食えぬキノコ
キノコというのは本当に不思議なヤツだ。雨上がりの地面に突然現れる。で、しばらくするとどんどん形を変えて崩れ去り、跡形もなくなってしまう。だが、キノコは子実体と呼ばれる胞子をばら撒く器官である。本体である菌糸はまだ、その周囲に広く繁殖している。目に見えないがあちこちに存在しているらしい。そんなありふれた存在でありながら、キノコがいつ、どこに発生するかは予測ができない。いつも同じところに現れるやつもいれば、何でこんなところにという場合も。そんなキノコというのは実に神秘的で、その見た目の面白さもあって被写体として歓迎される存在であろう。
雨上がりにフィールドに出て探すと、いろいろなキノコに出くわす。彼らは面白い姿をしていながら、じっとたたずんでいるから撮影がやりやすい。マクロカメラでフォーカスを慎重にあわせて撮る。困ったことに、キノコというのは同じ種類でも発生状況や、時間の経過で姿を変える。図鑑を片手に調べても名前がわからないことが多い。おまけにたいがいの図鑑は食用であるか否かを主眼に編集されているものが多いから、マイナーなキノコは掲載されていない場合が多い。
図鑑を見ると、色とりどり、姿形が珍妙なキノコたちがたくさん掲載されている。これらがステレオで撮られていたら相当面白いのにと思うのだが。だが、珍しいキノコや、状態がよいものを撮影することはかなりの努力が必要である。そんな苦労が図鑑の写真や記事を読むと伝わってくる。マクロステレオを持って山歩きをするというのも面白そうだが、もう一歩マニアックな情熱を燃やさないと難しそうである。というわけで、近所のフィールドで見つけた小さなキノコを紹介しよう。
朽木に小さな傘が並んでいる。触ると結構硬い。これでは煮ても食えないだろう。立体写真は触った感じまでは取り込めないが、ビュアーを覗くとそのときの記憶がよみがえる。こいつらの名前を調べようと、いくつもの図鑑を開くが結局わからなかった。
投稿者 J_Sekiguchi : 2011年09月29日 10:00
タンポポの綿毛
昔々、シベリアでツングースカの大爆発と呼ばれる大事件が起きた。それは1908年のことだから既に100年をこえた昔のこと。日露戦争を終えた後の混乱した世の中で起きた、脅威の出来事だった。シベリアの密林の上空でとてつもなく大きな大爆発が起きたのだ。ロンドンでは地震計が振動を捉え、夜でも新聞が読めるぐらい空が明るくなったという。
半径50kmに渡る森林がなぎ倒され、大規模な森林火災が発生した。幸い、死者は発生しなかったらしい。想像を絶する大爆発にもかかわらず、調査団がその地を訪れたのは何年も経った後だという。調査団は隕石の落下と想定し、証拠となるクレーターと隕石の残骸を探したが、どちらも発見できなかった。原因不明の大爆発。いろいろな推測がされ、議論が重ねられた。今では、彗星が落下し上空でバーストしたものであろう、という仮説が有力視されている。
なんでこんな話をしているかというと、このときの調査団の映像が残されていて、ナショナルジオグラフィックのDVDとカール・セイガンのCOSMOS(これもDVDが出ている)で見ることができる。ここに、僅かなカットだが、調査員がステレオカメラを手にしているのが確認できる。昔のガラス乾板式のものだろう。一見、ローライドステレオのように見えるが詳細はわからない。当時の学術調査にステレオ写真が有効だったということが想像できる。
ところで、カール・セイガンのCOSMOSは今から20年以上前に日本語吹替えされ、TV放送もされた。全世界で人気となったシリーズで、懐かしいと思う人も多いだろう。残念ながら日本語吹替え版DVDはリリースされていないが、日本語字幕が入ったものが発売されている。改めて観賞していたらこんな映像があった、というわけ。著作権の問題もあるのでその映像は転用しない。かわりにCOSMOSのオープニングにも使われているタンポポの綿毛をご覧ください。
投稿者 J_Sekiguchi : 2010年09月10日 10:00
バナジウム鉱
理科の時間で習った元素の周期表に「V」がある。ビクトリーじゃない。バナジウムである。そんなの知ってるという人も、じゃあバナジウムってどんなの?と聞いたらわからないはずだ。金属元素の一つだが、鉄とか銅とかと同じような仲間といわれてもピンとこない。僕も金属の固まりとして見たことがない。身近にバナジウムでできた製品なんて無いからだ。
なじみの無いようで、実は世の中には大切な元素なんだ。主には強度の高い鉄鋼を作るための合金成分として使われる。普通の鉄製品には使われないけど、焼入れをして硬く、しかも粘り強い鉄鋼にするため添加される。バナジウムのおかげで強靭なハガネが生まれる。産業を支えるために必要な金属なのだ。これが無いと我々の豊かな生活はありえないのだ。
結構身近なところで使われているバナジウム。姿を見たことはないこの金属だが、鉱物の世界ではバナジウムを含んだ美しいものがある。その名はVanadinite、そのまんまの名前ですね。それを東京ミネラルフェアで発見した。
というわけで、鉱物の世界第2弾。この鉱石、たくさんの赤い結晶が並んでいる。結晶の表面がガラスのような光沢をしているのでキラキラ光って見える。この中にバナジウムが含まれているのだ。でも、ここからバナジウムを採取して生活に役立てているのではないそうだ。重量当たりの含有量が少ないので産業用途としては不向きだという。
ステレオ撮影して拡大して見ると本当に面白い。こんなものが地面の中から出てきたというのだから、地球というのは不思議なものだ。それにしてもこの赤い結晶、あまりに真っ赤なので体に悪い物質じゃないかと思ったりする。ちょっと舐めたりしたら体がしびれるのではないか。まあ、そんなことは無いのだろうけど。でも舐めたりしませんよ。
ステレオの鉱物図鑑があれば面白いのに。将来、ディスクになったデジタルステレオ図鑑なんていうのが登場しないかな。
投稿者 sekiguchi : 2010年08月27日 10:00
ヒマワリとミツバチ
天気のよい日、ヒマワリの花にはミツバチがひっきりなしにやってくる。強い日差しがエネルギーになり、大きなヒマワリの葉で盛んに光合成が行われる。光合成で作られた糖の一部が花に集まり、ミツバチが集めに来るというわけだ。暑い暑い夏の盛り、ヒマワリの大きな花を見ると、舐めたら相当に甘いんじゃないかという妄想が広がる。
ホントウに舐めたことはないけど、人間が舐めておいしいとはやっぱり思えない。花をよく観察すると、黄色い花粉がたくさんついている。舐めたら口の中が黄色くなりそうである。花粉の味ってきっとおいしくないに違いない。
ミツバチを観察すると、この花粉が後ろ足に団子状になってついている。ミツバチが蜜を吸うたび、花粉が体毛に付き、他の花に受粉のための花粉を運んでいる。植物にとって子孫を残すための大切な役割をハチに任せているのだが、ハチは蜜を集めるだけではなく、花粉も利用している。体についた花粉を足の体毛を使い、後足に集める。集めた花粉は巣に持ち帰って幼虫のエサになるという。こんなものを食うとは。虫は味覚ってものを持っているんだろうか。
さて、ホバリングをしているミツバチをステレオで撮ると、空中に浮かんだ姿が立体視できるのでオモシロイ。ホバリング中のミツバチを追いかけるのは大変なので、蜜を吸っているときにピントを合わせて待ち伏せする。飛び立った瞬間にシャッターを切る。こうするとミツバチの頭が花とは逆のほうを向く写真になるのではないかと思うが、必ず後ろ向きに飛び立つので常に花のほうを向いた写真になる。今から花の蜜を吸う姿勢に見えるが、実は吸った後なのだ。
そういうわけなのでミツバチが飛びながらカメラのほうを向いた写真、というのは偶然でなければなかなか撮れない。いつも同じような写真しか撮れないので、なんか面白いやり方はないかなぁ、と思案している。
投稿者 sekiguchi : 2010年07月27日 10:00
ハンミョウを追え!
昆虫図鑑をめくると、様々なきれいな虫達が登場する。蝶の羽がきれいなのは誰でも知っているが、甲虫の中にも美しいものがたくさんいる。メタリックな輝きを持ち、色とりどりに輝く甲虫。よく知られているのはタマムシだろう。緑の中に黄色や赤の線が輝いて美しい。少年のころカブトムシ採集をやったことがあるなら見たことがあるだろう。
タマムシのように輝く美しい昆虫にハンミョウがいる。図鑑で見ると、赤と緑、青のような体色に白い斑紋があり、メタリックに輝く。あまりメジャーな虫ではないので見たことの無い人も多いだろう。夏場の砂地や林の近くの道端に普通に見つけることができるが、小さいし近づくと飛んで逃げる。この虫は「道教え」とも呼ばれていて、近づくと飛んで数メートル先に着地する。また近づくと飛んで着地。これを繰り返す。
この逃げ回る虫をマクロステレオで撮影することにしたが、これが大変だった。近づくとすぐに逃げる。数メートル先に着地するからそーっと近づく。フォーカスを合わせているうちに視界から消える。また追いかける。これの繰り返し。蝶やトンボなら危険を感じるとさっさと遠くに飛んでいってしまう。それなら諦めもつくが、ハンミョウは何回も数メートル先に着地して待っている。何回も何回も。虫ってヤツは疲れないんだろうかと思うほど繰り返す。こっちもバテて来る。
追いかけて追いかけて、しまいには遠くに飛んでいってしまうこともあるが、しばらくすると戻ってくる。こんなことを繰り返すうち、ヤツも疲れてきたのかおとなしくなってきた。残念なのは、正面から撮ろうとすると逃げてしまうので斜め横からのショットが精一杯だった。それでもこの一時の相棒の、美しい体色を捉えることができた。今度はもうちょっとこっちも体力を付けて、正面からのショットに再挑戦したい。ハンミョウの大きな牙とそのユーモラスな顔を撮るのだ。
投稿者 sekiguchi : 2010年07月13日 10:00
かえるちゃん
最近はあちこちの自治体が休耕田などを利用して向日葵畑を作り、市民の憩いの場として公開しているような場所が増えた。インターネットというのは便利なもので、どこにそういう場所があるかといったマイナーな情報もすぐに知ることができる。そういうわけで、だいぶ昔になるが埼玉県のある町で作った大きな向日葵畑に行ってみた。
この頃はマクロステレオカメラの自作がうまく行き、あちこちの花畑にいっては撮影を繰り返していたのだ。ここで栽培していたのはちょうど大人の背の高さぐらいで、手のひらより一回りほど大きな花を咲かせていた。
はて、向日葵というのはもっと大きくなるんじゃなかったっけ?確かに昔の向日葵は大きかった。それは子供の頃に見たから大きく見えたということではないらしい。どうも向日葵にもいろいろ品種があり、小さな花瓶にも映えるようなごく小さなものから、花の直径が30cmを超え、高さが軽く2mを超えるものもあるようだ。こういうのになると・・・マンモスフラワーか?
まあそれはさておき、この向日葵畑の花たちはヒマワリらしいヒマワリというか、花の形もよく、撮影するにもちょうどいい高さで咲いている。向日葵の蜜は相当に甘いのだろう。たくさんのミツバチが集まってきている。これをマクロで撮影していると、花の中に緑の見慣れないものが・・・まさか。僕は芋虫が大嫌いなのだ。・・・何かと思えばアマガエルだった。
何でこんなところにと思ったが、たまたま居たのではなく、こういうことはよくあるようなのだ。もちろん、僕がファンタジーな写真を撮るという目的で、かえるちゃんを無理やり、作為的に花の中に押し込めたというのではない。良く調べたわけではないが、花に集まる昆虫を目当てにこんなところに隠れていたようなのだ。アマガエルの主食は昆虫なのだ。
アマガエルが鳴くと雨が降るとか、ねっとりとした感じの皮膚には実は毒があるとか、そんな話を思い出しながら撮影。
投稿者 sekiguchi : 2010年07月09日 10:00
水滴
梅雨の季節がやってきた。どこへ行くにも足元が濡れるし、気温が下がる日もある。体調を崩しやすく憂鬱な気分になる。カメラを持って出かけるといっても、お天気が悪いのではいい被写体にも出会えない。余計に憂鬱な気分になる。
マクロカメラなら何か面白いものが撮れるかもしれないと思い、傘をさして外に出た。雨の中でもよく観察すると面白いものがありそうだ。あちこち見て回ると、たくさんの蕾をつけたナンテンの木が、水滴をたくさん含んでいる。慶事で出される赤飯に添えられる小さな枝葉、これがナンテンだ。難を転ずるという意味から来ている名前らしい。
この日は細かい雨がずっと朝から降っている状態で、そのためか水滴がナンテンの蕾とか枝葉にたくさんぶら下がっている。これをマクロで撮り、マウントしてみた。マウント前はなんだかごちゃごちゃした構図に見えるが、立体視してみると結構面白い。水滴の粒に周囲の景色が小さく写りこんでいて、これが同じようにたくさん並んでいるのだ。よく見ると、空中に球状のものが浮かんでいる。はじめはゴミだろうと思ったのだが、左右の画面に同じように写っている。
これはナンテンにぶら下がっていた水滴が落下したものだった。落ちてゆく水玉を偶然捕らえたというわけだ。小さいのでフィルムをスキャンした画像では存在自体がわかりにくいが、完全な球の形をした水玉だ。
僕たちはイメージで、落下中の水玉は頭がとんがったいわゆる「水滴型」だと思い込んでいるが、自由落下中の水滴自身は無重力状態にあるから完全な球になる。はじめにゴミだと思ったのも、こんな思い込みからきている。
空から落ちてくる雨粒はどんな形をしているか。こんな疑問が話題になったりする。空気抵抗のために底が平らになった形じゃないか、とかいろいろ推測されたり、理科実験のネタになったりする。雨粒をステレオ視できたら面白いだろうに。
投稿者 sekiguchi : 2010年06月15日 10:00
続・湿原の植物
マクロステレオカメラを作ってから、草花の写真を多く撮るようになった。花壇に咲く花を撮ることもあれば、野原に行って撮ることもある。そうした中で気付くのが、園芸種と呼ばれる人の手によって品種改良された花と、自然のままに咲く花とはだいぶ趣が異なるということ。往々にして品種改良されたものはより花をきれいに、大きく咲かせるように選択と交配が重ねられたものだから、見ごたえはあるが素朴さというものは失われている。
どちらがいいとも言えないのだが、自分にとってはマクロで撮って面白いのは野生の花の方のような気がする。とはいえ、近所の空き地で咲いている花なんかは、野生なのか園芸種なのかわからない場合もある。古い花壇に植えられていたものから種が代々芽を出し、花壇がなくなってからも花を咲かせているたくましい奴らもいる。植物図鑑で調べればいいのだろうけど、これが結構面倒くさい。いろいろ撮影しても未だに名前のわからない花というのも多い。
湿原に行って撮ったきれいな花も、名前のわからないものがある。遊歩道の脇にいくつか咲いていたもので、赤い小さな花が鞠のように集まっているものがあった。この花は湿地ではなく、だいぶ踏み固められ、草がだいぶ生えているところにあった。そのため、湿原の植物として調べても出てこなかった。たぶんマイナーな部類になるんだろう。もうちょっと気合を入れて調べればいいんだが、どうにも面倒だ。誰か教えてください(こういう楽な方向に流れるのがイケナイ)。
花の名前を調べるのは面倒というだけでなく、苦労して判明した割にはつまらない名前だったり、なんとも変な由来だったりすることもあり、がっかりという場合が結構ある。スライドマウントに和名を記載するぐらいなら、学名をラテン語で入れておいたほうがカッコイイんじゃないかとも思ったりする。で、学名まで調べるとなるとさらに面倒くさいというわけ。
投稿者 sekiguchi : 2010年06月04日 10:00
湿原の植物
車山高原で、山を降りて疲れきった後の話。日没までまだ時間があるので、湿原に行ってそこの植物を撮ることにした。湿原というのは簡単に言っちゃえば浅い沼に草やコケが生えまくり、枯れた植物が積み重なっていった水はけが悪い土地である。積み重なった枯れ草は、気温が上がらないため分解しきれずに炭化し、泥炭になってゆく。
湿原は標高の高い土地によく見られるが、これは年間平均気温が低いためである。南の土地になると、標高が高くても年間平均気温が高くなるので湿原が維持できない。だいたい中国地方あたりに南限があるらしい。
こういった日当たりがよくて水が豊富にあるにもかかわらず、気温が低く、土地の養分が低い環境では珍しい植物が繁殖している。湿原でよく見られる食虫植物は養分を補うために虫を取るのだと聞いたことがある。
そういうわけで、普段は見ることのない植物がたくさんあるだろうと考えた。ただ、僕は植物の専門家じゃないし、事前に調べておいたわけでもない。とにかく、珍しそうなもの、きれいなものをステレオ撮影することにした。
整備された遊歩道を歩き、ここから撮影する。湿原の内部に足を踏み入れてはいけない。それは安全のためではない。踏み固められた場所は普通の植物が根を下ろしやすく、湿原の草原化が進んでしまう。湿原の保護のため、遊歩道以外を歩くことはいけないことなのだ。それでも、遊歩道からでもたくさんの植物を観察することができる。
日没が近くなり、そろそろ引き上げようかとしたとき。カメラのシャッターダイヤルを見ると1/125sになっている。しまった!どこかでうっかりダイヤルを回してしまった。1/60sでないとストロボが同調しないのだ。結局、湿原で撮ったフィルムの半分がボツになった。デジタルでもフィルムでも、撮影前の機材点検。これ、とっても大事です。
投稿者 sekiguchi : 2010年05月28日 10:00
マツムシソウとタテハチョウ
高山植物というのは日常ではあまり触れることのない花が咲き、観賞の対象として面白い。シーズンオフのスキー場など、夏場の観光用にリフトを運転しているところもある。こういったものを利用すると楽である。本格的に山に登る装備をしなくても、撮影機材が多少あっても山の上のほうに行くことができる。山を徒歩で降りながら撮影するというわけだ。
だいぶ前になるが、長野県の車山高原に行くことがあった。初夏のさわやかな風が吹く中、ステレオ撮影機材を担いでリフトに乗った。山々が見渡せ、雲がたなびき、いい気分である。リフトから眺める足元には、色とりどりの花が咲いている。あれもこれも珍しい。リフトを降りたら順番に撮影しよう。撮影意欲が涌いてくる。
だが、リフトを降りたとたんに気がついた。予備のブローニーフィルム全部を車の中に置き忘れてきたのだ。機材の準備をするときに、10本入りの箱ごと座席の足元に置いたのだ。日が当たって温度が上がらないようにと一時的に置いたのだ。それをバッグに入れ忘れた。リフトを降りたとたん、記憶のスイッチが入ってそのときの記憶が鮮明によみがえったのだ。
下りのリフトに乗ってフィルムを取ってこようか、とも思ったが、とりあえず手持ちのフィルムで撮影しながら降りると決めた。これがいけなかった。スキーで降りるのなら1分もかからない。そんな記憶が判断を誤らせた。撮影しながら徒歩で降りると思ったより時間がかかる。1時間歩いて半分しか消化できない。こんなに時間がかかるとは思わなかった。
カメラのフィルムカウンターを気にしながら撮影するのは疲れる。ようやく下まで降りきったときには疲れ果てていて、フィルムを持ってもう一回登る気にはならなかった。一休みして、別の撮影スポットで気分を変えることにした。
デジタルでもフィルムでも、撮影前の機材点検。これ、とっても大事です。
投稿者 sekiguchi : 2010年05月25日 10:00
鉱物の世界
水晶の結晶のような、透明で規則正しい形をした鉱物が地中で作られた、というのはなんとも不思議なものである。地面を構成しているのは地味な石ころや砂ばかりだが、これらも美しい鉱物たちも、組成の成り立ちは同じようなものである。地殻を構成する元素が、何らかのプロセスを経て結晶の形になったものが美しい鉱物として現れる。
特に硬いものは磨かれ、宝石として扱われるが、その原石とか、宝石としては扱われない鉱物を目にすることは少ないかもしれない。鉱物を扱っている店というのもあるが、扱う種類が多くはないし、特にきれいなものだけ売っているので高価である。
そんな中、毎年新宿で開催されるミネラルフェアというのがあり、ここに行くとその規模に圧倒される。国内外から多くのディラーが集まり、鉱物、化石、隕石などなどが展示販売されている。値段も手ごろなものからあり、買わずとも一日中眺めて回っても面白い。聞いたこともない鉱物に会えることもある。僕にとっては、手のひらほどの小さな結晶を値切って買うのがいつもの楽しみだ。
さて、購入した鉱物はルーペで拡大してみると一層面白いのだが、ルーペでの観賞は片目になる。両目でステレオ視したら面白いだろう、ということで拡大したステレオ写真を作ることにした。これにはフィルム一眼レフを使い、接写リングに標準レンズをリバースで取り付け、特に倍率を大きく設定した。慎重にフォーカスをあわせ、1枚目を撮影したら鉱物をわずかに横にスライドしてもう一枚を撮る。これで視差のある左右画面が撮れたはずである。スライドの幅はテキトウだ。
現像してマウントにセットすると、実に自然な感じで立体視できるではないか。鉱物結晶を拡大してステレオ観賞するのはオモシロイ。こんなものがどうやって作られたのか。地底というのは本当に神秘の世界である。ステレオ観賞はオモシロイが、写真だといろいろな角度で見られない不満が出てきた。やっぱり実体顕微鏡が必要かな。
△ミネラルフェアの化石ブース
投稿者 sekiguchi : 2010年05月07日 10:00
暗視装置
暗視装置と言っても、スパイ映画に出てくるような光を増幅する装置じゃない。前に紹介した自作のマクロステレオカメラだけど、レンズの絞りが固定なので薄暗くなるとピント合わせがまったくできなくなる。被写体までの距離を測ってカメラをセットすればいいのだけれど、動き回る被写体とか、昆虫や小動物のように逃げてしまう被写体には使えない方法だ。
ピントを合わせる間だけ、被写体をライトで照らしてやればいいのだが。露光の邪魔になるので、シャッターを開けるときはこのライトはOFFにしなければならない。カメラを構えたまま、一連の撮影動作でライトのスイッチ操作をやるのはムリ。そこで考えたのが、カメラのシャッターボタンに押しスイッチを付けて、このスイッチを押している間はライトがOFFになるような仕組み。ライトをOFFにするスイッチをシャッターと一緒に押し込めば、撮影動作の中にライトの消灯動作を組み入れることができる、というわけ。
早速、秋葉原に行って部品の調達だ。一番肝心なのはライト。懐中電灯程度のものでいいのだが、発光する部分がコンパクトじゃないといけない。これがなかなかいいものが無く、途方にくれていると安売り雑貨屋の店頭に粗末な懐中電灯が売っていた。1個100円なり。なぜか電球の部分が中途半端なフレキシブルになっていたが、これが使える。
このライトを適当に切断し、電池やリレー、スイッチを収納したボックスに無理やりエポキシ接着剤で取り付けた。このボックスはマミヤ645の三脚ネジ穴を利用して、カメラの底部にしっかり固定できるように作っている。ちょっと仰々しい姿になったが、薄暗いところでの撮影に絶大な威力があるカメラに変身した。暗闇でもピント合わせが簡単にできるのだ。
目下の目標は、暗くなると出てくるヤモリの撮影に使おうと思っている。でも、ヤモリにも行動範囲があるのか、屋根の端っこのほうにしか出てこないのでなかなか撮影の機会に恵まれない。
投稿者 sekiguchi : 2010年04月27日 10:00
カマキリ・ファイト
秋口になると、草むらでカマキリの卵を見つけたものだ。子どもの頃はその形の面白さから採集したりもしたが、最近の子供たちはカマキリの卵を知っているだろうか。大人になった今では採集することなどないが、僕が子供の頃の話。葦の茎に産み付けられたオオカマキリの卵を採ってきた。それを、部屋のどこかに置いたままうっかり忘れてしまった。その後の顛末を紹介しよう。
春先になり、だいぶ暖かくなってきたある日、部屋のあちこちに小さなカマキリがいるのだ。初めは外から迷い込んできたのだと思ったが、あまりに数が多い。気味がわるくなって良く考えると、外から持ち込んだ卵を棚の奥に置きっぱなしだったことに気がついた。あわてて手にとっても遅い。スポンジ状の卵殻はすでに中身が空っぽだ。
そんな悪夢のような、忘れていた思い出は、マクロステレオカメラを持ってフィールドに出たときに。初夏にさしかかろうという季節、大きくなり始めた草木の葉に、あの小さなカマキリがいるのを見つけた。まだ小さく、生まれてからさほど経っていないに違いない。あの時部屋にいた、たくさんの子カマキリたちの姿が脳裏に浮かんでくる。
ということは、この近くにまだたくさんいるはずだ。一匹見つけたら百匹はいる。どこかで聞いたようなフレーズが浮かんでくる。草木の葉の隅々を観察すると・・・いるいる。たくさんの子カマキリがいる。だが、卵から生まれた兄弟たちはもっと数が多かったに違いない。彼らは生まれてすぐの頃は共食いをするのだと聞いたことがある。
レンズを向けるとこちらの動きを察知して逃げる。葉の表にいたヤツが、サッと葉の裏側に回りこむ。しかし、逃げた先には先客がいた。たぶんコイツの兄弟だ。お互いに睨み合い、ファイティングポーズをとったまま動かなくなった。さあ、どちらが先に仕掛けるか・・・シャッターを切った後、僕がレフェリーになって片方を別の葉に追いやった。やれやれ。
投稿者 sekiguchi : 2010年04月23日 10:00
ミドリの恐怖
春先の森や雑木林に行くと、木々の新芽や、つつじのつぼみが膨らみだしている。落ち葉で覆われた地面からも、ところどころ草の芽が出始めている。真夏になると藪に覆われてしまうところも、春先ならいやな虫に会わずに奥のほうまで入ってゆける。カメラを持って、何か面白い題材はないかと散策をしたときのことである。
この日にカメラに装てんしたフィルムは、当時新しく期間限定で発売されたフジのフォルティア。従来のフィルムより鮮やかで、原色が際立って表現されると聞き、興味津々で初めて使ったのだ。こういうのが出てくるというのは本当に嬉しい。フィルムの種類が減ってゆく中、新しいフィルムを出してくれることに感謝している。
さて、近所の山に行ってみる。どうということのない山であるが、とりあえず遊歩道がある。あちこちにもう花が咲いている。地面にはスミレが群生していて、小さな紫の花がたくさん咲いている。こういうのはもうだいぶ撮ったので、もうちょっと変わったものがないものか。見たこともないような、不思議な生物に出会えないものかと森の奥のほうに入ってみる。
しばらく歩くと、道が手入れされていない、苔むした感じになってきた。倒木が道をふさいでそのままのところもある。なかなかイイ感じにワイルドになってきた。もっと進むと、どうやって進めばいいんだ?というような道なき道になってしまい、こんなところで遭難?という思いがよぎる。ついには湧き水が沢になった場所に出くわし、進めなくなった。
足元を見ると、シダの仲間が生い茂っている。新芽がゼンマイのように巻いている。この形、よく見るととても不思議だ。突然開いて、襲われるのではないかというような不気味な形でもある。これをステレオで撮る。
現像すると、フォルティアは緑の発色が濃く、独特だった。意図した以上に不思議な生物感が溢れる仕上がりになった。
投稿者 sekiguchi : 2010年04月13日 10:00
2回撮りマクロ
マクロでステレオを撮るというのはオモシロイものである。それにしても、なぜ「マクロ」と言うのだろう。辞書で調べると「マクロ経済学」なんていうのが出てくる。この場合の意味は「経済を巨視的に見る・・・」なんて書いてある。ええっ?巨視的に見るって、マクロ写真の意味には当てはまらないんじゃないの?ミクロ写真とか、ミクロレンズって言ったほうがぴったりなんぢゃねぇの?と、頭の中が混乱してくる。
どうやら、被写体を拡大して撮影するという意味で、拡大の意味を持つ「マクロ」を冠しているらしい。拡大写真、拡大レンズ。なるほど。そうなると、「マクロ・ステレオ」と言うならば、フィルム上で等倍以上の画像が得られるべきではないか、というわけで、強力に拡大したステレオ写真を撮影してみることにした。
拡大率を大きくしながら画面サイズを確保したステレオカメラというのは、構造的に作るのが難しい。一眼レフに接写レンズをつけて、カメラか被写体を左右にずらして2枚撮り、視差を得るというやり方が簡単だ。どのくらいずらせば良いかというのはやってみて確かめるしかなさそうだ。被写体が勝手に動いては困るので、室内で動かないものを対象にした。
接写専用のレンズが手元になかったので、一眼レフに標準レンズを接写リングを介してリバースで取り付ける。レンズの前玉がフィルムのほうを向くように取り付けるのだ。こうしたほうが強拡大の場合はいい結果が得られる。絞りを最小にして、被写界深度をかせぐが、それでもピントの合う範囲はごく薄くなる。暗くなったピントグラスがとても見えにくい。
今回は被写体をわずかに5mmほど左にずらしてみた。現像すると同じようなコマが二つ並んでいるだけのように見える。マウント前に裸眼の平行法で確認してみると、確かに立体になっている。これはオモシロイ。
投稿者 sekiguchi : 2010年04月06日 10:00
てんとう虫
飛んでいる昆虫を撮影するのはとても難しい。動きが素早く、予測不可能な動きをするからだ。マクロカメラの薄暗い、焦点の浅いファインダーで追いかけて撮影するのはとても大変だ。ハエを箸で掴むようなものだ。だから飛び立つ瞬間を待ち伏せで撮る。甲虫の場合は、羽を広げて飛ぶまでフォーカスを合わせて待ち伏せて撮る。この甲虫を撮るのが大変。
カブトムシやカミキリムシがいつ飛び立つかなんて予測がつかない。待ち伏せているあいだも動き回るので追いかけるのが大変。そんな中でも、テントウムシのように棒の先端に登りきったところで飛び立つ習性を持つものはまだ撮りやすい。それでも、わざわざ棒を立てて撮影するのも無粋だなあ、ということで、草むらの中で動き回るテントウムシを追いかける。
葉の先端に行ったところで飛ぶかな?と予想をつけてカメラを構える。でもそのまま折り返して、違うところに行ってしまうことも多い。そんなことを繰り返しているうち、運よく飛び立つことがあるのだが、こっちはあわててしまう。シャッターを切った瞬間にはフレームの外に飛んでいってしまっていることのほうが多いのだ。
そんな苦労の末、なんとかフレーム内に納まったものがある。テントウムシは外側の羽を大きく広げ、内側の薄い羽を羽ばたかせているのがわかる。飛しょうの光跡が尾を引いている。おや?この光跡、テントウムシの頭側から伸びている。
バックしながら飛んでいるわけではない。マクロカメラのベースとなったマミヤ645のストロボシンクロは、先幕シンクロといって、シャッターが全開した瞬間にストロボが発光するようになっている。一般的なフォーカルプレーンシャッターは全部先幕シンクロだ。シャッターが閉じ始めた瞬間にシンクロする後幕式ならテントウムシの後に光跡が伸びるように写るのだが。
いつかマミヤ645を改造して後幕シンクロを増設してやろうと思うのだが、壊れても困るので躊躇しているところ。
投稿者 sekiguchi : 2010年04月02日 10:00
幸福の木
何かのお祝いで貰った「幸福の木」という植木が実家にある。30cmぐらいの丸太が植木鉢に立ててあって、その丸太から葉が出ているという、文章にするとなんとも変な姿しか想像できないような代物なんだが。これが、環境が合っていたのかどんどん育っている。植え替えたりしながらもう今では10年以上経つ。茂った葉が天井に届きそうになっている。
特に花も咲かない、いわゆる観葉植物というヤツだ。成長に勢いがあり、いったいどこまで伸びれば気がすむのだろうと思っていたら、見慣れない芽のようなものが出てきた。その形からもしや花の芽か?と思っていたら大きくなりながら伸びてきた。白いつぼみのような、球状の集合体が枝についている。この球状体がいくつも枝にぶら下がっているのだ。
これは珍しいコトかと思って調べたら、やっぱり珍しいコトらしい。幸福の木というのは、「ドラセナ」という植物の、いくつかの亜種のうちの一つのようである。花を咲かせるのは珍しく、数年に一度しか咲かないのだそうだ。それに、たいていの家庭は花が咲く前に株ごと枯らしてしまうらしい。そんな珍しいものなら、無事に開花して欲しいものだ。期待して待つ。
ようやく花が開き始めると、甘い香りが部屋中に広がる。こんな小さな花なのに、これほどまでにと思うほど香りが強い。放射状に並んだ花はマクロステレオに最適の被写体、ということで早速撮影。マウントに仕上げるとなかなか面白い。
数日の後、花は全て散ってしまい、あの甘い香りも部屋から消えた。花が散ったら株ごと枯れてしまうかと心配したが、相変わらず旺盛に成長している。あれから2回目の開花の兆しはない。たまに写真を見ては懐かしく思うくらい印象的な出来事だったのだが。はて、あの甘い香りはどんな風だったか。時が経つと記憶が薄れる。ステレオマウントに香りも記録できれば面白いだろうに。将来デジタル技術が進歩し、いずれは香りも記録できるようになるだろうか。
投稿者 sekiguchi : 2010年03月09日 10:00
霜柱
霜柱というのは霜とは発生のメカニズムが違うそうだ。霜は空気中の水蒸気が氷になったものだが、霜柱は土に含まれた水分が凍ってできる。霜が成長して柱状にまでなった、ということではないのだ。
この霜柱、最近は見なくなったと思っていたのだが、温暖化とかそういう問題ではなさそうだ。霜柱ができるような地面が少なくなったということらしい。そう言われれば、普段の生活で土の地面に接する機会がずいぶんと減った。昔は自動車が通らないような小道にはよくて砂利がひいてあったぐらいだが、今はどんな小道にもアスファルトがひいてある。
アスファルトというのは石油から作るんだよなあ、と考えると、人間はずいぶんとたくさんの石油を地面から吸い上げたことになる。砂利とか砂を混ぜてあるとはいえ、結構な量の石油が必要なんじゃないかな。ほんと、すんごい量である。このアスファルト舗装のために霜柱ができる環境が少なくなっている。だから見なくなっているのも当然だ。
霜が降りている寒い朝に、近くの空き地に行ってみると踏み固められた地面には霜柱はない。やわらかい畑の土のようなところじゃないとできないようだ。そんなところはないものかと探してみると、やや粗い土が盛ってあるところにできていた。これが、一見しただけでは霜柱があるように見えない。足で踏んだら崩れたのでわかったのだ。盛り土の表面が氷で持ち上げられているので、外からちょっと見ただけでは普通の土の面しか見えないためだ。
久しぶりに見て、ああ、こんな風だったと思い出した。氷の柱はよく見るときれいだ。早速マクロステレオカメラで撮影する。柱状に成長するメカニズムはどうなっているのか。興味が尽きないが、日が昇って地面が温められ始めるとどんどんと融けてゆく。条件によっていろいろな形態の霜柱が発生すると聞く。次にはどんなものを見ることができるだろうか。
投稿者 sekiguchi : 2010年02月09日 10:00
氷でできた宝石
寒い寒い冬がやってきた。大地が硬く凍っているかのように冷たい。秋にあれほどうるさく鳴いていた虫たちも姿を消し、卵の姿で冷たい大地の中でじっと冬が過ぎ去るのを待っている。空気は乾燥し、冷たい風がさびしく吹いている。こんな季節はマクロカメラを持ってフィールドに出ても被写体となる題材が乏しく、さびしい気分になる。
だが、こういう季節だからこそ出会えるものもある。底冷えのするような朝は、放射冷却現象のため地面一面に霜が降りていることがある。この霜のできる過程というのは結構不思議な現象だ。乾燥した空気の中にも、ある程度の水が水蒸気、つまりは水が気体の形で空気に含まれている。地面が空気よりも先に氷点下に下がり、その時の空気の温度と含まれる水分量がある一定の条件を満たすと、水分が昇華して地面に氷として現れる。気体から直接固体になるという不思議な現象なのだ。
ここで霜が付いた様子をルーペで拡大してみよう。小さな氷がキラキラと輝いているのが見える。小さな粒は、空気中の水分が結晶の形で固まったものなのだ。一度液体になって水から固まったものではないから、粒の一つ一つが単独の結晶なのだ。雪の結晶にも似ている。天然の水晶のように表面が角ばっているものもある。だからキラキラと光っている。
この霜は、朝日が昇り、日光が当たるととたんに融けて消えてしまう。太陽がまだ低い位置にあるわずかな時間帯が撮影のチャンスだ。フィールドに出ると、葉牡丹にたくさんの氷の結晶ができている。拡大するととてもきれいだ。自分の息で氷が融けないように注意しながら撮影する。フィルムをマウントして、ビュアーで見ると氷の粒が光って見える。
フィルムをスキャナーで取り込んだが、輝きがうまく再現できない。マクロモードのあるカメラなら、2度撮りでステレオになるから皆さんもチャレンジしてみるといい。くれぐれも温かい服装で風邪などひかないようご注意を。
モニターだとキラキラが見え・・・ないですネ。すんません。
投稿者 sekiguchi : 2010年01月15日 10:00
コスモス通信
応答せよ。応答せよ。
こちらコスモス7598。我々は貴殿の来訪を待っている・・・。
日ごとに日差しが短くなってゆく。
もうすぐ冬がやってくる。冷たい風が吹き抜ける。
そんなある日、庭の片隅に小さなパラボラアンテナが開かれた。
アンテナはもう寒くなりはじめた空に向けられている。
訪れる虫たちは、すでにどこかにいってしまった。
それでも、誰かを待つように精一杯アンテナを広げている。
応答せよ。応答せよ。
こちらコスモス7598。我々は貴殿の来訪を待っている・・・。
通信に必要なエネルギーがもう少ない。あと何日持つだろう。
冷たい風が夕闇を運んできた。
空には氷のように輝く星がはりついている。
こちらコスモス7598。我々は貴殿の来訪を待っている・・・。
もしかしたら、遠くの星に住む住人がこの小さな声を聞いているのかもしれない。
投稿者 sekiguchi : 2009年12月26日 10:00
秋の一コマ
最近、秋が短くなっているような気がする。夏の暑い盛りから一気に冬に突入するようなずいぶんと乱暴な気候変化になっているのではないか。気のせいかな・・・。実りの秋とも言うが、木々が赤く染まり、木の実が大きくなり、草木の緑が黄色く変わってゆく変化を楽しむ。そんな日々がだんだんと短くなっているような気がするんだけど。気のせいかな・・・。
マクロカメラの活躍する季節は春から秋にかけてで、冬になると稼働率がガクンと落ちる。ストックしているフィルムの期限切れが迫って来るので、いつも秋になると慌てて古い順にフィルムを消費する羽目になる。とはいえ、この季節はフィールドに出るといろいろと被写体も多い。まさに実りの秋であり、じっくり観察するといろいろなものに出会うことができる。昆虫たちの姿がどんどんと減る中、ミツバチやハナアブたちは少ない花に群がって競って蜜を吸いに来る。ミツバチなど、冬を越すための食料集めに必死だ。陽だまりが暖かい時間帯は花の周りに沢山の羽音が響く。
他には植物たちがいっせいに実を付ける。種で冬を越し、春にまた新しい芽を出すためだ。種といっても小さな種。これが種なの?というものも、拡大してみると種なんである。たとえばススキ。ススキの穂は種の集合だ。種に細かい毛が生えていて、風に乗って遠くまで飛ぶのである。これをステレオ撮影すると面白い。普通の平面写真ではどうということはないが、立体になると細かい毛の一つ一つが独立した存在に見えるのだ。マクロステレオの醍醐味はこういうところにある。
さてさて、マクロステレオの季節もそろそろ終わり。これから寒い寒い冬がやってくる。小さな生き物たちはひっそりとどこかに隠れてしまうだろう。冬のあいだも何かいい被写体はないだろうか。霜柱なんかが題材としては面白いのだが。最近は昔ほど霜柱を見なくなったような気がする。気のせいかな・・・。
投稿者 sekiguchi : 2009年11月13日 23:45
ミツバチを撮る
マクロステレオカメラを自作して、初めて撮影した昆虫がミツバチだった。ミツバチはご存知の通り毒針を持っている。刺されるのではないかと恐れる人も多いが、蜜を吸っている蜂が何もしない人間をいきなり襲うことは少ないようだ。花に集まるミツバチは忙しそうに花の蜜を集めている。カメラを構えて近づく。刺されないように、なんにもしませんよーと、そーっと近づく。ストロボを発光させても驚くふうも無い。
初めのうちの撮影は花に留まって蜜を吸っているところを撮る。だんだん、飛んでいるところを撮りたくなってくる。だが、すばやく飛翔するミツバチをファインダーで追いかけるのは至難の業だ。とてもうまくいくものではない。そこで、夢中に蜜を吸っているところを近づいて、フォーカスを合わせて待つ。そのうち次の花に向かって飛び立つので、その瞬間にシャッターを押すのだ。こうすると飛翔している姿を撮影することができる。ミツバチというのは、一つの花を仲良く一緒に吸うということは無いらしい。他のハチが近づくと飛び立つ。この瞬間を狙うと、2匹のハチを一緒に写すことができる。
そんな感じで撮影を楽しんでいたが、あるとき偶然にもある養蜂家のご好意で巣箱の中のハチを撮影させていただいた。いわゆる網付きの帽子とかの防具も無く、丸腰の状態で撮影に望んだのだ。自作のマクロカメラは約30cm先のものに合焦する。煙で燻して刺されないようにしているとはいえ、さすがにこのときは近づくのが怖かった。なんにもしませんよーと念じながら数枚を撮った。その中には女王蜂のショットもあった。なかなかできない体験であった。
ミツバチというのは社会性の高い昆虫で、その生態は古くから研究されている。フィールドで蜜を吸っているのを見ても感じられないが、巣箱の中でせっせと動き回る彼女ら(働き蜂は全部メス)の社会はとても不思議な魅力に満ちている。
投稿者 sekiguchi : 2009年09月28日 00:06
マクロステレオ(後編)
肝心のレンズが決まっていなかったが、何とかなるかな?ぐらいにしか考えていなかった。ネットで諸先輩の製作例などを拝見すると「写るんです」のレンズを使われている方々もいらっしゃる。そんなのがないかなとカメラ屋に立ち寄ると、ジャンクカメラがカゴいっぱいに積んであった。1台200円也。これはと思い、てきとうにコンパクト機をペアで数台購入。さっそく分解する。38mm/F2.8のレンズユニットがペアで入手できた。
ただし、これをマミヤに取り付けるとフランジバックが長いので高倍率になりすぎる。どうやって倍率を下げるか?、画質を落とさないようにする方法は?、左右画面の仕切りは?、絞りの取り付けは?、絞って暗くなったファインダーでのピント確認方法は?、ストロボの光量設定は?とか、とか、とか。。。課題は盛りだくさん。
課題は多いが、一つ一つクリアしながら組み立ててゆく楽しみがある。問題を解決するたび目標に近づいてゆくのが分かる。完成間近には桜が咲き始め、テスト撮影に最適な季節が到来した。ボロくてジャンク寸前だったマミヤ645が、世界で一台の試作カメラとして生まれ変わったのである。
さて、フィールドに出てみるとちょうど菜の花が咲き、たくさんのミツバチが飛んでいた。ファインダーは暗いがフォーカス確認の秘策がある。静止しているものならまず外さない。1本撮り終えてさっそく現像に出す。さて、結果は・・・。
ファインダーで確認した通りの構図で記録されている。ルーペで確認すると、心配だった解像度はミツバチの体毛が分離できるほど高い解像度が出ている。隅々まで均一な画質で、アウトフォーカスも素直なボケ。マミヤ645はタテ走りシャッターなので左右の画面でタイムラグがない。ミツバチの羽ばたきをしっかり捕らえる事ができた。リアリストマウントに仕上げて鑑賞すると、ビュアーの奥に緻密な、小さな世界が広がる。
近接立体画像撮影装置の完成である。残念ながら量産化の計画はありません。
投稿者 sekiguchi : 2008年05月17日 10:23
マクロステレオ(前編)
立体写真の中でも、花や虫などの小さな世界を写したものは非日常を楽しめる。とても面白い。これを撮影するには、ステレオベースを短くしてマクロレンズを装着したカメラが必要だが、これが世の中にあまりない。リアリストのボディをベースにしたマクロリアリストがあるが、中古マーケット価格は異常に高い。おまけに目測で撮影しなければならない。飛び回る昆虫を追いかけながら撮影するにはチョット無理がある。マクロ撮影ではごく薄い被写界深度の中で、構図とピントの確実な確認をしなければ満足する結果は得られにくい。どんなに高価なカメラでも自分の目的に合わないのならば意味がない。
というわけで、マクロ専用のカメラを自作することにした。世の中に使いやすいものがないのなら、作ってしまえということで、まず次の7つの項目をコンセプトとして立てた。
1.飛び回るミツバチが手持ちで撮影できること。
2.構図とピントが確認できるよう、一眼レフボディをベースにする。
3.リアリストマウントが使える画面サイズは最低確保する。
4.被写界深度を浅くしすぎないため、倍率はある程度控え目でもいい。
5.絞りはある程度絞った状態で固定にし、ストロボ撮影を前提にする。
6.画質は妥協しない。
7.なるべく安く作る。
ベースとなるカメラはマーケット価格も考慮して、初期のマミヤ645にすることに決めた。かなりくたびれたものでも、少々汚くてもいいが、ストロボ前提だからホットシュー付のプリズムファインダーが要る。シャッター最高速は1/500secのモデルで十分。探して探して、本当にくたびれた安い一品を見つけた。これだ。
あんまり汚いので、改造の前に手の届くところすべてのクリーニングをし、レザーを貼りなおした。実はこのときはまだレンズが決まっていなかった。見切り発車である。
投稿者 sekiguchi : 2008年05月11日 11:44