STEREO CLUB TOKYO

鉄塔

 世の中には、少数派の趣味というのが結構ある。まあ、一口に何々が趣味といっても「その中の特にこれが」なんていうのがあるので、人の数だけ趣味がある。写真やカメラの趣味の中でも、特にステレオが好きなんていうのも少数派に入るのだろう。そんな少数派の趣味がネットで紹介されるので、驚いたり、納得したりする。
 ああ、やっぱり。と思ったのが鉄塔マニア。まあ、少数派の趣味に対して何でも「マニア」を付けて呼称するのもどうかと思うのだけど。でも、やっぱりいるんだなぁ、鉄塔が好きな人。僕も、鉄塔がずらっと並んでいる姿を見るのはちょっと面白いかななんて思ったりする。大電力を運んでいるという、我々の文明を支えている根幹の一つだと思うと、もっと敬うべきかな、と思ったりもする。大きさから来る迫力と、科学のにおいがなんとなく僕の感覚を揺さぶるのだ。
 とはいっても、わざわざ珍しい鉄塔を見に行ったり、機能や構造を調べるわけでもない。たまたま何かのきっかけで、鉄塔の近くに行ったときには見上げてしまう、という程度の好きさ加減だ。電線を支えている構造なんかを観察したりする。特に、いくつも重ねた絶縁用の碍子が、なんだか昔のSF映画に出てくる装置のようでオモシロイのだ。
 近所の山に登り、何か面白いものはないかとリアリストを片手に散策していた時のこと。開けた場所に鉄塔が現る。山の尾根に鉄塔が並んでいて、遠くから電力を運んでいる。遠くに見える鉄塔と電線でつながっている様子がオモシロイ。早速、ステレオ撮影。しばらくすると、遠くからヘリコプターが飛んできて、なぜだか僕の方に近づいてくる。
 まさか、鉄塔にいたずらする者を見張っているのか。しばらくしてどこかに飛んでいった。過去には鉄塔のボルトが外された事件もあった。鉄塔にいたずらなどしてはいけない。私たちの生活を支える電力を運んでいるのだから。

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年11月29日 10:00

日本最古の湯

 僕は温泉が好きだ。日本に住んでいてよかったと思うことの一つが、日本各地に様々な泉質の温泉があるということだ。どこかに旅行に行くときも、地図を広げて近くに温泉マークがないかと探す。温泉があるというだけで、入浴ができないという状況もあるのだが。やはり、古くから温泉街として栄えてきた場所というのが歴史もあって面白いものだ。
 有名な温泉街は、ネットでも書籍でも、ちょっと調べればいろいろ知ることができる。以前から気になっていたのが、四国・松山市にある道後温泉だ。道後温泉本館という入浴施設は歴史のある建物で、ガイドブックで見る写真からも趣のある雰囲気が伝わってくる。過去には皇族の方々が入浴されたとも聞く。これは一度、行ってみるべきだろう。
 とある夏の終わり。松山市へ広島港からフェリーに乗る。車で橋を渡って行くこともできるが、やっぱり船は楽である。昼寝をしながらのんびり。海を眺めてのんびり。波の少ない瀬戸内海は、大きく船が揺れることもなく、快適。
 道後温泉には市内から路面電車に乗り、終点で降りる。道後温泉本館はすぐ近く。中に入ると、あちこちのつくりの古い感じがたまらない。湯船は石造りで、癖のない単純泉が溢れている。ここの湯は沸かさずとも熱い湯が地中から出ているのだ。大地のエネルギーが湯を介して体に染み渡る。そんなイメージを膨らませながらゆっくりと浸かる。
 すっかり温まった後、上の階に行き、広い座敷でくつろいだ。お茶とお菓子をもらい、至福のときを過ごす。外は夕立だろう、遠雷が聞こえてくる。雨があがるまで、この趣のある建物を楽しませてもらう。あたりを見渡すだけで面白い。皇族の方々が使われた部屋や湯船も見学させてもらった。階段を上ったり降りたり、家屋の作り自体も面白い。古いけど、手入れのされた温かみのある空間がここにはある。日本に住んでいてよかったと思う、もう一つのことである。

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年11月22日 10:00

南の海岸

 景勝地と呼ばれる場所に行くと、日常にはない不思議な風景、感動的な風景に出会えるのだが、立体写真として面白い写真にするのは難しかったりする。それは大体が遠景で、普通のステレオベースのステレオカメラで撮ったのでは立体感が出ないのだ。高台から見るパノラマ的な風景なんていうのは、リアリストが最も不得意とする被写体だ。
 それでも、なるべく立体写真として面白いように構図を考えるわけである。例えば、被写体が遠景だったとする。ステレオカメラで普通に撮っても平面的な仕上がりになる。かといってステレオベースを大きくするにも限度があるし、なによりスナップとして撮るには無理がある。そんなわけで、近くにある雑草を視野に取り込んでみたりとかするわけ。でも、安易な工夫というのはダメだよねぇ。仕上がりを見てがっかりする。当たり前だ。手を抜いたのだから。さて。
 九州の東側、宮崎県の日南海岸はきれいな海で知られている。とある夏の日。海岸沿いを車で走ると、切り立った断崖の下に澄んだ海が広がっている。その青さといったら、濁りのない青なのである。陽の光りを反射させ、海岸の深さに応じて色合いが変化して美しい。それに、ここの海岸は普通の海岸ではないのだ。鬼の洗濯岩と呼ばれている。
 太古の地層が浸食され、隆起したことで巨大な洗濯板のような形になっている。見渡す限りの海岸一面がこのような風景だ。子供向けの百科事典では、地層や地面の沈降、隆起を説明する事例としてよく紹介される。僕も子供のころに図鑑で見た「鬼の洗濯岩」は深く記憶に残っていた。でも、宮崎県にあるというのは忘れていたけどね。
 車の窓から見える風景だけでは満足できない。青島を散歩しながら潮の引いた海岸を散歩する。日差しは強いが気持ちのよい日だった。波の音を聞きながら、この不思議な地形を歩く。潮溜まりには小さな魚が泳いでいた。

撮影には画面サイズを拡張改造したステレオ・リアリストを使っています。

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年11月15日 10:00

モノクロの風景

 秋になるとあちこちの神社でお祭りが開かれる。豊作を神に感謝して冬を乗り切る、という昔からの風習に由来してるんだろうね。それはともかく、お祭りは楽しい。境内に屋台が並び、ぶら下がった白熱電球が灯ると雰囲気が盛り上がる。子供にとってこんなに楽しい時間はない。金魚すくいに射的、綿あめが並ぶ。ソースの焦げる香ばしい香りも。
 こういった風景は昭和の時代からあるのだけど、最近はその頃の雰囲気に戻ってきた感じがする。この風景をモノクロで撮ろう。ステレオリアリストにフォマパンを詰めて、思いのままに撮る。自家現像するのでカラーよりもお金がかからない。いつもより気楽にシャッターを押した。セピア反転で現像し、ポジスライドをステレオマウントに仕上げる。
 ビュアーを覗くと、子供のころに見たあの懐かしい風景が目の前に広がるように思えてくる。記憶からあの頃の色彩が遠のいた分、モノクロの画面は想像力を掻き立てる。どこからか、あの祭りの喧騒が聞こえてくる気がする。
 さて、子供のころの記憶といえば、白黒テレビで特撮番組を食い入るように見ていた頃を思い出す。色のない画面なのに、テレビに対峙している間は無色であることを全く意識していなかった。不思議な思い出。そんな昔の記憶を呼び覚ますかのように特撮博物館が開催された。ステレオリアリストにイルフォードFP4を詰めて出掛けたのだった。
 博物館の出品物は撮影禁止なのだが、ミニチュアセットの一角だけは撮影OKなのだ。何と粋な計らいだろう。解説によると遠景位置、近景位置でミニチュアの縮尺率を変えている。画面の中で自然な遠近感を得る工夫だ。
 ステレオカメラを持参したのは正解であった。セピア反転したポジスライドをビュアーにセットすると、リアルな町並みが静止画で感じられる。そしてその風景は、白黒テレビで見た懐かしい夢の世界と同じだった。

フォマパン100をセピア反転したものは自然なコントラストが出ています。
白熱電球の部分は露光が飽和していますが、違和感がありません。他のフィルムだと、こういった部分にフィルムベースの色が強く出て不自然になることがあります。
FP4は軟調ですが、露出オーバー気味でもあります。現像条件も合わせて工夫すればコントラストが上がるでしょう。このフィルムでも露光が飽和しているところはベースの色が若干出ていました。このあたりも今後、工夫を重ねてゆきます。
(左右で若干の色調や濃度が違うのはスキャナーの調整不足によるものです)

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年10月25日 10:00

⑦空港での椿事

 フィルム派にとって、デジタルカメラっていいなと心から思う場面が空港での検査である。フィルムはX線でも感光するから、X線の照射は避けたい。だが空港での荷物検査は厳しい。スーツケースなど、カーゴエリアに行くものは爆発物の侵入を防ぐため、X線で徹底的に調べられるらしい。僕も死にたくはないので徹底的にやって欲しいのだが、強力なX線が使われ、フィルムが感光してしまうという。フィルムは必ず、手荷物で機内に持ち込まねばならない。
 そんなわけで、海外旅行にたくさんのフィルムを持ってゆくとき、全部手荷物にしなければならないところが煩わしい。手荷物検査場のX線は、普通のフィルムなら感光しない程弱いので悪影響は無いという。それでも、乗り継ぎのたびに何度も検査を通すのは気持ちの良いものではない。影響の有無は現像しなけりゃ判らないのだから。
 万全を期して、フィルムは鉛入りのシールドバッグに入れることにする。20本越えのフィルムは嵩張るので、全て箱とプラケースを外し、ビニールのチャック付小袋に入れ替えた。これを弁当箱程度のプラスチックのボックスに入れ、さらにシールドバックでくるむ。これをさらに黒いナイロン袋に入れた。この黒い物体、怪しいことこの上ない。
 いよいよ空港の手荷物検査で中身が見えない黒い箱が登場。爆発物のような姿。チェックされると構えたが、怪しまれたのはカメラの方だった。ドイツを出る手荷物検査で、不思議な物体・リアリストのせいで別室ご案内となった。
 厳つい係官が、これは何だ?と。ステレオカメラだと説明すると、フィルムか?。当たり前じゃないか、1955年のカメラだ、と答えると、呆れた表情でその3D写真はないのか?。サンプルで持ってきたステレオ写真はスーツケースの中だ。まあいいや、と放免となった。次に来るときには立体写真を堪能いただこう。お楽しみに。(ドイツの旅・おわり)

機内操縦席.jpg
コックピットのドアが開放されてたのでパチリw

空の上.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年09月06日 10:00

⑥憂いの宮殿

 ポツダムには、18世紀半ばに作られた豪奢な宮殿がある。時のプロイセン王、フリードリヒ2世の命により建造された、サンスーシー宮殿である。「憂いのない宮殿」という意味であるという。壁面が薄い黄色で塗られ、オーストリアのシェーンブルン宮殿を思わせる。あちこちに飾られた彫像が見事である。
 不思議なのは、見事な石造りの彫像が、黒くすすけている。元の石は白いのに。後から塗ったのでもあるまいに。訝しがっていると、酸性雨の影響で黒く変色してしまったのだという。修復するのに多大な手間と費用がかかるそうで、遅遅として進まないとも聞く。なんとも残念な話である。酸の雨。何とかならないものか。
 さて、サンスーシー宮殿は小高い丘の上にあり、斜面を利用した庭園が広がっている。宮殿の内部は見学できないが、迷路のような庭園を散策した。あちこちに生垣で囲まれた通路があり、複雑に交差する通路には訪れる者を楽しませる工夫がある。交差する場所には噴水があったり、曲がり角には彫像が置かれたりしている。
 天気が良かったら、もっと美しかったろう。午後になっても天候は回復せず、雨が降ったり止んだり。こんな状況で撮った写真というのは、どうにも冴えないものになりがちだ。被写体のコントラストが下がり、色温度が上がる。この状況を利用した撮り方というのもあるのだろうが、立体写真はごまかしが効かない。
 天気を憂いでもしょうがない。雨の日だからこそ、見つかるものがあるかも。そう考え直したとき、足元に何かいる。カタツムリ達だ。殻の色が固体によって、黄色、オレンジ、赤と、一匹ごとに違う。まるでおとぎ絵本のよう。雨に濡れ、殻の光沢が美しい。・・・マクロのステレオカメラは持ってきていなかったねぇ。・・・憂いがもう一つ加わった。(つづく)

サンスーシー.jpg

サンスーシー2.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年08月30日 10:00

⑤湖のさかな

 さて、ドイツに来てからというもの、ずうっと天気が思わしくない上に、いろいろと戦史に関わる見学を続けてきたのでちょっと疲れ気味。命の重さを考えるというのはとても大切なことであるが、気力もけっこう要る。
 ポツダム周辺はたくさんの湖が広がり、豊かな自然に囲まれた美しい場所がたくさんある。貴族の別荘などが数多く建てられたという。そんな場所の、山小屋風のレストランで昼食をとる。
 レストランはログハウス風の建物で、たくさんの花で飾られている。一歩中に入ると、このあたりの動物だろう。剥製があちこちに飾られている。この辺りは猟場としても使われてきたのだろう。
 剥製を眺めながら肉料理を食べるというのも乙である、という向きもあろうが、僕はやっぱりダメである。レストランの目の前には湖と深い森が広がっている。湖があるなら魚料理があるだろう、ということで、メニューを凝視。
 はて、湖の魚といえば何だろう。日本ならうなぎの蒲焼などありそうなものだが、海外でうなぎ料理は旨くなさそう。という先入観が働く。うなぎ以外・・・と探しながらも、無性に蒲焼が食べたくなってくる。我慢、我慢。
 魚料理の欄にコッドフィッシュの何とかという文字があり、うなぎではないことを確認して注文する。コッドって何だっけ?たしか、タラの仲間・・・。ここで海の魚を食すというのは果たして・・・。微かな不安がよぎる。
 しばらくして、不安は杞憂に終わった。注文の品は当たりであった。ドイツビールに良く合う上品なお味。追加のビールをもう一杯。昼間からビールを飲むと怒られそうであるが、この国では飲むのが当たり前だという。万歳。
 しかし相変わらず天気が冴えないのだが。雨粒が静かな湖面に作る、まあるい波紋を眺めてのんびり。これもよし。(つづく)

ポツダム・レストラン.jpg

ポツダム・湖畔.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年08月23日 10:00

④戦史探訪

 ベルリン市はブランデンブルグ州に囲われている。だが、ブランデンブルグ州を構成する市の一つがベルリン市なのではない。州の真ん中に、全く行政の異なるベルリン市がぽかりと位置しているのだ。地図で見るとなんとも奇妙だ。
 ブランデンブルグ州の州都はポツダム。この名を歴史の教科書で見た覚えのある人も多いだろう。第二次大戦の末期、終戦のあり方を米英ソ連で会談した場所である。では、引き続き戦史をたずねてみよう。
 ポツダム会談が開かれたのは、郊外にあるツェツィーリエンホーフ宮殿。今は内部を見学することができる。20世紀初頭にドイツ帝国の皇太子のために建てられた。その古びた建物は、宮殿というよりは瀟洒な邸宅という感じ。
 今でも庭木は丁寧に手入をされ、花壇には花があふれ、古い波打つガラスが張られた建物の窓辺には蔦が生い茂る。湖畔の緑に囲まれた大きな別荘。その中で世の中を大きく変える会談が為された。
 それは1945年の夏のこと。ツェツィーリエンホーフ宮殿の一角に、大きな円卓をしつらえた部屋がある。天井は高く、細かく仕切られたガラス窓から柔らかな光が差し込んでいる。ここに米英ソ連の首脳陣が集い、ナチス・ドイツ降伏後の終戦処理と、我が国への終戦について話し合いがされ、ポツダム宣言が発せられた。
 その後、終戦に向けた混乱と、さらに大きな犠牲が生じた。そして、長く続いた世界大戦が終結に至る。
 宮殿の中にはいくつもの部屋があり、書物や資料で埋め尽くされた書棚が林立する。その書物の中には、日本に関するものも見ることができる。この場所で大きな苦悩と決裂、そして決断が繰り返された。その時の重い空気が各部屋の隅に、今も残っている。いつまでも、そう、いつまでも。人間とは何と罪深き生き物であろうか。(つづく)

ポツダム.jpg

ポツダム2.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年08月16日 10:00

③残酷なる壁、その跡

 もう20年も前に無くなってしまったから、今となっては昔話なのかもしれない。東西ドイツに分断していた時代、大国間の冷戦を象徴する存在。ベルリンの壁である。東側から西側への、市民流出を防ぐために作られた恐ろしい壁。
 1961年に建築され、1990年の東西ドイツ統一まで西ベルリンを包囲していた。壁が壊されてから20年も経つとその当時の面影はもうない、と街の人々は言う。東西は融合し、新しい一つの都市になっている。
 壁が建っていた場所には、それを記す記録として地面にライン状のプレートが埋め込まれている。新しい道がこのラインを跨ぐように通っている。新しい風景が、ずっと前からそうであったかのように、当たり前のようにここにある。
 全長150kmを超えて建設されたベルリンの壁も、今では歴史の証人として一部が残されているだけになった。その場所を訪れると朽ちた壁がある。市民の手で壊されたコンクリートの壁は、内部の鉄筋があらわになっている。
 この場所の近くに、かつてチェックポイント・チャーリーと呼ばれた西側の検問所があり、今では観光地になっている。露天の物売りが、東側の古い銀貨とか、怪しげなミリタリー・グッズを並べている。全く平和な風景だ。
 またしばらく歩くと、18世紀末に造られたブランデンブルグ門につながる広場に出た。この日は休日で、何かの記念日だったのだろう。あちこちに兵士に扮装した人々が集っている。お祭りのような雰囲気。これも平和な風景だ。
 カメラを向けると、みんな並んで笑顔一杯で撮ってくれと言う。ではと、一枚撮り、礼を言いつつ目の前の小箱に小銭を入れた。もう少し見て回ろうと思っていたのだが。低く立ち込めた雲から、とうとう雨が降りだした。雨粒はたちまち大きくなってゆく。こうなると観光どころではない。リアリストを懐に入れて雨宿りだ。(つづく)

ベルリンの壁.jpg

ベルリン.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年08月09日 10:00

②平和のためのモニュメント

 ベルリン中央駅の西、かつての西ベルリンの商業中心地に行く。ここで、朽ち果てたような大きな建物がまず目に入る。カイザー・ヴィルムヘルム教会である。他国の教会で見た美しい尖塔はなく、瓦礫のごとく崩れた姿で建っている。
 この教会は19世紀に建造され、その当時は美しい姿であったが、かのベルリン大空襲の際に無残にも破壊されたのだ。現在、修復は崩壊が進まない程度に留めているという。戦争の悲惨さを後世に伝えるための記念碑だ。
 教会前の大通りに面して、家電量販店やら、ショッピングモールなどで賑わっている。だが、その雰囲気は日本の各都市とはずいぶんと趣が違うようにも感じる。若者達が集ってはいるが、派手さというものはあまりない。
 大通りの真ん中に広い歩道があり、小さな公園のようである。この通りを散歩しながら、いくつかのモニュメントを見て回る。来た道を振り返ると、先のカイザー・ヴィルムヘルム教会が遠くに見える。
 あいにく、ドイツに着いてからずっと天気が良くない。今にも降りだしそうな天気だ。いい写真が撮れるかどうかに運があるとすれば、それはまず天気であろう。晴れか曇りかで全く雰囲気が変わってしまう。
 もちろん、天気が良ければいい写真になるというわけではない。でも、天気が悪いと撮影気分が盛り上がらない。光の状態がどうこうというより先に、自分の気持が作画に大きく影響すると思う。
 だからといって、天気が変わるまで待つ時間の余裕が無い。余裕があれば、いい雰囲気の雲が流れてくるまで待ってみるとか、日差しの当たり具合がいい具合になるまで待つとかするのだが。
 大戦の面影があちこちに残る街。それを撮るには、愁いのある空のほうが合っているのかもしれない。(つづく)

カイザー.jpg

カイザー教会.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年08月02日 10:00

①ドイツへの旅

 カメラ王国といえばどの国か。それはドイツ。アンケートをとったら、日本を抜いてダントツの一位だった、そんな結果が出そうである。もっとも、それはアンケート対象がライカ大好き、ツアイス大好きなフィルム派の人々だった、ということかもしれない。今の時代、カメラ王国はどこか。本当に王様がいるわけではないのだが。
 ヨーロッパ統一を目指しながらも、大戦終結時に東西に分離し、カメラメーカも東西に分割されてしまったという悲しい歴史を持つドイツ。勤勉な国民、頑固な職人気質と言われるドイツ。さて、どんな国なんだろう。
 一度は行ってみたいと思っていた折、とある用事でドイツの首都、ベルリンを訪れた。当然、用事の合間にリアリストで撮影だ。カメラセットを持って、ドイツの翼ルフトハンザに乗った。ちなみに、ルフトハンザが日本の空港に乗り入れを開始したのが昭和36年。東西ドイツの間に、ベルリンの壁が建築され始めたのもこの年である。
 今回は、郊外の空港からハンブルグを経由する列車で首都に向かう。車窓には広大な農場がどこまでも広がっている。ところどころ、風力発電のタワーが林立している。リアリストのシャッタースピードを上げ、この風景を撮る。
 列車がベルリンに近づいてゆくと、広大な農場の風景は住宅が並ぶ風景に変わって行き、大きな都市が眼下に広がる。駅に降り立つと、街のにおいがする。しかしそれは、東京のあちこちで見られる風景とはずいぶんと違うようだ。
 僕の世代だと「ドイツの首都はどこ?」というクイズがあったことを思い出す。ベルリンと答えるとバツ。当時、西ドイツの首都はボンであり、間違えやすいということでクイズになったのだ。統一後の今は、ベルリンが首都である。
 さて、リアリストをお供に、この街を散歩しよう。ちなみにお供のリアリストのレンズはドイツ生まれである。(つづく)

ドイツ車窓.jpg

ベルリン駅.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年07月26日 10:00

北へ還ると

 北海道料理といえばジンギスカン鍋だ。今ではどこでも珍しいものではなくなった感があるが、昔は北海道でしか味わえなかった。それに加え、ヒツジの肉を食す習慣がない地方では、どんな味なのか見当がつかなかった。
 僕が就職して、初めて赴任したのが北海道の某都市。村上春樹氏のノルウェイの森が大ヒットした頃の話である。赴任前にその他の短編集も読みながら北海道に渡ったのを思い出す。小説の中で、北海道が牧羊を中心にして開拓を進めた歴史を知ったのだった。ジンギスカン鍋という食べ物が、牧羊の歴史とも深くつながっている。
 僕が初めてジンギスカン鍋に出会ったのは花見の席だった。北海道の桜の季節は本州よりずっと遅く、散るのも早い。短い期間で花見をセットしなければならないから、週末にそろそろというような悠長なことは言ってられない。
 桜が一気に満開になり、天気の良いある日。年配社員が「今日だな」とつぶやいた日が花見なのだ。午前中に業者に電話をし、夕刻には丘の桜の木の下に宴席が並ぶ。プロパンガスと本格的なコンロ、ジンギスカンの専用鍋と簡単なテーブルが「今日やるから」の一言で揃うのだ。後から肉屋が食材を、酒屋がビールを軽トラで運んできた。
 初めて食べたジンギスカン鍋は旨かった。夜桜を眺めながら、明日も仕事だということを忘れて宴は続いた。それ以来、桜の季節になるとあの宴を思い出す。あんなに楽しい宴はそれまでの経験にはないものだった。
 今でも北海道には仕事で行くことがあるが、客先が一緒だとヒツジ料理を選ぶのを躊躇してしまう。だからジンギスカン鍋を選ぶのは一人のとき。久しぶりだと焼き方を忘れている。焼き方には作法があるのだ。
 一人で鍋をつつきながら、あの満開の桜の姿を思い出す。先輩方はもう定年されている。お元気だろうか。

ジンギスカン.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年04月12日 10:00

ウインドウINウインドウ

 立体写真で面白いのは、遠景と近景を組み合わせて臨場感が出せるところだ。意図的にこれらを組み合わせると、普通の写真にはない効果が出る。立体視して、距離感が具体的に感じられたとき、これが驚きに変わる。
 そんな被写体として使えるのが、窓から見た風景。室内から窓の外を眺めた様子が、立体写真だと臨場感として、その場にいる空気感のようなものが切り取れる。ビュアーで見たときのオモシロさはなかなかのものだ。
 たいていの場合、窓の外のほうが明るくて、窓枠のほうが極端に暗い。どちらも適正露出にすることは、特殊な処理でもしない限り無理。だが、立体写真というのは、シャドーが黒くつぶれていても、僅かに諧調が残っていれば認識が可能だ。闇の中の僅かな濃淡がその中の造形を伝えてくれる。
 そういう効果があるので、僕は明確にしたい主題のほうに露出をあわせ、その他のほうは出来成りで撮る。窓の外の風景を明確にしたいなら、窓の外に合わせて早いシャッターを切り、窓枠はアンダーにする。
 ただし、どういった場合でもどちらにもフォーカスが合うよう、絞りは絞り気味にしている。
 いつもヨーロッパの国々の窓には趣があるように感じている。凝った窓枠であったり、しゃれた飾りがあったり。使われているガラスも、古風なものであったりする。古い建物を見るときなど、窓の造りに注視してしまうこともしばしば。
 ストックホルムのホテルに泊まったときのこと。廊下の突き当たりに、ストックホルム中央駅を望む窓があった。俯瞰で歴史を感じる駅の様子を眺めることができる。この窓に飾りが置いてある。ならばと、ちょっと引いたアングルで、この様子を撮る。ステレオウインドウの中に、もう一つのウインドウが収まった。

窓1.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年03月15日 10:00

⑩フランス土産あれこれ

 明日の帰国を目前にして、今日は土産物でも買いにパリの繁華街に出てみよう。そう思ってシャンゼリゼ大通りを歩く。土産にはパリでしか買えないようなものがいい。だからといって観光土産屋に行っても、あるのは冴えないものばかり。
 気分を変えて裏通りに出る。小さな通りに、決して華やかではないが小奇麗な陶器屋を見つけた。ウインドウにはハンガリーの銘窯、ヘレンドの作が並んでいる。ここならたしかな品物がありそうだ。そう踏んで中に入る。
 出迎えてくれた女主人は、見慣れぬ東洋人を冷かしと思ったのだろう。だが、ヘレンドのいい作品があるね、と言うと嬉しそうに応えてくれた。フランスの窯のものはあるかな?と尋ねると、Gien窯のきれいな絵皿を出してくれた。
 絵皿を一抱えほど買い、これで土産を配る先に不自由しなくて済む。そう安心して、最後に凱旋門を見に行く。すると、凱旋門の真下で何か作業をしている。ロープをたらして、何かを吊るそうとしている場面に出くわした。 作業を最後まで見ていると、なんと吊るしたのは大きなフランス国旗だった。戦勝記念日を目前にしたものだった。
 はためく国旗を前にして、忙しくも長く感じたパリ滞在もそろそろ終わりを迎えたことを実感する。離れるとなると寂しいものだ。今夜は仕事で集まった皆と共に、日本食の料理屋で宴会を開く予定なのである。いよいよお別れだ。
 さて、宴が終わった頃。近くの教会のコンサートを思い出す。間に合うだろうか。仲間を引き連れて訪れたとき、教会の扉は硬く閉ざされていた。がっかりしていると、不意に内側から扉が開く。ちょうど、コンサートが終わったところだった。
 来客者の感動に溢れたざわめきの中を進むと、ご婦人が今日の楽曲を録音したCDを売っていた。日本から来たことを伝え、1枚購入する。お互いに笑顔が溢れる。帰国して写真を眺めながら聴くのが楽しみだ。(フランスの旅・おわり)

パリ・花屋.jpg

凱旋門・旗.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年03月08日 10:00

⑨神聖なる音色

 ヨーロッパの都市に行くと、どこでも教会を訪れるのが常になってしまった。信者ではない僕が、何故教会に行くのか?そう問われると困るのだが。写真を撮ることは別として、そこに行くことで何か日常では得られない落ち着きを得ることができる、理由としてはこんなところだろうか。実際、何をするわけでもなく、ボンヤリしているだけで落ち着く。
 そんなわけでパリの宿泊場所の近くを散歩していると、教会を見つけたので中に入ってみる。外からは一見して教会とはわからないような建物なのだが、扉を開けると高いドーム型の天井が大きく広がり、宗教画が見下ろしている。
 この教会は建物の入り口に掲げられた文字から、セント・フェルディナンド教会というのがわかる。たしか宿泊しているホテルに面した小さな通りも同じ名前だった。通りの名前に使われるぐらいだから、古くからの教会なのだろう。
 さて、中に入ると誰もいない。午前中の早い時刻だったせいだろうか。窓から日差しが差し込み、やや明るい感じのする空間は、静かで、今まで訪れた教会よりも落ち着くような気がする。端の方の椅子に座り、のんびりとする。
 すると、突然パイプオルガンが美しい曲を奏でだした。その音色は天井のドームに反響し、周囲を重厚な雰囲気で包んでいる。どうやらパイプオルガンの調整をしているらしい。驚きつつも、その音色をしばらくの間楽しんだ。
 ふと気付くと、僕のほうに歩いてくる人影がある。祭壇に一礼をしながら礼拝堂の奥から来られたのは、この教会のシスターであった。僕に何かのパンフレットを差し出し、ここでコンサートを開くので来てはどうかと言われている。
 申し出に驚きながらも、僕は明日、日本への帰路につくのだ。だが、コンサートは今晩だという。何と嬉しいことか。でも、今晩は別の用事がある。それでも、用が済んでからも間に合うだろうか・・・。シスターに礼を重ねた。(つづく)

フェルナンド通り.jpg
▲狭い通りなのにぎっしり。縦列駐車がうまいねぇ、フランス人は。

聖フェルナンド.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年03月01日 10:00

⑧セーヌを下る

 パリを流れるセーヌ川。地図で見ると、やたらと蛇行している。地上から見る分にはそんなに複雑な流れには見えないのだが。流れはゆっくり、ゆっくり。対岸は完全に護岸され、コンクリートで敷き詰められている。
 僕はコンクリートでできた水門など、人工的な水理構造物がちょっと苦手である。近寄ると吸い込まれそうに見えたり、もし水に落ちたら、奥のほうに脱出不可能な取水口があるとか変な想像をめぐらしてしまうのだ。
 そんなわけでダムの水門なんかは気味が悪くて、ステレオ写真を撮るなんてことをしても後で見る気にならない。だが、セーヌ川はその気味の悪さが無い。川が大きく、流れが緩やかだからだろうか。これは僕の主観かもしれないけど、水のある風景というのは人工物とのバランスを崩すと、言いようのない不安を内包したものになる気がする。
 さて、そんな話は後にして。クルーズする船に乗る機会があったので、その様子を紹介しよう。
 シテ島からやや上流に遡ったところで小さな船に乗る。時刻は既に日が傾き始めた頃。川下に向かって船はゆっくりと進む。向かう先には、太陽が低い位置に、オレンジ色の光を放ちながら輝いている。川面がオレンジに波打つ。
 セーヌ川にはいくつもの橋がかかっている。古い橋、新しい橋。どれも様々な造形がある。この下をくぐって行くが、光と影のコントラストが美しい。次第に対岸が薄闇に包まれてゆき、風景の細部が闇の中に沈んでゆく。この瞬間、水辺と周囲の造形がマッチして、絶妙のバランスが形成される。そう、魔法の時刻が訪れたのである。
 ようやくエッフェル塔の近くにたどり着いた時、周囲はすっかり闇に包まれた。それを待っていたかのように、塔のライトアップが輝く。この瞬間に出会えたことは、偶然にも船の出発が予定より遅れたことの賜物だった。(つづく)

セーヌの夕日2.jpg

セーヌの夕闇.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年02月23日 10:00

⑦ラピスラズリの空

 パリの街並みは、地図や航空写真を見れば判るように、たくさんの路地が蜘蛛の巣のように絡み合っている。何の知識も無く散歩をすれば、迷子になること間違いない。これに対して京都は、路地が碁盤の目のようなのはご存知の通り。どっちの道が判りやすいかというと、どちらも路地が細かく入り組んでいるので迷子になる確率は同じだった。
 そんなわけで、パリの街を気ままに散歩していると、自分がどっちの方角に向かって歩いているのかわからなくなる。地図も見ないで歩いていると、いつの間にか元の場所に戻ってきてしまって狼狽なんてコトはしょっちゅうだ。まあそれでも、知らない通りにアンティークを扱うしゃれた店や、小奇麗な花屋なんかを見つけるのも楽しいもの。
 パリには目印になる大きな建物が少ないから、地図を頼りにしても目的の場所にたどり着くのはけっこうしんどかったりする。そんなときにはやっぱりタクシーが便利だ。オペラ座と呼ばれるガルニエ宮に行くため、タクシーに飛び乗った。
 程なくして、大きな通りの突き当たりに豪華な彫像を施したオペラ座が現れた。正面入り口には石造りの大きな階段が設えてあり、人々がこの階段に座り、おしゃべりに興じている。その風景のコントラストがおもしろい。
 空を見上げると青空を雲が流れてゆく。青い空に金色に装飾された彫像が映える。やはり、金色と深い青は相性がいい。そんな風景に、青地に金色の粒がちりばめられた美しい石、ラピスラズリを思い出す。良い天気に恵まれた。
 オペラ座に来て何か公演を見るというわけでもなかった。たぶん、中に入れば豪華なホールが見る者を圧倒するのだろう。だけど、ちょっとここまで来て、僅かな時間でものんびりしたかったのだ。束の間の、何をするわけでもない、のんびりとした時間。行き交う人々の流れを眺めながら、日常のわずらわしさを忘れる。さて、次はどこへ行こう。(つづく)

オペラ座.jpg

オペラ座2.jpg
目で見た空の青さはもっと深かったのだけどなぁ、なんて思い出しながら。

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年02月16日 10:00

⑥大伽藍

 ルーヴル美術館を後にし、セーヌの河岸と呼ばれる川の中洲に出る。いにしえの建造物が建ち並ぶ古風な風景に出くわす。この一帯は世界遺産に登録されているという。天気も良く、散策にちょうどいい。
 ここは手入のされたきれいな公園になっており、多くの人たちが集い、にぎわっている。日差しが強く、水売りの姿もちらほら。川の上流の方を望むと大きな寺院が目に付く。かの有名なノートルダム寺院である。
 ここまで来たのだから見逃すわけにも行くまい。入り口のほうに向かってゆくと、なんと長蛇の列ができている。訪れた日は拝観料が無料の日だった。いろいろな国からの人々が列をなしている。
 中に一歩入ると、例によって神聖な空気が巨大な空間に満ちている。大きなステンドグラスが周囲を囲み、ろうそくの明りが辺りを揺らめくように照らす。カメラを構えるのも忘れしばらく見入ってしまう。回廊は長く、長く続く。
 ちょうど建物の中間近くまで行ったところ、翼廊に続く部分の上部に大きな丸いステンドグラスが現れる。バラ窓と呼ばれる様式で、ノートルダムのものはひときわ大きく見事である。今から800年ほど前に作られたのだという。
 この大きな寺院は高さが66mある。パリの街は、景観を保護するため建物の建築に高さ制限をしていた時期もある。ノートルダムの近くにこれを超える建物はない。それゆえ、その大きさは圧倒的なスケールで伝わってくる。このシンボル的な建造物は800年前からずっと、この風景の、ここに住まう人々の中心的存在であったに違いない。
 時間が許すならば寺院の中だけではなく、外壁の彫像もじっくりと見ておきたい。人々の信仰に支えられ、長きに渡って大切にされてきた寺院である。見所は多い。ちょっとだけ見て帰るのではもったいない。(つづく)

ノートルダム1.jpg

ノートルダム2.jpg

ノートルダム3.jpg
▲毎度、低照度下で撮影したフィルムから画像を取り出すのに苦労します。
 オリジナル画像にはこのようなざらつきは無いんですけどね。

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年02月09日 10:00

⑤世界の至宝(2)

 ルーヴル美術館に行って驚いたことがいくつもある。まず広いことと、展示物が多いこと、そして来客者が多いこと。この辺は世界屈指の大美術館であるから当たり前としても、とても不思議だったのが写真撮影をしても良いということ。
 ルーヴルでは、写真撮影のみならず模写をしても良いことになっている。美術を学ぶ者たちのために、ということらしいが、なんと寛大だろう。日本の美術館でやろうものなら、やれ著作権やら所有権やらと面倒な話になりそうだ。
 ルーヴルに行ったならぜひとも見ておくものがある。レオナルド・ダ・ビンチのモナ・リザだ。描かれてから500年が経過してなお、美術界では常に話題があがる存在であり、一般的にもこれほど名が通っている絵もあるまい。
 さて、どこに展示してあるのか。パンフレットの地図と廊下のところどころにある案内表示を頼りに、迷子になりそうな館内を探す。実際、なぜかさっき通った所にいつの間にか戻ってきたり、しまいには本当に迷子になりかけた。
 うっかり通り過ぎようとした展示室に異様な人だかりがある。もしやと思ったら、モナ・リザはここであった。周囲に柵がしてある一画に、厳重なガラスケースに入れられ鎮座している。想像していたよりも小さな絵だという印象であった。
 それにしても驚くのは、誰もがこぞって写真を撮っている。モナ・リザと一緒に記念写真。そんな人たちばかり。フラッシュがお構いなしに光りまくる。館の職員がいたが、注意するわけでもない。絵に影響がないのだろうかと心配になる。
 ここで写真を撮ったところで、記念写真にしかならないことは確かだ。僕は正面からじっくりと鑑賞するに留めた。
 モナ・リザを覆うガラスは紫外線カットの機能もあるのかなー、なんてぼんやり考える。ガラスの反射で絵が見えにくいから、レンズに施すマルチコーティングを是非とも施してほしい。なんて思ってみたりもしたのだよ。(つづく)

モナリザ.jpg

ルーヴル.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年02月02日 10:00

④世界の至宝(1)

 パリに行ったのなら、ぜひとも行っておきたいところ、それはルーヴル美術館である。世界の至宝の数々が収められた、世界屈指の大美術館。広すぎて一日ではとても回りきれないだろうに、僕が使える時間は一日に満たない。
 それでも、見たいものだけでも見てみよう。そんな思いでタクシーに乗る。ルーブル!と言えば連れて行ってもらえる。言葉が通じなくとも、運転手さんから「だんな、ロシアの金は受け取れねぇよ。」なんて断られることはない。
 ルーヴル宮殿が囲む大きな広場、この真ん中にガラス張りのピラミッドがある。美術館にはここから入る。入場チケットは自動販売機で買うのだが、さすが世界屈指の美術館。各国語の切り替えができ、日本語の案内もちゃんとある。
 展示室は細かく分かれていて迷路のよう。案内地図がないと目的の場所までたどり着くのは難しいだろう。だがご安心あれ。日本語のパンフレットも置いてあるし、人気の展示物までの道順には案内表示がされている。
 パンフレットを片手にやや早足で行く。すると、階段の上に唐突にニケ像が現れた。何の囲いもなく、小高い台座に置かれている。開放的な展示に驚く。日本の美術館だったら確実に大きなアクリルケースに入れてしまうだろう。
 この像は、今から150年ほど前にギリシャのサモトラキ島で発掘された。発掘時はバラバラの状態だったという。未だに頭部や腕が無い状態であるのに、完全体の姿は我々の力では想像できないのに、この像は神々しくも美しい。
 早足で向かった次の行き先はミロのビーナスである。展示室に入ると、窓から斜めに差し込む光が影を作っている。ゆっくりと歩きながら角度を変えて見ると、光と影のバランスで印象が変わってゆく。写真を撮る上で、ライティングは大事だと改めて気付かされた。このときばかりは時間に追われていることをすっかり忘れ、見入っていた。(つづく)

ニケ.jpg

ミロ.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年01月26日 10:00

③パリの空

 階段を上って出た場所は、凱旋門の真下であった。たくさんの観光客が集まっている。凱旋門の内部は階段になっていて、てっぺんまで行くことができると聞いていた。ここまで来たのだから、やはり行ってみなければなるまい。
 だがここまで歩いてきたのだから、さらに階段を上るというのも疲れる。あやふやな記憶だが、エレベーターもあると聞いたような気がする。ああ、そうか。さっき地下にあったチケット売り場は、エレベーターのチケットか。
 早速チケット売り場まで戻り、列に並んで何ユーロだかを支払う。やれやれ、これで楽に上れる。そう思ったのも束の間、門の入り口でチケットを渡すと目の前に現れたのは螺旋階段であった。チケットは単なる入場料・・・。
 引き返すこともできず、狭く、薄暗い螺旋階段を上る。さすがに疲れを覚えた頃、途中の踊場でご婦人が苦笑いをしながら休憩中。通りすがり、僕に何かを言っている。フランス語?よくわからない。たぶん「長い階段だわねぇ」と言っているのだろう。日本語で「ホントに長いですねえ、ごきげんよう」と返す。笑顔が返ってきたからこれでいいのだろう。
 やっと階段を上がりきり、広間に出る。展示物があったり、土産物屋がある。屋上に出るにはさらに階段を上がる。やれやれまた階段か。だが、外に出ると疲れはパリの空に霧散した。眼下にパリの大パノラマが広がる。素晴らしい。シャンゼリゼ大通りを行き交う人々が、小さく小さく見える。街並みが広がり、その奥には、エッフェル塔が。
 パリのパノラマと、東京の景観とはずいぶんと雰囲気が違う。パリには東京のような高層ビル群がなく、遠くまで見渡すことができる。それもそのはず、かつてパリでは法律で、建築できるビルの高さに制限を設けていたのだ。
 さて次は、どこに行ってみよう。眼下の風景と地図を見比べる・・・。うーん、あの辺りか。遠いなぁ。(つづく)

凱旋門下.jpg

パリ・パノラマ.jpg
▲毎度、遠景というのは普通に撮っただけでは立体感が出ませんね(笑)

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年01月19日 10:00

②まずはお散歩

 さて、まずは凱旋門まで行ってみよう。泊まったホテルから5分ほど歩くと、凱旋門につながるグランド・アメル通りに出た。凱旋門まで真っ直ぐに伸びた通りで、この道の横断歩道に立つと、遠くに凱旋門がこちらを向いている。
 地図を見ると、凱旋門から12の通りが放射状に延びている。今立っている場所から凱旋門をはさんで反対側に伸びるのが、有名なシャンゼリゼ大通りである。12の通りが集まるロータリーの真ん中に門がある、という感じだ。
 さて門まで並木の歩道をのんびり歩く。隣の車道は信号が変わるたび、間欠泉のように車の列が走り抜けてゆく。それも、石畳の道をけっこうなスピードで走り抜けてゆく。石畳のせいだろうか、ゴトゴトとタイヤが鳴っている。
 ようやく凱旋門の前までたどり着くと、門の周りを車道が囲んでいる。それも、けっこうな交通量だ。道幅も広いのだが、どうにも車線がはっきりしていない。眺めていると、混雑した中を割り込んだりぶつかりそうになったり。危なっかしいことこの上ない。もしパリに住むようなことがあっても、車の運転だけは馴染めない。そんな気がしてくる。
 こんな状況だから、車道を渡って門にたどり着くということは不可能。やったらたぶん、轢かれて死んでしまう。ハンドルを持つと性格が変わるというのは、日本に限ったことではないよなぁ。石畳を蹴るタイヤの音が、そう感じさせる。
 さて、どうやって門のところまで行くのだろう?不思議に思っていると、地下道に続く階段からたくさんの人々が上がってくる。いろいろな国の人々がいる。子供たちがはしゃいで駆け上がってくる。たぶん、ここを通ってゆくのだろう。
 地下道の通路を歩いてゆくと、距離的に門の真下かな?というところでチケット売り場がある。なるほど、ここから上がるのだろう。でも、チケットを買わずとも地上に出られるではないか。訝しがりながらも外に出てみる。(つづく)

凱旋門3.jpg

凱旋門2.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年01月12日 10:00

①ぼんじゅーる

 カメラ発祥の国、フランス。えっ?という声が上がったかもしれないが、本当だ。有名なダゲレオタイプを発明したダゲールはフランス人である。では、フランス製のカメラと言ったら何がある?・・・ほらほら、パッとは出てこない。
 前に紹介した、ベラスコープF40はフランス製のステレオカメラである。ステレオではなくてもフランス製のしゃれたカメラはいくつもあり、その筋ではけっこうな人気があることも確か。これを持ってエッフェル塔を撮りたい。
 そんな願いはあったものの、パリに行くチャンスが巡ってきたときに連れて行ったのはステレオ・リアリストであった。なんでベラスコープを連れて行かなかったんだ?と詰問されそう。でも、もし旅先で壊れたとき、僕が直せるカメラはリアリストだけなのだ。ベラスコープは浅草の有名なカメラ屋さんの手により整備されたもので、僕なんかが手を出す隙がない。両方持ってゆくのは大変なので、自分でメンテナンスできるカメラの方を選んだのだ。そう、ドライバーセットも一緒に。
 さて、今回パリには5日間ほど滞在したのだが、写真を撮るためなんていう楽しい目的のために行ったのではない。別の用事で行ったので、その合間の、限られた時間を活用するしかなかった。それでも、できるだけたくさん撮ることにした。旅行に行くとき、ステレオカメラが傍にある。今では、旅を楽しむ当たり前のスタイルになった。
 カメラをいつも携帯していると、いい絵が撮れる。そんなコトバを思い出す。リアリスト1台、予備のフィルム数本がいつも鞄の中にある(だけどリアリストが、もう少し軽いと助かるのだがねぇ。ベラスコープもつれてゆく余裕は無いのだよ)。
 凱旋門に近い場所に宿を取ったのが幸いし、限られた時間の中でもいろいろ見て回ることができた。だが、それもパリの街の、ほんの一部に過ぎない。それはさておき、素敵な巴里の街並み散歩をどうぞご一緒に。(つづく)

凱旋門.jpg
▲通りの先に凱旋門が見える。
PARIS.jpg

投稿者 J_Sekiguchi : 2012年01月05日 10:00