跡が球状に展開しているのが手に取るようにわかる。
 見せてもらうとやりたくなるのだが、いまだに実現できていない。僕にとって花火観賞は、ビールを右手、イカ焼きを左手に持つのが常である。これではとても2台のカメラをセットして、構図と同期を見計らって撮るという余裕がない(笑)。それでもイカ焼きを食べた後の左手には余裕ができるので、リアリストのシャッターを押すぐらいはできる。
 そういうわけで、ハイパーステレオにはならないけど花火の写真をちょっとだけ撮影した。面白い仕上がりにするため、花火見物客を入れて立体的にしてみた。広島の宮島水中花火大会では、海面で展開する花火が迫力満点だ。これならシルエットがうまく出る。みんな三脚を立てて撮影しているが、僕はスローシャッターにしてあえて手持ち撮影だ。おでこホールドなら1/2secまでブレない自信がある。少々酔ってはいるが、呼吸を整えて花火が展開するタイミングにあわせてシャッターを押す。機械式のカメラはレスポンスがいい。

宮島花火.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年07月02日 10:00