STEREO CLUB TOKYO

日比谷公園探訪

 名前の通り、東京の日比谷にある公園。こう書いちゃうと普通の公園みたいな感じになっちゃうのだが、歴史のある公園なのだ。東京、銀座、有楽町といった日本でも地価の高い場所にありながら、けっこう広い面積を持っているというのも驚きだ。その大きさは東京ドームの3.5個分ある。長方形の敷地の中はいくつかに区切られている。
 ここに行くと花壇と噴水があって、集まる鳩にえさをやる人、昼休みにお弁当を広げているOL、そんなテレビドラマでよくある風景が見られる。少し歩くと木々が茂り、野良猫達がたくさん群れていたりする。池が3カ所あるが、この中には勝手に放流された生き物がたくさんいるらしい。巨大魚が棲んでいると話題にもなったが、外から見る限り特に変わったものが見えるわけじゃない。その他に、隅のベンチでは疲れきった企業戦士の昼寝を観察することもできる。
 そんな風景をリアリストで撮るのもどうかなあ、というわけで、僕はカメラを持ってわざわざ公園へ撮影に出かけるということはなかった。行っても被写体としてはあんまり面白くない。どうもこういう風景は自分にはなじまない。ベンチに座っていても気が休まらないのだ。都会の公園って、なんか自分にはあっていないのかな、なんて感じたりする。
 そんな日比谷公園だが、夕刻になると周囲の雰囲気が変わる。別に公園の中が怪しい感じになるという意味じゃないよ。夕刻になってから公園に行く趣味などないのだ。この公園、周りを大きなビルが囲んでいる。たくさんの窓には人々が働く明かりが灯っている。公園の外から眺めると、夕闇に沈む公園とビルの明かりのコントラストが美しい。
 こういう風景は好きである。公園でベンチに座っているよりよっぽど心が和む。そんなわけで、この風景をステレオで残すことにした。リアリストを使っての2度撮り。ステレオベースを1mほどにした、若干のハイパーステレオである。

日比谷公園.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年02月26日 10:00

あっ!ネジがない!

 前に「旅カメラ」のタイトルで、海外旅行で故障が起きてもあわてなかったという話を書いた。まあ、あわてなかったんだけどちょっとビビった(笑)。それは、アフリカに皆既日食を見に行ったときだった。メインの皆既日食を見る前に、あちこち観光に寄る。サファリとか、ビクトリアの滝を見たりとか。移動はおもに小さなバスだったのでよく揺れる。この揺れがいけなかったんだろうか。気がつくとフォーカスノブの無限遠位置にあるマイナスネジがなくなっている。
 このネジがなくなってしまうと、フォーカスノブが際限なく回ってしまう。普通は1回転しかしないようになっているのにどこまでも回るではないか。いじっているうち、何回転したのかわからなくなってしまった。まずい!
 メインの皆既日食を見る前に、フォーカスができなくなってしまった。これは大変だ!・・・まてよ、よく考えたら、フィルムレールとレンジファインダーは常に同期しているから、レンジファインダーを信用すればいいのだ。落ち着いてカメラの構造を思い出せばなんでもないことだった。とりあえず、その辺の木の枝を折ってネジ穴に差し込んでおく。
 このままでもいいんだが、さすがに木の枝じゃかっこ悪い。小さなネジがないか探してみると、サングラスの蝶つがいのネジが合うかもしれない。と思って早速取り付けてみると合うではないか。帰国するまでカメラにはこのネジで代用してもらおう。サングラスの蝶つがいには、細い針金を探してきてこれで留めた。はてさて、どっちがかっこ悪いんだか。
 ネジは振動に弱い。繰り返し振動を与えるとだんだん緩んでくるのだ。かつてアポロが月に行ったとき、日本製の双眼鏡が載せられた。打ち上げのときの強烈な振動でネジが緩まないよう、技術者は相当な苦心と工夫をしたそうである。機械の主要要素と言われてきたネジだが、現代のカメラではコストを下げるという目的でその数を減らしているという。

ネジがない.JPG

投稿者 sekiguchi : 2010年02月23日 15:41

サファリ・サファリ

 日本国内でもサファリパークは何箇所かある。自家用車もしくはパークのバスに乗って庭園内をめぐり、間近で動物たちを見るというものである。そして入り口で必ず注意されるのが、決して窓を開けないでくださいというもの。こちらとしても車の中にトラが侵入してきては大いに困る。言われなくても閉めるが、改めて言われると妙に緊張する。
 そんなサファリパークもアフリカでは全く別のものになる。場所はボツワナのチョベ国立公園。ジープのような完全に外界とオープンになった車に乗り、運転手兼ガイドの案内で柵も何もないサバンナを疾走するのだ。ガイドは万が一のためにライフル銃を携帯している。無線で仲間からどこにどんな動物がいるか連絡が入ると、そこに向けて車を飛ばすのだ。
 我々が出発したのはまだ日が昇る前の早朝。空気が乾燥していて、なおかつやや寒い。まずは湿地帯の近くに行く。車のスピードが落ち、ゆっくりと窺うようにして水辺の近くに行くと、朝焼けに光る水面に黒い影が群れる。カバの群だ。鳥たちがカバの体の上にとまっている。太陽が昇り始め、鳥たちがいっせいに飛び立つと、我々も次のスポットに移動だ。
 太陽が上りきっていない、まだ薄暗い藪の中に大きな影が見える。なんと、象の親子だ。子連れの象を刺激しては危険ではないかと緊張が走る。だが、何事もないように草を食み、ゆっくりと奥のほうへ歩いてゆく。
 自然の動物が相手なので必ず会えるとは限らない。そこに棲んでいる動物にしか会えない。だが、ホロの無い車から象やライオンと対峙するというのはスリルを超えて感動がある。そして地平線が見渡せる丘に出たとき、アフリカの、この大地の、とてつもない大きさが身体に伝わってくる。サバンナの黄色く色づいた草原を3頭のインパラが走り去る。美しい光景だった。
 帰国して日常の生活に戻ったが、いつかまたあの地を訪れたいと願う。人類の故郷の地がDNAに呼びかけているのだ。

サファリ1.jpg

サファリ2.jpg
藪の中にライオンを発見!
(撮影記(1)のカテゴリー、はじめの方の「続・旅カメラ」上段写真もあわせてご覧下さい)

投稿者 sekiguchi : 2010年02月19日 10:00

ザンベジ川観光

 前回紹介したビクトリアフォールズのもととなっているのがザンベジ川だ。雨季と乾季で水量が大きく変わるらしいが、雨季の雨水を大量に抱えた川面は茶色に濁っている。この川には観光船があり、これに乗り込んだ。
 両岸には大きな木々が生い茂り、どこまでも同じ景色が広がっている。広大な川面は濁りながらもゆったりと流れている。のんびりとした景色だが、下流ではあの大きな大地の裂け目が口をあけて待ち構えているに違いない。この大河、水面をじっと見つめると、どんな怪魚が潜んでいても不思議ではないという思いが涌いてくる。事前に調べると、この川にはデンキナマズが生息しているらしい。本当かどうか現地のガイドに片言の英語で尋ねると、確かにデンキナマズがいるらしい。
 南半球のこの地では太陽は北にあり、その光跡は左下に向かって落ちてゆく。時刻は夕刻を迎えたが、まだ太陽はぎらぎらと輝いている。船が減速すると、そこはカバの群がいる場所だった。あちこちの水面に大きな塊が浮かんだかと思うと、カバの息継ぎで水しぶきが上がり、観客の歓声が湧き上がる。すかさずリアリストのシャッターを切る。
 こういった広大な自然を撮影するには広角レンズがちょうどいい。僕は同じモデルのリアリストを2台持ってゆき、片方には広角レンズアタッチメントのレデュフォーカスを装着した。ノーマルの画角と使い分けるのにアタッチメントをいちいち取り外すのも面倒なのでこうしている。2台あるとフィルム交換の頻度も軽減する。だがこのスタイル、結構目立つ。
 ぎらぎらとした太陽は、オレンジ色に輝きながら水平線のかなたに消えてゆこうとしている。最後まで強い光を放ちながら沈んでゆく。これがアフリカの太陽なのだ。水面に輝くオレンジ色の光の道が大きく広がってゆく。両岸がシルエットに沈むこの景色を広角で撮影する。空は深みを増した藍色に変り、まもなく南天の星たちが夜空を飾ることだろう。

ザンベジ川.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年02月16日 10:00

ビクトリアという名の大滝

 アフリカツアーの見所の一つとして、ザンビア・ジンバブエ国境にあるビクトリアフォールズを訪れた。大きな大きな滝である。世界3大瀑布の一つに数えられるが、この滝のスケールはホントウに大きい。大河が大地の裂け目に落ち込んでいる、そんな言葉のほうがイメージに合致する。季節は乾季に入っていたが、雨季に降った大量の雨水で川の水量が増していた。
 遠くからも巨大な水煙が見えるほどで、見学にはビジターセンターで受付をし、ビニール製の簡易レインコートを受け取る。びしょ濡れになるのだろうということが容易に想像できる。草木が生い茂る小道を進むと突然目の前が開け、地鳴りのような水の落ちる音とともに巨大な滝が現れる。水しぶきで大きな虹がかかる。すばらしい景色が広がる。
 この滝を発見し、西欧諸国に知らしめたのが19世紀の宣教師であり探検家のデイビィッド・リビングストンだ。彼の像が滝を見下ろすかのように建てられている。後で気がついたのだが、ビューマスターのリールC-3100番は、まだこの辺りがローデシアと呼ばれていた頃のビクトリアフォールズの3D写真で、僕が見たリビングストンの像がすでに収められている。ビューマスターの滝はずいぶんと水量が減ったときのもので、実際に見た滝の迫力とは程遠い。
 この滝は幅が1km以上あり、対岸に遊歩道が整備されている。歩きながら滝の全貌を見て回ることができる。先ほどまでレインコートなどいらないではないかと思っていたが、場所によってはしぶきが雨のように降り注いでいる場所がある。空は快晴なのに、水煙で霧の中にいるようだ。カメラが濡れないように気を使っていたが、足元はずぶ濡れになってしまった。
 滝幅の端まで歩き、自然が作り出した奇跡の造形を十分堪能した。なぜか気持ちも晴れ晴れ。はて、これはマイナスイオン(?)の効果だろうか。そんなイオンが本当にあるか知らないが、いつの間にか足元が乾燥した空気ですっかり乾いていた。

ビクトリア大瀑布.jpg
(「続・旅カメラ」の中段写真もあわせてご覧下さい)

投稿者 sekiguchi : 2010年02月12日 10:00

くだもの之樹

 果物がなる木というのは好きである。色づいた実が枝にぶら下がっている様子を見るのは楽しい。特に好きなのはリンゴの木。果樹園では、収穫の手間を少なくするためか木の高さを低くしているところもある。今でも忘れられないのが、北海道の岩見沢辺りだったか、曲がりくねった道の両脇にリンゴ畑が広がる光景に出会ったときのこと。
 大して交通量もないところで、桂沢湖経由で富良野に向かう近道として通ったときだ。周りの景色が一瞬変わった。果樹園なのだろうが、柵がない。小さくまとめられた木が丘の斜面にまばらにあり、どれも大きな赤いリンゴがなっている。誰もいない、自分の車しかいない状況に、おとぎの国に迷い込んだ気分だ。ほんとうに、絵本に出てくるような風景だった。残念ながら、このときはステレオ写真をやっていなかった。普通の写真も撮ったであろうが、なぜか手元に残っていない。
 さて、南北に伸びる日本は、その土地ごとに果樹園も変わってくる。そんな風景を見て回るのも楽しいものだ。瀬戸内海近辺はなんと言ってもミカンの産地だ。斜面一面がオレンジ色の小玉で埋め尽くされる様子は美しい。ちょうどよい季節に訪れると、ここもまたおとぎの国のようだった。果樹園によっては観光農園としてミカン狩りをさせてくれるところもある。小高い丘に登り、遠くに瀬戸内の海を望みながらミカンを摘むのも楽しいものである。
 なるべく小さいものの方が味が良いといわれ、小ぶりでよく色づいているものを選んで摘む。その場で食べても良いので、木の根元にはミカンの皮がいっぱいに散らばっている。こんなふうに簡単に手でむけるオレンジというのは、日本のミカンにしかない特長らしい。味わいながら収穫用の袋に入れるが、あっという間にいっぱいになった。
 だんだんと日が暮れて、赤い夕日に照らされたミカンがいっそうオレンジ色に、キラキラと輝いていた。

みかん.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年01月26日 10:00

手乗り。

 鳩というのはまあ、何であんなに首を振りながら歩くんだろうか。前後に首を振って頭が痛くならないんだろうか。そんなことはどうでもいいんだが、神社仏閣、公園などなど鳩の集まる場所はあちこちにある。そういうところで眺める分にはいいんだが、駅のホームの天井とか、都会のビルの隙間とかを糞だらけにしてしまう困った奴らでもある。
 そういった鳩の害を防ぐため、とまって欲しくないところに針のような突起をつけたり、金網を張り巡らせたりと、人間の努力は並大抵のものではない。それでも、ほんのわずかな金網の隙間から入り込んだりする。タフな奴らだ。
 そういうわけで「ハトにエサをやらないでください」という張り紙もあったりするのだが、公園や神社では観光客に積極的にエサを売っていたりする。鳩もそれを知っていて、そういう場所にはよく集まってくる。おみやげ物屋の一角に、豆かなんかが入っている小さい紙の袋が50円で売っていたりする。こういう場所の周りによくいるのだ。
 今もあるか知らないが、靖国神社のエサ売り場はなんと自動販売機になっていた。ここには白い鳩たちがいたのだが、販売機の前に立つだけでエサをもらいにくる。まだお金を入れていないのに、いっせいに集まってくるのだ。頭のいい奴らである。
 そんな彼らは、雨の日で人が少ない日とか、休日で人が集まるときでも朝方とかは腹が減っている。誰かが豆を食っているとわかると、いっせいに遠くの方からでも飛んでくる。先に食った方が勝である、とばかりに群がってくる。こういうとき、手のひらにエサを載せておくと手乗り鳩になる。何羽も乗ったり、乗り切れなくて頭や肩に乗ったりもする。
 こんな状況で、右手にエサを乗せ、左手でシャッターを切る。近距離過ぎてステレオウインドウがうまく作れないけど、面白い写真が撮れた。。。鳩の足は結構汚れていたりするので、遊んだ後はしっかり手を洗ってください。

手乗り鳩.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年01月08日 10:00

富士山上空1万メートル

 羽田から西に向かう飛行機は富士山の上空を通過する。夜の便でなければ、富士山が見える側の窓側座席があるときは迷わず確保する。高度1万メートルから眺める富士山はとても美しいのだ。全体をほぼ真上から見ることができるし、富士山は大きいので高高度からも肉眼で立体的に見ることができる。まるで精巧にできたミニチュアのように見えるところも面白い。離陸時に天気が良くなくてもがっかりすることはない。飛行機は雲の上に出るし、富士山の頂上が雲から飛び出していることが多い。こういう時は富士山によって気流が複雑に変化し、雲がたなびく様子を見ることもできる。
 これをステレオ撮影してみることにした。電子機器ではないリアリストは、離着陸時を含めて飛行機の運航に一切影響を与えない。安心して使ってよい。気をつけるべきは、飛行機の窓に反射する自分の姿が写ってしまう。ちょっとカッコわるいけど、毛布を借りてこれを被って撮影するといい。しかし、肉眼で立体的に見えるとはいえステレオ写真ならもう一つ迫力が欲しい。飛行機の移動速度を利用したハイパーステレオに挑戦だ。これは時間を置いてなるべく同じ構図で2コマを撮るという方法だ。実際にやってみると、飛行機はマッハ0.8程度で飛んでいる。あっという間に構図が変わってしまう。すばやく巻き上げてシャッターをチャージし、2コマ目を撮影する。がんばっても4回撮影するぐらいが限界だった。
 さて、現像したフィルムから最適な視差が得られているペアを選択する。構図はなるべく合うように撮ったものの、正確には合わない。ハーフフレーム用の窓の小さなマウント台紙を使ってステレオウインドウがうまくできるように調整する。これがとても難しかった。視差が大きすぎるのである。もっとすばやくシャツターを切らねばならなかったか。。。でもまあ、何とかぎりぎり観賞できそうなものになった。改めて思うのは、富士山は大きい。そしてとても山登りはできそうにない。

富士山.jpg

投稿者 sekiguchi : 2010年01月04日 10:00

クリスマスツリー

 もうそろそろ今年も終わり。夜の長い季節がやってきた。街にはイルミネーションがあふれている。クリスマスツリーがいっぱい。キラキラ・キラキラ・きれいだね。夜空の星たちがいっせいに集まったような輝きだ。
 さて、この風景をステレオで撮影してみましょう。撮影は日が暮れてから。ステレオリアリストにISO100のフィルムを入れます。高感度のフィルムじゃなくても大丈夫。小さくてもいいから、かならず三脚を使います。
 三脚にリアリストをセットして、ケーブルレリーズを付けましょう。シャッタースピードを1secにセットして、レンズの絞りは開放にしましょう。状況によって絞りをもう少し絞ったり、シャッターを1/2secにする、バルブにして露出を長くするなどしてみましょう。段階的に露出を変えて撮っておくのも良いでしょう。
 スローシャッターが充実しているカメラを使うのがポイントです。ストロボは使わずに、ツリーの明かりだけで撮ってみましょう。もしケーブルレリーズがなかったら、リアリストならこんな方法でも撮れます。
 まず絞りをF8とか絞り気味にして、シャッターは「T」にします。帽子でレンズの前を隠してシャッターを開けます。帽子をどかして5秒ほど露出をしたら、また帽子でレンズを隠します。もう一回シャッターを押して閉じる。カメラが動かないように、風で被写体がブレないように気をつければいいんです。慣れれば簡単だよ。
 さて、年が変わると僕のリアリストも一つ年齢を重ねる。手にした頃は50年前のカメラだったけど、そろそろ60年前のカメラということになる。このカメラたちと出会えていろいろと楽しみが増えた。ほんの小さなきっかけだったけど、これはもしかしてサンタクロースの贈り物だったのかも。あなたのところにもサンタクロースが訪れますように。

クリスマスツリー.jpg

投稿者 sekiguchi : 2009年12月22日 10:00

星を撮る

 カメラってすごいなあ、と思った子どもの頃の記憶を辿ると、図鑑で見た天体写真だったことを思い出した。目では見えない、望遠鏡を使っても目ではぼんやりとしか見えない天体が、カメラを使って長時間の露出をすることで鮮明に記録することができる。目ではあまり感じない領域の波長を記録することもできる。目では見えないものがカメラを使えば捉えることができる。これはとてもすごいことだと感じた。僕もカメラが欲しいと思ったきっかけだ。天体写真を撮りたい。そのための長時間露出のできるカメラが欲しい。オートマチックのカメラじゃダメなんだ。
 そんなことで、初めて手にした一眼レフは夜空に向けられた。明るい標準レンズを付けて三脚に固定し、5分ほどシャッターを開けておくと、星が日周運動で移動してゆくので円弧状の線になって写る。こういった撮影方法を固定撮影という。驚くのは、目では見えないような暗い星まで線になって写っている。もっと驚いたのは、カラーで撮るとどの星も個別の色を持っているのがわかる。さすがに緑や紫は無いが、青白から白、黄色、橙色、赤とあり、その中間の色も記録されていて美しい。日周運動に合わせてモーター駆動し星を点に写す装置もあるが、星の色を捕らえるなら固定撮影のほうがいい。
 レンズがちょっと暗いけど、ステレオリアリストで撮影したらどうだろう。わざわざ遠くにある星をステレオで撮っても立体に見えるわけじゃない。林の向こうに輝く星をステレオで撮ったら面白いだろうとやってみた。場所はアフリカ、ボツワナにあるサファリの中のホテル。ホテルの外に出ると野生動物の餌食になりかねないので、ホテルの庭で撮影だ。白熱灯が灯っているので林が照らされている。出来上がりを見ると、サバンナで焚き火をしながら夜空を望むような雰囲気で仕上がったではないか。デジタルに変換すると細かな星が見えなくなってしまうのが残念。

南十字星L.jpg 南十字星R.jpg
右下に南十字星が見える

投稿者 sekiguchi : 2009年12月18日 10:00

海底GO!GO!GO!

 水中カメラというのは憧れの存在だった。海中というのは宇宙と同じぐらい神秘の世界である。そんな世界に機械を持ってゆくというのはどんなに難しいことか。水圧と浸水、塩水による錆の問題など、カメラにとって克服しなければならないハードルがいくつもある。カリプソとか、ニコノスとか、水中ハウジングを使わなくても海中に潜ることのできるカメラの登場は最先端技術の結晶でもあったのだ。ニコノスは登場当初に、共産圏への輸出規制がかけられていたこともあるのだ。
 さて、カメラがデジタル化したことで水中撮影の環境は激変したらしい。とっても簡単に撮影できるようになってきたのだ。水中専用に設計されたカメラではなくても、マリンハウジングを使うことで撮影が可能だ。分厚いアクリルのケースに水圧に耐えられるようにシールしたダイヤルを設け、カメラを操作する。でも、このダイヤル操作の部分の設計と製造が大変なのだ。
 水圧というのはほんの数m潜っただけで大きく加わる。可動部から海水は簡単に浸入してくるのだ。だけど、操作がボタンになったデジタルカメラではこの操作部分をより簡単な構造にすることができる。これは革命だ。
 とはいえ、僕はカナヅチなので水中撮影にはいままでトンと縁が無かったし、カメラのデジタル化で水中撮影がより身近になった現代でもたぶん縁がないんだろう。でも、この神秘の海中世界をステレオで撮影してみたいという思いはある。かつてはステレオリアリスト用のマリンハウジングも存在していたらしいし。。。ぢゃあ、この際カナヅチというハンデを克服してステレオ海中撮影にチャレンジしてみっか、ということになった。これはね、大変なことです。
 う゛ぁあ!!薄暗い海中で、目の前を何かがよぎった。なんと、イカの大群であった。ステレオリアリストでイカの撮影に成功したっ!・・・タネを明かしますと、とある水族館での撮影でございます。ストロボなし、スローシャッターが成功の秘訣です。

海底.jpg

投稿者 sekiguchi : 2009年12月15日 10:00

大阪という街

 僕はあちこちの知らない土地に行ってあちこち見るのが好きであるし、好きではなくとも引越しもずいぶんした。だけどなぜか大阪にはあまり縁がない。何かの用事で行くことがあっても日帰りで帰るばかりでゆっくりとしたことがなかった。大阪の串カツは名古屋の味噌カツと共に一度は味わってみたいと切望していたのだが、味噌カツを堪能するチャンスに恵まれても、串カツにはなかなか出会うチャンスがなかった。
 そんな折、家族そろって行ってみようかという事になった。やっぱり通天閣周辺がベストであろうということで、事前に評判の店をネットで調査する。何件かめぼしを付けて行ってみた。
 さて、どんな都市にも繁華街というものがあり、夜の風景というのは大体において酷似している。だが、大阪は違う。やっぱりここは大阪なのだ。どう違うのといわれても表現するのが難しい。ステレオ写真が空気感まで切り取るとはいえ、このコテコテ感まで取り込むことができるかどうか(笑)。なんだか、いるだけで楽しくなるような空間なのだ。このワクワク感は、昔の繁華街を再現した遊園地のアトラクションに行ったときに似ている。
 お目当ての串カツ屋さんに到着すると、入り口が開放されていて半ばオープンスペースのような感じ。とてもイイ。だけど超満員。だけどちょっと待つだけで座れる。さっそくメニューにあるものを上から順番に手当たり次第に頼む。どんどん出てくる串カツ。これが旨い。ビールも進む。撮影?・・・それは後で。というわけで食べるのに専念してしまった。
 だいぶ食べたので予定外の金額になってしまった。だけど別のところも行ってみたくなり、今度は座敷席のある店でまったり。ここの串カツも旨かった。窓の外には通天閣が見える。なんだか不思議な街だなぁ。串カツの写真は?・・・撮るのを忘れてしまった(笑)。他にも面白そうなところがタクサンありそうだ。またそのうち行ってみよう。

大阪.jpg

投稿者 sekiguchi : 2009年12月11日 10:00

鉱山都市

 日本ではもう大きな炭鉱や金属資源を採掘する鉱山はなくなってしまった。坑道を掘り進んで、真っ暗な洞穴から鉱石を採掘する、そんな鉱山はほとんど閉山となっている。これらの鉱山は、今から50年ぐらい前はとても栄えていた。
 鉱山で働く人、採掘のための機械を用立てる会社、掘り出した鉱石を運搬する鉄道、そんな鉱山に関係する会社や人々が集まり、大きな町が形成されたのだ。学校や病院など、働く人々と家族を含めた生活の基盤がどんどん整備され、大きな都市へと発展していった。海外との交流も鉱山技術を軸にして活発になり、当時の東京よりアカデミックであったとも聞く。
 だが、鉱山に支えられているからこそ、操業が滞りだすと衰退の一途を辿る。鉱石を掘り尽さないまでも、採算が合わない状態になると操業を落とさざるを得ない。金属価格の変動、海外からの資源流入、需要の変化など様々な要因が影響し、最盛期から短期間のうちに消滅した都市もいくつかある。そのまま置き忘れたような廃墟が残ってしまっている。
 神岡鉱山がそんな鉱山都市のひとつだ。今では廃坑を利用したカミオカンデなど、学術研究への活用が盛んだが、栃洞坑の周りに広がっていた町全体は巨大な廃墟となっている。廃墟マニアと呼ばれる人達にはたまらないものがあるらしい。だが、朽ち果てた構造物は少しずつ崩れている。危険な場所もあるだろう。探検はせず、見える範囲で様子を窺った。
 この場所がどのような経緯で廃墟と化したのか想像もつかない。もうすでに機能していないそれらを見るに、規模の大きさに驚く一方、悲しみが伝わってくる。価値を生み出すものであったはずなのに、今では忘れ去られた存在になっている。そんな思いが伝わってくるようである。一部をステレオで撮影したが、立体写真はその場所の悲しさをストレートに伝えてしまう。せめて、モノクロームでデフォルメしよう。彼らは忘れられた時間のはざ間で、じっとこちらを見ているのだ。

鉱山都市BW.jpg

投稿者 sekiguchi : 2009年12月05日 10:00

登別温泉郷

 北海道の南側に有名な登別温泉がある。ここはいろいろな泉質の温泉があり、湯量が豊富だ。温泉街より山側の一帯は地獄谷と呼ばれている。草木の生えない、蒸気が吹き出している様はまさに地獄。とはいいながら、遊歩道が整備されていて安全に散策することができる。観光客も多く、エサをねだるキタキツネの姿もよく見られる。
 温泉街から細い道を山伝いに車で登ると、大湯沼という温泉が噴出している湖にたどり着く。この景色もまさに地獄。湖面を這う湯気の向こうで、ボコボコと音を立てて湯が沸いているのが見える。入ってはいけないと書いてあるが、誰が入るものか。一歩でも足を踏み入れようものなら、引きずり込まれそうである。だが、こういうところでカメラを持っていると、近づいて撮影をしてみたいという欲が出てくる。あのボコボコを立体で撮ってみたい、と。
 でもやめておいたほうがいい。もし、足を踏み外そうものなら生きては帰れない。足を踏み外さなくとも、強烈な硫化水素ガスで意識を失うかもしれないのだ。そんなコトを考えながらタバコを一服していると、地元観光タクシーの運転手さんが、休憩で一服しながら話しかけてきた。今日の噴煙はおとなしいなー。だそうである。で、昔はたまーにこのボコボコに身を投じる人もいた、と(ホントウだろうか??)。で、熱泉で溶けて何も残らないのだ、と。何も残らないのに何でわかるのかといえば、髪の毛だけは溶けずに残るんだそうだ。こっちからは何も聞いていないのに、そんな気味の悪い話を次々に披露してくれる(笑)。
 大湯沼を後にし、来た道をそのまま進むとクッタラ湖という丸い形をしたカルデラ湖にたどり着く。透明度が非常に高い。日本国内では摩周湖に次いで2番目に透明度の高い湖だそうだ。湖畔にレストハウスがあり、手漕ぎボートを借りられる。あたりは静寂で、先ほどの地獄の風景とは一変した神秘の世界を体験することができる。

大湯沼.jpg

投稿者 sekiguchi : 2009年12月02日 10:00

砂丘の花

 人類未踏の地。そんなものが現代のこの地球上にあるのだろうか。そんなことをぼんやり考えることがある。世界一高い山の頂上も、世界一深い海溝にも人類は到達した。ジャングルの中だってTVの映像としてお茶の間に届けられる時代だ。国土が狭い日本ならなおさら、誰も足を踏み入れたことのない土地などあるはずがない。
 人間は新しい土地を見つけ、開拓し、風景を変えてゆく。環境的に厳しい場所でない限り、どこにでも人間が作った痕跡を見つけることができる。大自然を写した写真集を見ても人間が作った道があり、人間が植樹した森が広がっている。もし、まだ誰も足を踏み入れていない場所があったとしたら。そこはどんな風景なんだろう。
 日本の国土から考えれば、そんな場所は原生林の奥のほうだけだろう。でも、僕が見たいのは森の中の景色ではない。広大な平原で、誰も住んでいない手付かずの土地があったとしたら・・・そんな場所はどこかの惑星に行かなければ見ることができないのだろう。ああ、そうなんだ。僕はどこか別の世界の「生命のある惑星」の風景が見たいのだ。
 そんなことをぼんやり思い出したりしていたある日。どこの場所かは教えてあげられないが、広大な手付かずの砂丘に行くチャンスがあった。その場所はまさにどこかの惑星の風景を思わせるものだった。ここはほとんど誰も足を踏み入れることがない。長い海岸線沿いに大きな砂丘が広がり、誰でも行けそうな場所。でも誰も行けない。そういう場所なのだ。
 砂丘一面に花が咲き、そこには誰の足跡も、誰かが作った道もない。天候のせいもあって、一面不思議な雰囲気に包まれている。もしも地球以外に似たような惑星があり、そこには知的生物が住んでいないのだとしたら。その惑星の海岸には、こんな風景が広がっているのかもしれない。僕はしばらくのあいだ、ステレオカメラを携えてこの星を探検した。

砂丘の花.jpg

投稿者 sekiguchi : 2009年11月28日 13:04

さようなら0系

 去年の11月に0系新幹線が退役した。ついこのあいだのことのように思っていたが、時間が経つのは早いものだ。もう1年前の事になるのだ。僕の世代は、新幹線でイメージするのがどうしても0系になる。昭和39年に開業したときのスタイルから長く変わらず、僕たちが成長して修学旅行で乗ったのも0系だった。一番馴染みが深い。
 それがなくなっちゃうと聞いたら急にさびしくなっちゃったのだ。山陽新幹線でこだまとして運行していたが、それももうすぐおしまいです。そう聞くと見に行かずにはいられない。さっそく運行ダイヤを調べ、リアリストをお供に駅に行った。
 駅に到着し、入場券を購入して目的のホームに向かう。いちばんの見所は車輌の先頭だ。行き先表示を良く確かめて、先頭車両が停止する側のホームの端を目指す。もう既に、何人かの人が集まっている。最終運転の日までまだあるというのに、僕と同じような目的の人がいる。新幹線の到着時刻が近づくと、だんだんと人が増えてくる。到着直前の時刻になるとさらに増えている。事故が起きなければいいのだが、と心配になるほどの人数だ。心配をよそに、0系は無事到着した。
 集まった人達に鉄道マニアという雰囲気はない。僕と同年代の人や、子供をつれて見に来た人が多い。みんな0系に愛着があるのだろう。愛嬌のある団子鼻といっしょに記念撮影をする人達でいっぱいだ。ここは終着駅ではないから、しばらく停車した後次の駅に向かって出発する。駅員が事故の起きないよう、見学者に安全誘導をし始め、出発の合図が鳴る。
 赤いテールランプの残像を残し、0系は次の駅へと旅立ってしまった。それから何日かして、TVのニュースで最終運転の様子を放送していた。ああ、ほんとうになくなっちゃったとこの時実感した。どうせなら、見るだけじゃなくてもう一回乗っておいたらよかったかな、とも思ったけど、鉄道マニアというわけではない。最後に会うことが出来た。これで十分満足だ。

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投稿者 sekiguchi : 2009年11月26日 18:01

皆既日食ツアー

 アフリカの話をもう少し。僕が行った日食旅行は個人で計画して行けるものではない。旅行代理店が天文の知識のあるスタッフと一緒に何年も前から計画を立てているのだ。皆既日食を見ることのできる日時、場所はきっちり決まっていて、人間の都合で変えることはできない。そこが安全なのか、天候はどの程度良いのか、どのように移動するのかなどを綿密に調べて計画を立てている。最近はだいぶ身近に感じられる皆既日食ツアーも、こうした地道な努力の上に成り立っている。
 そんなわけで、一般の海外旅行に比べると割高である。割高であるからこそ、運悪く悪天候で日食が見られなかったときの保険を考えておかねばならない。ホントウに保険をかけるわけじゃない。日食以外の観光が充実しているかとか、オプショナルツアーの選択ができるかなどで、数あるツアーの中から自分が満足できそうなものを選ぶというわけだ。
 僕が参加したツアーは最高だった。目的地はザンビアのルサカ。普通では行かない場所だ。そこまで数泊しながら移動するのだが、サファリパークやビクトリア大瀑布を見て回る。そこで宿泊したホテルがすごくイイ。どれも観光地として整備さているホテルを使ったのだが、ゲストが楽しめるよう配慮されている。移動の拠点とするにはもったいないぐらいなのだ。
 ビクトリア大瀑布の近くで宿泊したときはホテルの庭園で昼食を取ったのだが、乾いたサバンナの風が心地よく、手入れが行き届いた庭園はそこにいるだけで癒される。料理はバイキング形式で供されたのだが、どの料理もすばらしくおいしかった。ふと気がつくとフルーツに虫が群れている。一瞬ぎょっとしたのだが、よく見るとミツバチだった。シロップを懸命に集めている。なんとも不思議な光景だった。ハチの食事の後に、フルーツは我々がおいしく頂いた。
 皆既日食を見に行くのでなくてもいいから、もう一度行ってみたい。僕がかけた保険にはそう思わせる効果もあったのだ。

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☆アフリカ旅行記は、また改めて続きをご紹介します☆

投稿者 sekiguchi : 2009年11月23日 21:02

日食とお天気

 さて、日食の話をもう少し。今年の7月に日本各地で見られた部分日食は皆さんの記憶にもまだ新しいことだろう。日食の当日、僕の住む町では天候が悪く、薄い雲が朝から広がっていた。こういう天文現象はお天気次第だ。だが、この日はかえってこれが幸いした。減光フィルターを使わなくても大きく欠けた太陽を見ることができたのだ。
 何より感動したのは、薄暗くなった空の中、僅かの間だが空一面に広がる薄雲が幻想的に輝いているではないか。なぜか、地球が宇宙の中に浮かんでいる存在なのだと感じる風景だった。こういう風景は写真に撮るのが難しい。光の微妙な諧調は自分の眼で見て、記憶にしっかりと焼き付けるのがいちばんいい。僕はこのとき、写真を撮らなかった。
 このときは天候が悪いにもかかわらず、それが幸いしたレアなケース。しかし、皆既日食を見るならば別である。お天気は最重要項目になる。確実に晴れてもらわねばならぬ。晴れでもわずかな雲が太陽にかかるだけで台無しである。
 そういうわけで僕が2回目に行った皆既日食の場所は、乾季のアフリカ、サバンナの大地、ザンビアにしたのだ。現地に着くと雲が一つもない。深いブルーが頭上に広がっている。空気がどこまでも澄んでいる。夕日はぎらぎらと、強い光を放ちながら地平線に沈んでゆく。アフリカの雄大な大地とマッチして、ここにいるだけで気持ちが大きくなる。そういうわけで、僕は皆既日食をお天気の心配なく堪能したわけだが、ホントウに晴れるかは行ってみないとわからない。これってやっぱり、賭けだなぁ。
 皆既日食を堪能した晩は現地でパーティが開かれた。現地の人がこの日のために特大のパンを焼いてくれていた。アフリカの大地の形をしている。うれしくなって、シェフと支配人を一緒にステレオ撮影した。支配人が写真を送って欲しいという。帰国後、早速ステレオビュアーと共に郵送したのだが。郵便事情が悪いのだろう。届かずに戻ってきてしまった。

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投稿者 sekiguchi : 2009年11月19日 23:21

酉の市

 11月の酉の日になると鷲神社でお祭りが開かれる。飾り熊手の露店が並ぶ酉の市である。このお祭り、全国的なものかと思ったら関東地方特有のものらしい。だが、関東以外でも熊手祭りとして開かれているものもあるようだ。このお祭りの季節が訪れると、もうすぐ年末だなぁ、と思う。酉の日を挟んで立冬があり、日が暮れるのが早いと実感する季節でもある。一の酉に浅草の鷲明神に出かけてみると、多くの露店が並び、夕暮れから電灯に照らされた飾り熊手が美しい。
 このお祭り、浅草の鷲明神では特に多くの露天商が並ぶが、その他の鷲神社でもきれいな熊手が並べられる。幼少のころ父に連れられて、近所の神社で小さな熊手を買ってもらった記憶がよみがえる。懐かしさから一つ買ってみようか・・・熊手を買うときにはいったん値切っておいて、値切った分を御祝儀として差し出すのが粋である。こんな買い方を一度やってみたいものである。だが、次の年には一回り大きなものを買わねばならない。今回はちょっと遠慮させてもらおうかな。
 さて、こういう風景はステレオで残すに限る。というわけでリアリストをお供に連れてきた。白熱電球に照らされた被写体の色温度は相当に低い。タングステンフィルムやフィルターを使う方法もあるが、僕はデイライトフィルムで補助光源にストロボを使う。ただし、カメラはエクターF2.8のモデルを選択した。エクターの方が暖色系の諧調が豊かだからだ。
 カメラを構えながら沢山の露店を見て回る。店によって飾りに特徴があって面白い。カメラを持って出かけると、自分が「あちこち観察するモード」になっていることに気付く。カメラを持っているときの方が散策は楽しい。
 今年の11月は酉の日が2回ある。つまり、酉の市も2回。仕事を終えて日が暮れてから行っても十分に楽しめる。暦によっては酉の日が3回ある年もあるが、その年は火事が多いと言われている。まあ、そうでなくとも火の用心。

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投稿者 sekiguchi : 2009年11月07日 01:27

日食の撮影

 赤瀬川源平さんの本を読んだら、ステレオグラフィックでメキシコ皆既日食を撮影した顛末が書かれていた。これには驚いた。僕はその本を読む前に東欧に皆既日食を見に行っていたのだ。しかもリアリストを持って。しかも、ステレオならではの近景を取り込んだ太陽の撮影をしなかった。なんで日食を見に行く前に本を読まなかったのだ。何でステレオで撮らなかったのだ?
 とは言え、皆既日食は素晴しかった。感動した。少し薄い雲を通しての皆既日食だったけど、それでも素晴しく美しかった。写真では表現できない、コロナの微妙なグラデーションは生の目で見るに限る。写真はおまけ。そうは言っても、おまけでもいいから、ちゃんとステレオで撮っていたらいいものになっていたんじゃないか。やっぱり、何で撮らなかったのだ?
 皆既日食を一回見てしまうと、もう一回見たくなるらしい。自分もそうである。うす雲がかかっていたからとか、ステレオでちゃんと撮っていなかったからとか、いろいろ理由を見つけてもう一回いくのである。というわけでもう一回行った。場所はアフリカ。
 二回目は、ちゃんとどんな撮影をするか決めて機材の準備をした。あれこれ手を広げすぎると良い結果は得られない。ステレオ以外にも望遠で撮影したが、これは中古のEOS10Dに任せた。インターバル撮影が無人でできるから、セットして全ておまかせ。太陽が全て隠れている時間は約3分間。この間はステレオ撮影と肉眼での鑑賞に専念するためだ。
 それでも、ステレオ撮影より自分の眼で見ることが優先。撮影はあらかじめ段階露出の設定をして、枚数も決めておいた。それ以上は撮らない。欲張ると失敗する。効率を良くするため、2台のリアリストをそれぞれ三脚に乗せてレリーズを取り付ける。巻上げとチャージをして、2台同時にレリーズ。露出時間を変えてもう一回。これを何度も事前に練習して、体にリズムで覚えさせる。そうやって、そのときの感動がよみがえる写真が撮れた・・・そのうちまた、もう一回見に行くかも知れない。

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(空の階調がうまく取り込めないので雰囲気だけでもお楽しみ下さい)

投稿者 sekiguchi : 2009年10月30日 23:43

モーターショー

 幕張にて隔年で開かれる東京モーターショーは、自動車メーカー各社の最先端技術を見ることができる。どこのブースも工夫を凝らした展示やパフォーマンスがされていて面白い。毎回楽しみにしていたのだが、景気低迷の世の中に突入して以来、近未来的な夢のある車の展示がずいぶんと減ってちょっと寂しくなってしまった。今年の出展会社もだいぶ減るようである。そんなわけでここ何年も行っていない。お祭り好きの僕としては、こういうイベントは派手であって欲しい。
 さて、ピカピカに磨かれたカッコイイ車をステレオで撮るとこれがとてもイイのであるが、屋内の展示であるし、多種類の照明が光源になっている環境では撮影が難しいと感じる人も多いだろう。実際にはそれほど迷うことはなく、普通のデイライトタイプのフィルムを使い、ストロボを補助光源にすればカラーバランスを崩すことなくよい結果が得られる。人工的な光源だからということでタングステンタイプのフィルムを使うと不自然に青みが強くなってしまう。ハロゲンランプなど色温度が高めの光源が多いのでデイライトタイプのほうがマッチするのだ。
 ステレオで撮影して気付くのが、車のボディに反射する光源の光点は左右の目で大きな視差があり、ちらつきという形でメタリックな質感が伝わってくる。普通の平面写真になるとこの光点はただの白い点として表現されてしまうのだが、ステレオではキラキラと光って見えるのだ。会場の臨場感が伝わってきて、写真として非常に面白い仕上がりになる。
 こういうイベントにはコンパニオンのおねいさんがタクサンいて、カメラ小僧さんたちもタクサンいる。この状況で撮影するというのもそれはそれで面白いんだけど、ちょっと気恥ずかしいものでもある。だからこういうイベントはパーッとお祭りの雰囲気にして欲しいわけだ。世界経済がリーマンショックから立ち直り、早々に活況を呈するよう心から願っている。

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投稿者 sekiguchi : 2009年10月23日 23:12

下北半島にて

 本州の最北、マサカリ形をした半島が青森県の下北半島である。ここで有名なのが霊山、恐山である。ここにはいろいろと不思議な地形があることが紹介されていて、一度は行ってみたいと思っていた。ここは地質学的にも貴重なものがある火山地帯なのである。リアリストをお供に、一人でレンタカーを借りて訪れた。
 山道を登ってゆくと宇曽利湖にたどり着き視界が開ける。この湖は火山性の成分のため酸性度の高い水質になっていて、湖面の色が普通の湖とは違う。コバルトブルーに輝いて美しいが、普通の生物が棲めない水質なのだ。いわゆる恐山には菩提寺から入るのだが、訪れる人もまばらで、一歩踏み入れると不思議な雰囲気に包まれている。奥に進むと硫化水素臭がたちこめ、火山特有の地形が広がる。あちこちの地面から噴気が出ている様から、昔の人は死後の世界を想像したのだろう。
 菩提寺の境内には入浴のできる温泉があり、この中の古滝の湯に入ってみた。木造の小さな温泉小屋の雰囲気がいい。誰もいないのでこの雰囲気を撮影させていただき、ゆっくりと湯に浸かった。火山性の温泉特有の硫化水素含有泉、強い酸性の湯が心地よい。のんびりしていると、引き戸を開ける音がする。地元の人が入りに来たのだ。さらにのんびり、大地のパワーを身に浴びているうちに、その地元の人は出て行ってしまった。僕はどちらかというと長風呂派なのである。しばらくするとまた入り口の引き戸が開く音がする。また地元の人か?と思ったが誰も入ってこない。脱衣所を覗いても誰もいない。はて、死者の霊か?と思いつつ引き戸をよく調べると、少し傾いている。ちょっとしたことで開き易くなっていたのだ。
・・・はて、引き戸を開いた「ちょっとしたこと」とは何だろう。やはり?まあ、そんなこともあるかもしれない。フィルムを現像して、何か写っているだろうかと期待したんだが。見える人には見えるのだろうか。

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投稿者 sekiguchi : 2009年09月18日 00:27

そろそろ改名か?

 僕がステレオを始めてからまだ10年と経ってはいない。ステレオの諸先輩から見ればまだまだヒヨッコである。とはいえ、銀塩ステレオ沼のずいぶん深いところまで来たんじゃないかとも感じている(銀塩沼にはまって抜け出せないとも言うか)。まだまだ緒先輩にはかなわない所がありながら、このようなコラムを書いて叱責をいただいていないというのは運が良いのか、皆様が寛大なのか。えっ?あまり読まれていない?
 それはともかく、地方に引越し、STEREO CLUB TOKYOの例会に参加できなくなったことを契機に始めたこのコラム、好き勝手に書かせていただき感謝しています。はじめはリアリストの分解を写真入りで紹介するだけと思っていたんだけど、ちょっと欲が出て色々書いていたらこんな風になってしまった(笑)。
 そろそろ「解剖室」という名前にそぐわなくなってきたので、タイトルを変えましょうか?岡野サン。えーと。何にしようかな。リアリスト探検隊。。。どっかで聞いたような。ステレオリアリストとヒミツの部屋。。。第2巻かよ。リアリスト友の会。。。なんだかなあ。
 もう世の中デジタルだらけになって、リアリストがどうとか言ってる場合じゃないな。これはですね、フィルム文化の危機ですよ。もうね、銀塩写真とか、フィルムを使ったステレオ写真とか、そんな話題はここしかない、ってな貴重なコラムにしたいですね。というかそうしなきゃいかんのですよ。(なんでやねん)
 というわけで、次回から「リアリスト解剖室」改め、「古典芸能の部屋」といたします(ウソ)。まあ、これからもぼちぼち書きますのでよろしく。

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平行法でご覧下さい。

投稿者 sekiguchi : 2009年08月20日 00:25

続・旅カメラ

 一度ステレオを旅行に持ってゆくと普通の2Dにはなかなか戻れない。普通のプリント写真が物足りないものになってしまう。プリントが必要な場合だってあるが、ステレオの片方でプリントを作ることだってできる。そんなわけで、望遠とか超広角で撮影する目的がない限り2Dのカメラが旅についてくることがなくなってしまった。とはいえ、古いカメラゆえ旅先で調子が悪くなると、とってもとっても困る。銀座の中古カメラ店でリアリストを買うときも、「旅行で使うにはちょっと心配だよ」と不吉な予言を言われた。クラシックだから壊れやすいんじゃないかと、やっぱり不安になる。
 でも、壊れて困るのはクラシックでもデジカメでも同じだ。どのぐらいの頻度で故障が発生するのかという問題は、実は機械モノの世界では難しいテーマである。メンテナンスがきちんとされた状態でどちらの故障発生率が低いか?というのは一つの学問になる。実際にそういうことを専門にしている博士もいらっしゃる。
 リアリストの場合は機械がそれほど複雑ではないから、故障がおきても原因の見当をつけやすい。そんなわけで僕は、旅行の時には精密ドライバーのセットも持って行く。飛行機の機内持込はできないので、トランクの荷物の中に入れておく。メンテナンスをマスターしておくと、ドライバーを持っているだけで心強い。これさえあればたいていのトラブルには対処できるからだ。実際に軽いトラブルに遭遇したときも慌てることはなかった。これが複雑なカメラで、しかも電気カラクリだと故障した場合の落胆は大きいだろうな。
 リアリストはのんびり撮るのに向いているが、アフリカのサファリで動物を追いながらバリバリ撮る時にはちょっと工夫した。巻き上げとシャッターの動作は訓練で素早く行うことはできるけど、フィルム交換に時間がかかる。僕はこのような時、同じモデルを2台持ってゆくことにしている。撮影しながらもう1台のフィルム交換をすることで連続撮影ができる。前に紹介した巻き戻しのアタッチメントは必需品だ。大変なようだけど、この方法でシャッターチャンスを逃がしたことはない。

  ▼ビュアーで見る迫力が再現できませんけど。平行法でどうぞ。

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投稿者 sekiguchi : 2008年06月07日 13:29

旅カメラ

 知らない土地を撮り歩く、たとえば海外旅行なんかに持ってゆくカメラは何がいいだろう。荷物をなるべく減らし、フットワークを軽くすると見知らぬ街のいろいろなところが見えてくる。そんな発見を撮りためるためにカメラはなるべく携帯に便利な方がいい。最近は薄型のデジカメが人気だろう。電池とメモリーさえ確保しておけば良いし、なんといっても空港のX線検査を心配しなくていいのはフィルムには望めない大きなメリットだ。しかしステレオで撮りたいとなると難しい。ステレオ専用のデジカメはまだ世に出現していない。2台をブラケットでつないだ装置を使うにしても携帯性が良いとは言い難い。
 僕は、東欧旅行のお供にリアリストを選んだことがステレオの始まりだった。重量は少々あるが、レンズカバーを閉じればバッグの中に放り込んでおけるし、各部のデザインがフラットだから意外にも収まりがいい。カメラ操作はスローペースになるけど、散策しながら撮影するにはこれがちょうどいい。街の人々に声をかけて撮らせてもらったりもした。なぜか断られることもなく、みな良い表情だった。たぶん二つの目玉が愛らしい(?)カメラだからじゃないか、と勝手に思っている。クラシックカメラだから撮られる緊張がないというのもあるかな。朝から歩いて昼頃までに1本撮り終えると、古い街並みに古いカメラが馴染んでいる気がした。
 旅行から帰ると膨大なマウント作業が待っていたのだけれど、マウントしながら街の空気のにおいが甦ってきた。作業もゆっくりゆっくり、観賞を兼ねてやるとこれもなかなか楽しい。旅行にカメラはつきものだが、うっかりすると撮るのに夢中で何も見ていなかったということになりかねない。そういう理由で、旅行でカメラを持たない人もいるらしい。でもリアリストの面白いところは、撮っている時の記憶を鮮明に甦らせてくれる。自分の見たままの景色が記録されるのだからね。というわけで、リアリストは旅行にお勧めの1台です。

 ▼ビュアーで見る迫力が再現できませんけど。平行法でどうぞ。
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投稿者 sekiguchi : 2008年06月01日 12:53