STEREO CLUB TOKYO

東京天文台

 夜空の明るい東京。星が見えない東京。その東京には大きな天文台がある。国立天文台である。“くにたち”じゃないよ。“こくりつ”だ。でも、場所は“くにたち”からちょっと都心寄りの三鷹にある。昔は東京天文台という名称だった。
 ここには世界屈指の大望遠鏡がある。カール・ツアイス製65cm屈折望遠鏡だ。最近では小さな天文台でも65cm級の望遠鏡がある。だが、それらは全部反射望遠鏡なのだ。超大口径のレンズを使った屈折式望遠鏡はいまでもかなり珍しい部類に入る。口径は同じでも屈折式は巨大なシステムになる。今の時代、巨大な屈折望遠鏡は作られていない。
 国立天文台は予約なしに一般見学ができ、現役を退いた大望遠鏡達を間近に見ることができる。これらは、どれも昭和初期に設置されたものばかり。今では新たに作られることのない、巨大な望遠鏡の姿はまさに圧巻だ。
 天文台の大きなドームがある建屋に一歩踏み入れると、古い設備であることがすぐに感じられる。屈折望遠鏡はミラーを使った反射望遠鏡よりも全長が長い。ドームも巨大なものになり、天井が高い。なんとドームは木でできている。
 不思議な雰囲気の場所だ。未知の世界を探求した人々の思いが残っているような気がする。奥の方から、白衣を着た白髪の博士が登場しそうな感じ。今では使われていない望遠鏡だが、今でも使用できる状態にあるという。
 望遠鏡があまりにも巨大すぎて、カメラのフレームに納まらない。僅かな明かりが高い天井をほのかに照らしている。薄暗い室内。スローシャッターで露光をしなければならない。ドーム天井の木の雰囲気が出るよう、慎重に露出を決定する。三脚を持ってこなかったので、呼吸を整えてシャッターを切る。この雰囲気をステレオで残したい。
 ドームの外には、満天の星空が広がっている姿を想像しながら撮影した。かつてはそこにあった、素晴らしい星空を。

大赤道儀室.jpg

65センチ屈折.jpg

もと画像(フィルム)は、雰囲気を出すためにアンダー気味に露光しています。
WEBでは黒がつぶれすぎて見えずらいため、コントラストと明るさを上げています。
そのためざらついた画面になっていますが、ビュアーを通してみたフィルムは透明感が素晴らしいですヨ。

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年12月29日 13:00

⑥広場での出会い

 昨年、2010年の7月にテレビのニュースで紹介されていたのが、グラン・プラス広場を色とりどりの花で敷き詰め、絨毯のように飾る祭りの様子だった。たくさんのベゴニアの花を使うそうである。
 この祭り、隔年で実施され、その期間も3日間だけという。テレビの画面からでも、十分美しさが伝わってくる。その場に居合わせたら、どんなに幸せなことだろう。僕が訪れたのは祭りの無い年だった。
 グラン・プラスは長方形の敷地を歴史のある建造物が周りを囲む。ゴシック建築の市庁舎、かつては王の家と呼ばれた市立博物館、ギルドハウスなど。オープンカフェやレストランも並んでいる。
 広場の中心に立って、ぐるりと見渡すだけで、過去にタイムスリップしたような気分になる。祭りの時期でなくとも、この大きな石畳の広場にはたくさんの観光客が集い、街の人たちの憩いの場でもある。
 リアリストを首からぶら下げて散策していると、子供たちが列を成して広場に入ってきた。幼稚園か、小学校低学年のちょっとした遠足だろうか。列の前後には引率の先生方だろう、ちょっと年配のご婦人が付いている。
 早速、子供たちが鬼ごっこを始めた。あちこち駆け回る子供たち。時折、先生が子供達に注意を促す大きな声が広場にこだまする。子供たちはそんなことにはお構いなし。はしゃぎまわって、駆け回る。
 そのうち、子供たちが僕のリアリストに気付き、興味深そうに覗いてくる。3Dカメラだよ、と言うと、なぜかレンズを覗き込む。一人がやると、みんなやりたいのだね。笑いながら覗き込むのがかわいい。
 子供達に「写真を撮るよ」と言うと、みんなで並んで笑顔を向けてくれた。では、またね。(ベルギーの旅・おわり)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年12月15日 10:00

⑤ルーツはおなじ

 欧州の都市を訪れると、教会に行ってみるというのがお決まりのようになった。ブリュッセルにも大きな教会がある。聖ミッシェル大聖堂である。15世紀に完成するまで、300年を要したという。
 地図を頼りに、緩やかな長い上り坂をのんびり歩く。坂を上りきったとき、それと一目でわかる建物が視界に飛び込んでくる。小高い丘の上に建っているので、教会の入り口で振り返るとブリュッセルの町並みが見渡せる。
 中に入ると、静かで薄暗い。この教会も内部の明かりはステンドグラスとろうそくの灯火だけ。左右を見渡すと、大きなステンドグラスがずらりと並ぶ。その図柄は聖者の伝記に基づくものなのだろう。ひとつひとつ、眺めてゆくだけで時間の経つのも忘れそうになる。これらの絵は、どのような物語を記しているのであろうか。
 精巧に造られたそれらは、宗教的な意味合いだけでなく、美術品としても貴重な存在。五百年を超える昔に、これだけのガラス工芸技術があった。ガラスに着色するには、様々な金属や、金属酸化物などを混ぜて発色させる。透明で美しい、濁りの無い着色ガラス。きれいな赤を出すには金を混ぜることもあるという。
 ガラスというのは不思議だ。加えるものやその量で色味が生き物のように変わる。ステンドグラスの職人たちは、イメージに合った色を出すのに何度も試行錯誤をしたのではないだろうか。決して簡単な道のりではなかったはずだ。
 レンズもガラスでできている。屈折率を変えるためにいろいろな添加物を加えている。収差を打ち消すために、異なる屈折率のガラスを組み合わせるためだ。ここにも苦労の積み重ねがあっただろう。
 レンズ技術のルーツを辿れば、ステンドグラス職人達の苦心の技に、きっと行き当たるに違いない。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年12月08日 10:00

④ベルギーといえばビール

 ブリュッセルの大広場、グラン・プラスにつながる路地には、軒にテーブルを並べた飲食店がひしめいている。夕闇が迫ると、この辺りが一段とにぎやかになる。テーブルに客が付き出すと、活気が出てくるのだ。
 こういった歴史のある通りというのは、照明も落ち着いていて、なかなか良い雰囲気。ネオンギラギラ、昼間のように蛍光灯やらハロゲンランプで照らす、というのではマッチしないのだ。照明というのは色味をちょっと変えただけで雰囲気が大きく変わる。その場所に最適な照明というのは自然に決まってゆくのだろう。もし、新宿の繁華街がここと同じような照明だったら・・・怖くて誰も寄り付かなくなるかも。
 訪れたのは初夏にさしかる時期だったので、アスパラガスをメインにした料理をいただいた。ベルギーに限らず、この季節はどの国も旬のアスパラガスを食べるのだ。日本で言えば、たけのこのようなものか。
 このほか、貝類の料理もなかなかにおいしい。ただし、貝類はアタるとかなりきつい。生に近いような料理は用心したほうがい。過去に当たりを引いた人を何人も知っている。酒は消毒にならない。
 欧州で酒といったらワインを連想する人も多かろうが、この国ではビールを第一にお薦めしたい。日本では琥珀色で透明なピルスナータイプばかりだが、ベルギーには多種多様な味わい深いビールが語りつくせないほどあふれている。酵母が生き、ビンに詰められてからも醗酵を続けている、なんてものまであるのだ。
 そんなわけで、良い雰囲気の中でおいしい料理と最高に旨いベルギービールを堪能させてもらった。ここも日本より高緯度にあり、闇が空を包み込むのはゆっくりと進む。宴の声はいつまでも通りにこだましていた。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年12月01日 10:00

③あの物件

 かつて放送されていたTV番組、トリビアの泉を深夜枠の頃から見ていた。けっこうオモシロい内容だった。小便小僧の由来についても番組で紹介していたが、爆薬の導火線の火を小便で消した少年の勇気を称え、という説がある。面白いのは検証してみるという。ダイナマイトにつないだ導火線の火を、小便小僧の噴水で消すというのだ。そんなもので火が消えるものか。そう思って見ていると、案の定、小僧は木っ端微塵になってしまった。
 いろいろイジられる対象となる、ちょっと気の毒な小僧君。なんと同番組で、少女像もある、と紹介した。
 その場所は、ホテルの観光マップにも、一般的な観光ガイドにも記載されていない。だからといって、どこにあるのか聞いて回るというのもねぇ。現地の情報で、どうもこの辺りにあるらしい、というおぼろげな位置を知る。
 早速、夕食に行くのを兼ねて探してみるが、なかなか見つからない。まずいことに、目的地はレストランが多い通りの中にある。時間帯もあいまって、食事に出た観光客と間違われるのだ。通りを行ったり来たりしていると、あちこちから呼び込みが。「マタ会ッタネー。アナタ知ッテルヨー。オイシデスヨー。ヤマモトサン」なんて、妙な日本語で誘ってくる。僕はヤマモトではないし、あなたのところで食事はしない。それに今の目的は・・・。
 そんな説明ができるわけでもなく、彼らと目が合わないようにまた同じ通りをウロウロする。諦めかけたとき、小さな小路の中に見つけた。小路に折れる角には、僕をヤマモトと呼んだ彼が立っていた。お前が邪魔を・・・。
 この物件、判り辛い場所なのにけっこうな数の観光客が集まってくる。写真を撮る人もいっぱい。よし、小僧の時みたいに、周囲の人達もこの物件と一緒に撮る。・・・それは。できないよなぁ。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年11月24日 10:00

②ブリュッセル名誉市民

 世界三大がっかり、という言葉をご存知か。世界的に有名でありながら、期待したほどでもなくてがっかりする、そんなもののベストスリー、である。そんながっかりの一つがブリュッセルにある。小便小僧である。
 何でがっかりかというと、有名だから大きなものかと思ったら、意外にチッチャイ、というコトらしい。では早速、小僧君に会いに行こうではないか。ホテルにある簡単な観光地図を見ると、ちゃんと日本語で「小便小僧」とある。
 通りを歩いてゆくと、観光土産の店があちこちにある。店のウインドウには、小便小僧をモチーフにしたものばかりが並べてある。ブリュッセルといったらこれしかないでしょうに。というぐらいの勢いが感じられる。
 さて、この辺なんだが・・・と探しながら歩いているうち、うっかり通り過ぎそうになった。人だかりがしているので気がついたのだが。・・・ああ、やっぱりチッチャイ。世界ランクのがっかりという情報を事前に得ていたおかげだろうか、ショックには至らずに済んだ(笑)。赤い服を着た姿が愛らしい。服は日によって着替えられるそうである。やはり市民に愛されているのだ。服は毎日変わるのかと思ったら、翌日はマッ裸だった。裸の日?だったのかな。
 たくさんの観光客が来るのだろう。一つの人だかりが過ぎ、次の集団が囲む。人だかりがあると写真を撮るのに邪魔だという向きもあろうが、僕はむしろ逆である。小僧に向かってカメラを向ける人、笑顔の人が多いほうがいい。そんな人たちも絵の中に入れるのだ。そんなわけで、いい感じに人が集まってくるのを待っていたりする。この方が撮影に時間がかかる。周囲を見渡すとなるほど、彼には人々の心を暖かくする力がある。
 さて、小便小僧と対を成すものとは何でしょう。トリビアの泉でも紹介された、あの物件が次回登場します。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年11月17日 10:00

①ベルギー・ブリュッセル

 さて問題です。ワッフル、ビンの中で醗酵を続けるビール、フランダースの犬、これらに関する国はナニ?・・・はい、ベルギー、正解です。この国の首都、ブリュッセルを訪れた。リアリストも一緒である。
 ベルギーには変わったモニュメントがあったはず。そう思い出したのは旅の直前。ビューマスター・リールの収集で、なんとなく手に入れたのが1958年のベルギー万博のソフト。これにそのモニュメントがあった。巨大な金属球体が九つ、金属結晶を模したように連結されている。建築物としてこれほど特異なものはない。
 アトミウムと呼ばれるその建物は、ビューマスターの立体映像で見ると、その迫力が伝わってくる。球体には窓があり、内部に入って観望できるようになっている。こんな不思議な建物、実物を見たらさぞオモシロイことだろう。
 調べてみれば、今でもアトミウムは記念碑的に残されているのだという。ベルギーに行くなら、ちょっとだけでも見ておきたいものだ。だが、残念ながら今回の旅行のルートにアトミウム見学の予定は組まれていないのだ。
 ブリュッセルに降り立ったとき、思い出して何だかへこむ。だが、幸運が訪れた。空港からホテルまで行く車で、運転手が気を利かせて万博公園を通って行くと言うのだ。程なく、ビューマスターで見た巨大な球体構造物が、突然目の前に現れた。半世紀前の不思議な建造物がここに残っている。
 内部も見たかったのだが、残念ながらその時間は無い。何枚か撮った後、不安げな空から突然の大雨が降りだした。贅沢は禁物。当初の望みどおり、ちょっとだけ見られたのだ。願いがかなったのだから、文句はない。
 さてこれから、リアリストで撮った写真とともに、ブリュッセルの街をご案内しよう。お付き合いください。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年11月10日 10:00

ラ・フェスタ アウトゥーノ

 10月10日は晴れることが多い日だと聞く。この日を含めて三連休となった。久しぶりに家族と温泉に行こうと決めた。 圏央道、関越道を経由して草津に行くルートを選定し、車でお出かけ。昔は車にお金をかけたこともあるが、マニュアルミッションの車は極端に少ない時代。運転する楽しみが奪われたような気がして、今はATの小さなクルマ。
 スピードは控えめ、というか控えめにしか出ない車でまだ渋滞の始まっていない高速道を流していると、古いオープンカーが目の前に現れた。あちらもスピードは控えめ。年配のご夫婦が乗っておられる。ああいう車で旅行をするのも楽しいだろうなぁ、ああいう余裕がほしいものだと妻と話をしていると、バックミラーに赤い、変わった車が映った。
 ン?紅の・・・豚、いや、赤い彗星!?それはあっという間に視界を通り過ぎて行ったが、それもやはり古い車。こういうのが好きな人が多いのだろうか。そんなふうに考えていたら、後から後から、古い車がどんどん現れる。
 よく見れば、車体にはゼッケンのようなものが貼ってあるし、サポートカーのようなものも並走している。後で調べたらラ・フェスタ アウトゥーノ2011というイベント。4日間で1200kmを走るが、どれも1967年以前の車だという。
 偶然にも僕たちの旅行のルートと重なったため、たくさんのクラシックカーと並走するという夢のようなひと時を得ることができたのだ。走っているクラシックカーを間近で見るというのは大きなインパクトがある。感動する。ほんとに。
 運転しながら撮影をするのは非常に危険デス。運よくサービスエリアで彼らを間近に見ることができたので、こちらも同年代のステレオカメラ“リアリスト”を取り出して撮影。なんでわざわざ使いにくい古い機械を使うのか。だって、こっちの方がおもしろいんだ。まあ、簡単には言い尽くせないところがあるのよ。僕もあんな車に乗ってみたい。

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年11月03日 10:00

史上最大の宴会

 ここでは自分のことを「僕」と称している。だが、同年代ぐらいの初対面の方とお話をするとき、お互いにウルトラマン世代ですねぇ、と切り出すと気持ちが通じる年齢だ。で、特に歳が近い人だと、どちらかというとウルトラセブンが好きでしたねぇ、なんて話題に発展する。当時のちびっこ男子は100%、ウルトラセブンを視聴した経験を持つのである。
 こういうのは、キン肉マン世代とかガンダム世代というのと同じであろうが、ウルトラセブンは人気の高さから再放送が繰り返されたため、年齢層に幅があるという特徴があるみたいだ。僕も含めて、好きな人が多い。
 今から15年ほど前。出先の食堂でなんとなく手にした週刊誌に目が釘付けになった。ウルトラセブンにアンヌ役で出演の、ひし美ゆり子さんが本を出すという。で、サイン会が開かれるとも。当時のちびっこ男子は100%、アンヌ隊員が初恋の人である。これは会いに行かねばならない。サイン会の場所は、初台の小さな古本屋さんであった。
 今はもうないこの古本屋さんは、ひし美さんのお兄さんのお店。小さな路地にファンが列を作っていたのを思い出す。一人ずつ、時間をかけて話をしてくれるその姿は、噂にたがわぬ人を幸せにする人。会えてよかった。
 サイン会の後で、調布駅近くの台北飯店におじゃました。ここはご主人のお店で、チャーハンが絶品である。うまい料理を肴にビールを傾けていると、ファンのためにひし美さんがお店に来られたではないか。これにはびっくり。
 そんなご縁で、ファンの皆で開いたパーティにも混ぜていただいた。縁という不思議な力を感じたのだが、それは、ひし美さんの人柄が多くのファンを常に引き付けている、と思うのである。各方面で、また、ツイッターでもご活躍のひし美さん。これからも私たちのハッピーの中心で笑顔をふりまいてくださるだろう。

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▲ファンからの誕生日ケーキを手に

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▲ビデオシーバーで誰かを呼び出し・・・w

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年09月15日 10:00

⑦北欧の夕暮れ

 さて、舞台はスウェーデンの首都、ストックホルムに戻る。ここは、北緯60度近辺という高緯度に位置している。北海道の稚内でさえ北緯45度近辺だから、地理的な環境というのは日本とはだいぶ違う。なんといっても、四季の移り変わりに伴って日照時間の長短の変化が大きいというのは、日本に住む我々の想像を超えている。
 夕食を終えて、ちょっと一杯飲んで外に出る。でも、まだ外は明るい。なんだか、酔いの回りが早いような気がしながら、また別のところでビールを傾ける。ようやく日が落ちたのかなあ、というところで時計を見ると、もう22時前後。
 空がゆっくりと、しかし確実に暗くなってゆく。空が深い紺色に落ちてゆくと、ライトアップされた古い建物がその存在を誇示しているかのように美しく輝く。空の色とのコントラストが美しい。空の明るい時間が長い季節とはいえ、この美しい時間帯というのはやはり短い。夜の暗闇は、足早に町をすっぽりと覆い隠してしまうのだ。
 露出計のメーターが、だんだんと鈍く反応する。空の明るさが減ってゆく。こういう条件で撮影するには、小さくてもよいから三脚が必要だ。だが、あいにくこのときは三脚を持っていなかった。シャッタースピードが遅い。手持ち撮影ではどうしてもブレやすい。橋の欄干や、電柱にカメラを押し付け、構えにくい格好でファインダーを覗く。
 ファインダーの奥には、小さな光が動いている。車や電車の明かり、水面に反射する灯火が瞬いている。それぞれの光の配置はこれでいいだろうか。覗きにくいファインダーで構図を何度も確認する。
 うまく撮れますように。そう祈りながらシャッターを押す。小さなガバナー音が、シャッターがちゃんと働いていることを教えてくれる。何回かシャッターを切るうちに、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。(スウェーデンの旅・おわり)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年09月01日 10:00 | コメント (2)

⑥ノーベル

 スウェーデンの有名人といえば誰か?・・・やはり、アルフレッド・ノーベルだろう。ダイナマイトの発明とそれに関係する事業創成で巨万の富を築き上げた人、ノーベル賞の提唱者である。伝記に登場する偉人の一人だ。
 もちろん、スウェーデン国内でも、ノーベルは偉大な人物として広く認識されている。王宮の近くにはノーベル博物館があり、彼の偉大な業績を称えている。博物館のミュージアムショップでは、ノーベル賞のメダルを模ったチョコレートが売られ、ノーベルの横顔が描かれている。ありがちなみやげ物のようだが、味の点でも結構評判なのだという。
 ストックホルムにある博物館のほうは結構有名だが、彼が研究に費やした建物は郊外にあり、今ではノーベル記念館として保存されている。特に観光地として紹介されている訳ではなく、訪れる邦人は少ないのではないだろうか。
 手入がされた庭には、かつて実験で使用されたであろうものが展示されている。 偶然にも、訪問した日が休館日にあたっており、興味深い資料が並ぶであろう記念館の内部は、残念ながら見ることができなかった。
 ここを訪れるのは、もともと予定に入れていなかった。時間の都合で立寄ったとはいえ、休館だったのは残念。でもまあ、こういうときは「また来れるのだから、また来なさい」というメッセージなのだろうと、前向きに考えることにしている。
 木造の記念館の前には庭が広がっていて、周囲の木々もよく手入がされている。いつも思うのだが、ヨーロッパの人々は庭の手入をきちんとしているということ。特にゲストを迎える庭など、凝らした工夫がされていて、粋である。
 庭の真ん中には花壇がしつらえてあり、ノーベルの銅像が建っている。もし、彼がダイナマイトの発明をしなかったか、あるいは遅れていたら。世の歴史はちょっと違うルートをたどったことだろう。(つづく)

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▲ノーベルの家
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▲奥の建物は実験室の一部
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▲ノーベルチョコ

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年08月25日 10:00

⑤郊外へ

 首都ストックホルムから列車に乗って郊外に出ると、周りの風景が一変する。北欧の水の都とも称されるように、ストックホルムはたくさんの島からなるが、北の方に行くにしたがい、針葉樹の深い森に囲まれてゆく。この風景、北海道の原野に似ている。地平線の先まで、どこまで行っても森が広がっている。これが北欧の風景か。
 列車は森の中を、風を切り裂くように突進する。客車はガタゴトと大きく揺れながら機関車に引かれてゆく。北国の大地を進むには、これぐらいの力強さが必要なのかもしれない。いくつかの小さな町を通り過ぎ、目的地に着く。
 ここに来たのは観光ではなく、仕事の用事で来たのだ。大きな工場が立ち並ぶ街にやって来たのだが、日本の工業地帯とはだいぶ趣が違う。針葉樹の森の中に、手入のされた庭が広がって、この中に工場がある。そんな雰囲気なのだ。
 工場の内部というのは、被写体としてはとても魅力的だ。だが、多くの工場は、写真撮影はおろか、カメラの持込さえも制限されている。それが常識なのだ。物作りのノウハウは工場のいろいろなところにちりばめられている。ライバルであれば、どんな工夫がされているか、写真を見るだけで察知してしまうだろう。だから、写真を撮ることは絶対ダメ。
 それでもいつか許されるならば。モノクロームのフィルムで工場の写真集など作ってみたい。そう思うほど、物作りの現場は魅力にあふれているのだ。働く人の真剣なまなざしはいい絵になるはずだ。・・・まあ、かなわぬ夢だろう。
 工場の近くに設けられたゲストハウスに宿泊したのだが、ここから見る景色が素晴らしい。会社の敷地には緑があふれ、よく手入がされている。休日には散歩を楽しむ人も多いと聞く。ようやく夕日が空を染めだした頃は夜の8時をまわろうかというころ。遅い散歩を楽しんでいると、藪の中からのウサギがこちらを覗いていた。(つづく)

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▲電気機関車に引かれてゆく
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▲北欧の森

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年08月18日 10:00

④王宮から下町へ

 スウェーデンの王宮を訪ねた日、偶然にも建国記念日で、王宮の広場では儀仗兵のパレードがあるという。朝には観光客もまばらであったのが、パレードが始まるころになると広場は見学客で埋め尽くされた。各国の駐在武官も正装で出席している。広場の中心を空けるように立ち入り制限のロープが張られると、身動きができなくなってしまった。
 パレードに参加する儀仗隊は、各地方の部隊からそれぞれ集まっているようで、制服も、披露する内容も、特色があってなかなか面白い。要人を歓待するために訓練された兵士たちの動きは、からくり仕掛けの人形のようにさえ見える。
 次々に披露されるパレードを見ているうち、だんだんと人が増えてきて、このままでは出られなくなってしまう。そう感じて早々に引き上げ、ちょっと早めに昼食を取る。昼間からビール。この国では常識である・・・のかな。
 王宮から目抜き通りを抜け、ストックホルム中央駅まで歩く。この通り、みやげ物などの商店も多く、多くの人でにぎわっている。この雰囲気、何かで見たことがあるような気がする。ヨーロッパ風の架空の街を舞台にした映画で、ここに似たような通りが出てくる。たとえば、あれとかあの映画とか。具体的なタイトルは言いませんけど。
 こういった風景を撮影するとき、たまたまそこに居合わせた人たちも風景の一部である。なるべく風景に合った感じで取り入れる。このとき、自然な感じで取り込むのがとっても難しい。撮っていると悟られないように撮るのだ。
 じっとカメラを構えて、構図を練っていたりするとうまくいかない。すばやく、直感を働かせ、構図を決める。周囲の風景に溶け込むようにして雰囲気を消して、撮る。だから、ぎらぎらと目立つ最新式のカメラではなく、リアリストのような古臭いほうがいいのだ。おまけに、変な形でカメラには見えないこともある。・・・なんだか、忍者のようでござる。(つづく)

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▲王宮広場でのパレード
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▲ガムラ・スタンから市街地へ抜ける大通り

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年08月11日 10:00

③ガムラ・スタン

 スウェーデンの地図を見ると判るとおり、たくさんの湖が点在している。また、ストックホルムは海に近く、上空から見ると、島々や中洲がモザイクのようにちりばめられている。まさに水の国、水の都だ。
 今度はストックホルム中央駅近くのホテルから歩いて船着場に行き、小さな船に乗って対岸に渡った。船を使わず、歩いて行くこともできるが、船風を浴びるというのもいい。青い空に海鳥が群れている。
 船を降りると、王宮に続く長い登り坂があり、丘の周りを古い町並みが囲んでいる。このあたりはガムラ・スタンと呼ばれていて、石畳の細い路地と、昔からの建物が、長い歴史を語るかのように保存されている。
 細い路地は、縦横にさらに小さな路地につながっていて、奥のほうには大聖堂の時計台がこちらを見ている。こういった風景をステレオで撮るのは楽しい。リアリストで撮っていると、自分が風景の一部になったような気がしてくる。
 天気が良いので、日のあたる部分と、陰になった部分のコントラストが大きい。こういう被写体は、露出をどこに合わせるのか悩むところだが・・・。でも、ステレオの場合、暗い影に埋もれた風景もうまく表現してくれる。僕はこのような時、日の当たっているところを優先させ、シャドー部分はやや落ち込むようにして撮っている。そのほうが自然に見えるようだ。
 さて、仕上りが楽しみだ。もし、デジタルだったら、うまく撮れたかその場で確認したくなるだろう。フィルムではそれができないから、どんな仕上りになるのか想像を大きく膨らませながら撮る。それが楽しいのかもしれない。
 スタジオデラックスを使って、日の当たるところと、陰になっているところを計る。針の触れた範囲で、シャッターと絞りの組み合わせをどの程度にしようか考える。頼れる露出計は、イメージを膨らませる助けをしてくれる。(つづく)

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▲王宮の丘から港を臨む
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▲ガムラ・スタンの小路

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年08月04日 10:00

②教会

 スウェーデンに限らず、欧州の街中には、立派な教会があちこちにある。たくさんありすぎてか、旅行ガイドブックにもろくに紹介されていなかったりする。たとえば、ストックホルム中央駅の正面から大きな塔が見えるクララ教会。地図に載っているが、特段の紹介はない。凝った飾りの付いた美しい尖塔は、駅前のシンボル的な存在でもあるはずなのに。
 近くに行くと、敷地を囲う柵に設けられた扉は閉ざされ、カギがかかっている。一般の見学はできないのかと訝しがったが、よく見れば公開の時刻が表示されている。朝早く来すぎたので入れない、ただそれだけのことだった。
 崇める宗教が違うという理由で、入門を拒まれるのではないかという心配は杞憂である。誰でも、訪れる者は受け入れてくれる。ただし、神聖な場所であるゆえ、謹んで、不敬のないようにしなければならない。
 さて、スウェーデンは立憲君主制であり、王国である。中央駅から散策しながら、徒歩で行ける距離に王宮がある。小高い岡の上にあり、すぐ隣に大聖堂が建っている。大聖堂の大きな塔は、クララ教会と同様に、遠くからも良く目立つ。
 昼頃に大聖堂を訪れると、中では聖歌隊の合唱が始まっていた。ろうそくの灯火とステンドグラスで照らされた室内に、美しい歌声がこだまする。この時間にめぐり合った幸運に感謝しつつ、この感動を忘れないようにとシャッターを切る。
 どの教会もそうだが、内部は音が反響する構造になっている。広い空間の中に、パイプオルガンとドーム型の天井、柱には聖者の像が並ぶ。教会をテーマにした、立体写真の写真集を作りたくなるような世界が広がっている。
 ただし撮影には、かなり厳しい環境にある。明るくないので、かなりの低速シャッターにしなければならない。だからといって三脚を立てることもできない。己の精神力でブレないよう、聖なる力を借りてシャッターボタンを押す。(つづく)

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▲朝のストックホルム中央駅
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▲クララ教会
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▲王宮の大聖堂

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年07月28日 10:00

①スウェーデン

 フィルムカメラを使う者なら、誰でも一度は憧れたことがあるハッセルブラッド。かつて、アポロに載って月面の鮮明な映像を地球に持ち帰ったのはハッセルブラッドだった。では、この素晴らしいカメラを生み出した国はどこかと問われ、即答できる人は少ないのではないだろうか。ノーベル賞で知られるアルフレッド・ノーベルの故郷、スウェーデンである。
 スウェーデンは、かつて中立主義を取りながら、兵器産業を維持してきた歴史がある。それらを含めて工業国としての技術力はかなり高い。アポロに載せるカメラを作ることができたのも、この国の工業技術が支えていたのだ。
 6月のある日、この国の首都、ストックホルムを訪れた。この時期の北欧は夜が短い。21時ぐらいはまだ空も明るく、23時頃になってようやく暗くなってくるというところ。しかし、到着したときには街中が闇に包まれていた。
 旅の疲れもあって、ぐっすり寝たつもりだったが、時差のせいで早く目が覚めてしまう。ホテルの外に出てみると、古風な、荘厳な建物が、通りの向かいから語りかけてくるようだ。旧中央郵便局だという。こんな建物があちこちにある。
 朝の4時ということもあり、通りには人影も少ない。太陽がまだ低い位置にあるため、ちょっと肌寒い。街の雰囲気は良いものの、通りにゴミがこれでもかというぐらい散乱しているのには閉口した。これでは撮影どころではない。
 やれやれ、早起きは三文の得とは、たいした得でもないという意味か、などと思いつつホテルに引き上げる。ちょっと早めの朝食をとり、ゆっくりとコーヒーを飲んでから再び通りに出てみると、雰囲気が一変していた。
 たくさんあったゴミどもは、清掃車が一掃し、通りは仕事に向かう人々であふれている。今日の一日が始まるという感じ。あわててカメラを取りに部屋に戻り、この風景を撮影した。では、スウェーデンの旅、お付き合いいただこう。(つづく)

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▲早朝の街は人影も少なく、タクシーだけが通る
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▲旧郵便局の玄関

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年07月21日 10:00

火口の島

 三日月形をした島の真ん中に、誰も住んでいない小島がある。この島が大昔、海に浮かぶ火山だった名残だ。海に沈下した山の、火口の部分が小島になっている。サントリーニ島には遊覧船があって、この火口の島に渡ることができる。
 船に乗り、内海を巡る。火山活動は完全に休止しているわけではなく、一部には温泉が涌いているという。そのスポットに船が到着すると、皆、海に飛び込んでゆく。日本の温泉のような雰囲気ではなく、海の一部が温かくなっているというわけ。カナヅチの僕は温泉に浸かるのは遠慮しておいた。とても船から飛び降りる勇気はない。
 内海は穏やかで、波も少ない。ふと船の縁から海底を覗き見ると、どこまでも透明で美しい。火山島の荒々しさとは対照的な美しさが海の中にある。誰かがビスケットを投げ入れると、小魚たちがいっせいに群れてついばむ。
 船は温泉客を収容し、火口に続く入り江に到着した。ここから歩いて火口を見るのだ。本島の美しい街並みとはかけ離れ、荒々しさだけが広がっている。足元は黒い岩ばかり。溶岩が固まったものだ。中には溶岩の流れた模様がくっきりと刻まれた大岩もある。歩きづらい、道なき道の山登り。さすがに体力が尽きてきた。
 火口まで行くことは断念し、ちょっと一休み。先に行った人達が戻ってくるあいだ、辺りを眺めると溶岩の岩ばかりの土地にも植物が根付いている。遺跡のある山で見た、香りの強い草花が群生している。風で種が運ばれるのだろうか。荒れ果てた土地にも、こうして生命が根付こうとしているのだ。命というのはなんと逞しいことか。
 火口まで行った人達が船に帰ってきた。皆満足げな表情だ。大きな黒い岩を土産に持ってきた人もいる。船は火口の島に別れを告げ、内海を廻ってもとの港に帰ってきた。さて、今日でこの地ともお別れだ。また会いましょう。
(ギリシャの旅・おわり)

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次週より、別の異国の地をご案内いたします。お楽しみに。

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年07月14日 10:00

火山のビーチ

 美しい海岸、というイメージで誰もが想像するのが白い砂浜。南国の海岸に広がる真っ白な砂浜というのは、サンゴが波で砕かれた砂。サンゴ由来ではない白い砂浜は、石英の砂のことが多く、ルーペで見れば透明な粒が見える。ちなみに、踏みつけると音がする鳴き砂は、石英の砂が擦れあって音が出る。音の出る鳴き砂の浜は、不純物の泥などがないためとても綺麗だ。だが、これらサンゴや、石英の粒というのは、火山性の土地にはまず見当たらない。
 さて、サントリーニ島にもビーチがある。島の内側の海は湖のように波が穏やかだが、火山の外輪山が沈下してできているため断崖絶壁ばかり。島の外側の海は波が荒い時もあるが、いくつものビーチが点在している。その中に、普通のビーチとは全く趣の異なる、しかし美しいビーチが島の南端にあるという。レンタカーでフィラの街から30分ぐらいだろうか。だいぶ右側通行、左ハンドルの運転に慣れ、景色を見る余裕も出てきたので、レッドビーチと呼ばれるそこへ行ってみた。
 向かうビーチは、車を止めて徒歩で丘を登り、海に向かって降りるという道を辿る。丘の上に立って驚いた。海の対岸が切り立った崖になっていて、真っ赤な岩肌が一面に広がっている。対峙するかのように、海はどこまでも碧い。細長いビーチにはたくさんのパラソルが並び、とても美しい光景だった。
 ビーチに降りるまで、いくつかの岩を乗り越え、急な斜面に気をつける。波打ち際に降りると、赤黒い小石が敷き詰められている。手に取ると、たくさんの穴があいていて軽い。火山の礫が堆積してできたのだろう。
 パラソルを借り、しばらく日光浴をする。海に入ると、真夏だというのに結構冷たい。透明度が高い海に浸かりながら、迫り来る真っ赤な壁を臨む。こんな海岸が世の中にあるとは。自然が作り出した奇跡の海岸である。(つづく)

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▲赤い砂浜が広がる (ヨーロピアン改造リアリストで撮影)

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年07月07日 10:00

波の音

 サントリーニ島をレンタカーで巡る。三日月形をした島の内側は湖のように穏やかだが、外側は波が荒い。瀬戸内海と日本海ぐらいの違いと言えば分かりやすいだろうか。島の南東の砂浜が広がるところにはビーチパラソルが並び、小さなレストランや土産物屋が並んでいる。潮風と波の音が心地いい。ビーチのはずれにある駐車場にレンタカーを止め、散策をした。
 ビーチの端のほうに切り立った崖が見え、この崖の壁面に洞窟のようなものが見える。その形から、人の手で作ったものであることがわかる。山の上にあった遺跡と同じ人達の手によるものだろうか。
 小さなレストランの入り口に老婦人がニコニコしながら立っている。洞窟についてカタコトの英語で聞いてみると、やはり遺跡であるという。どうやらこのレストランのオーナー婦人のようだ。もしかしたらこのご婦人、遺跡を作った人々の末裔だろうか。
 せっかくなので、ここで昼食を頂くことにした。ビーチの近くでオープンテラスになっている席があり、魚料理を注文する。オリーブオイルをたっぷりかけてグリルされた大きな魚が運ばれてきた。老婦人が何か話しかけてきたのだが、英語の辞書しかもっていなかったので、残念ながらわからない。嫁サンと首をかしげながら、たぶん「いい男だね」と言ってくれているに違いない、などと勝手に解釈していたのだが。。。後で調べたら「どうぞ召し上がれ」ということだった(笑)
 この魚料理、旨かった。波の音を聞きながら、のんびり昼食を取る。そんな日が一年のうちに何回かあったほうが、人間にとって良いことなんだと思う。もっとのんびりしたかったのだが、老婦人に別れを告げる。
 帰り際に一緒に写真を撮って欲しいと頼むと、ニコニコしながら僕たちを両脇に抱きかかえてくれた。おふくろさん。そんな感じの人だった。もしも前世があるなら、僕らは大昔、みんなであの山の上の街に住んでいたのかもしれない。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年06月30日 10:00

香る風

 エーゲ海に浮かぶたくさんの島々。この中にアトランティス伝説の起源ではないかといわれている島がサントリーニ島だ。三日月型の島と、火山の噴火口を持つ小さな島から成る独特の形は、素人目にも過去に大きな海底火山の噴火と隆起、沈降があったことが想像できる。実際、この島では古代の遺跡が今も発掘されており、火山活動が人々の生活に大きな影響を及ぼし、また大量の火山灰がその生活の痕跡を埋め尽くしてしまった歴史があることを物語っている。
 今は観光地として賑わい、美しい街並みは心和ませる。内湾は波も穏やかで、切り立った海岸沿いの丘には白とブルーで彩られた家々が並ぶ。島の外周にはビーチとレストランがあり、夏のバカンス時には世界中から観光客が集う。
 一方、島の中央から南は小高い山になっており、今は住む人もいないが、大昔に都市があったことを示す遺跡が残っている。曲がりくねった見晴らしの良い道を車で上ると、古代の遺跡が広がる場所に出る。石造りの住居跡や、階段、石畳、柱を立てていたと思われる窪みなどが無造作に残っている。一体、どのような生活がここで為されていたのだろうか。
 ここは島でも一番高い場所にあるため、島全体を見渡せる。にぎやかな街並みが小さく見える。日差しと風が強い。その風に乗って、独特のスパイスのような香りが漂っている。初めて出会う香りのはずなのに、どこか懐かしい。辺りを調べると、ここに点在する植物から香っているのであった。おそらく、失われた都市でもこの香りが漂っていたのであろう。
 なんという植物か街の人に聞けばわかるだろうと、一輪だけ折って山を降りた。だが、だれもその名を知る人はいなかった。帰国してから「カレープランツ」と呼ばれていることが分かったが、あの香りはカレーの匂いとは程遠い。遺跡の中で風の中に身を置いていると、古代の人々の賑やかな営みが聞こえてくる、そんな気がする香りなのだ。(つづく)

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▲ヨーロピアン改造リアリストで撮影
 手前にあるのが香る野花

投稿者 J_Sekiguchi : 2011年06月23日 10:00

夕日の街

 サントリーニ島を観光するにはレンタカーが便利だろう。そう思って借りたのだが、ここの道路は日本とは通行区分が逆なのだ。日本では車は左側通行。ギリシャでは右側通行。おまけに、借りた車は左ハンドル。これには参った。
 日本での右ハンドル運転の感覚をリセットし、いつもとは全て逆なのだと意識しても、どうせうまくはいかないだろう。乗る前から思っていたが、ほんとうに途方にくれた。まっすぐ走る分にはいい。だが、右でも左でも、どっちかに曲がるととたんに分からなくなる。前の車についていけばいいのだが、前に車がいないとなると困った事になる。
 手のひらにびっしょり汗をかいて、緊張しながらハンドルを握るなんて、ここ何年も経験したことがない。対向車のクラクションで緊張がもう一ランク上がる。追い討ちで大型車とのすれ違い。助手席の妻殿が話しかけてくるが、聞いている余裕なんてナイ。死ぬかと思ったヨ。何の話だったか改めて聞いてみると、たわいのない話。怖くないらしい。
 それはともかく、ようやく右側通行に慣れてきたかなぁという頃、太陽は西の空低くに輝いている。島の北端の町、イアは、世界で一番夕日がきれいだという。すっかり若葉マークがえりの僕には、少々遠距離だが行ってみることにした。
 到着すると、たくさんの人達が岬のほうに集まっている。夕日は大きく減光し、赤く輝く円盤のように見える。だんだんと水平線に飲み込まれるように沈んでゆく。円盤が上下につぶされたように歪みながら、しずかに水平線と一つになろうとしている。とても美しい光景だった。ただ日が沈んでゆく、毎日繰り返される光景のはずなのに。
 さて、宿まで来た道を戻らねばならない。日が暮れ、恐怖の右側通行&夜間運転だが、ここにとどまるわけにはいかない・・・あれ?いつの間にか、ハンドルさばきが苦ではなくなってきた。これなら明日はどこへでも行けそうだ。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年06月16日 10:00

アテネにて

 アテネの市街は、静かで落ち着いた雰囲気がある。東京のビル街や、繁華街のようなあわただしい気配がない。石畳の小道を行くと、土産物屋やカフェが軒をつらねる。土産物屋にちょっと入ってみる。ここは、銀細工のアクセサリーを売っている店のようだ。様々な銀細工が並べられている。こういうのを眺めて回るのは楽しいものである。
 細工物のデザインの中で、渦巻き模様を連ねたものが多いことに気がついた。一見すると中華皿の縁に描かれている渦巻きに似ている。中国文化の影響があるのだろうか。店の人に聞くのだが、どうにも言葉がうまく伝わらない。どうやら、古代ギリシャ神殿の柱の装飾に見られる渦巻き模様、これを象っているということらしい。後で調べると、中国で使われている渦巻き模様よりギリシャのものの方が古く、中国の方が影響を受けた可能性もあるらしい。
 店の雰囲気が良かったので長居をしてしまった。渦巻き模様の神秘さに惹かれ、いくつか細工物を購入した。銀は黒くなりやすく、鈍い光を放っている。店の人がちょっと待っているように告げて店の外に出て行く。すぐに戻ってきたが、銀を磨いてきたようだ。彼の手にあるものは、銀特有のやわらかい輝きを放っていた。
 彼に礼を言って、幸せな気分で店を出る。さて、路地を行くと、どのカフェやレストランも外にテーブルを並べている。ちょっと一休み。街並みを眺めながらゆっくりとした時間を過ごす。本当に、時間がゆっくりと流れているんではないかと思える。こういうゆっくりとした時間の中で使うカメラはスローな方がいい。リアリストはスローなカメラだ。
 いつも思うのだが、ヨーロッパの古い街並みで使うカメラは、リアリストのような‘50年代のカメラが似合う。過去と現在が溶け込んだような雰囲気だから、この年代のデザインが合うのだろうか。さて、明日はサントリーニ島に渡ろう。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年06月09日 10:00

パルテノン神殿

 もうだいぶ前のことになる。夫婦でギリシャ旅行に行った。一週間の旅程で首都アテネとエーゲ海に浮かぶ島、サントリーニ島を訪れた。その時の様子を何回かにわたってご紹介しよう。
 日本からアムステルダム経由でアテネに行く。アムステルダムでの乗り継ぎ待ち時間が長く、かなりクタクタになってアテネのホテルに到着した。案内された部屋のテラスからアテネの街並みが見渡せた。街並みの奥、遠くの丘にパルテノン神殿が見える。夕刻を迎えて神殿の上に満月が昇ってきている。疲れが癒される思いだ。
 翌朝、パルテノン神殿に向かう。日本から西欧へは、行きの時差というのはそれほどきつくはない。朝食をゆっくりとり、タクシーで丘のふもとまで行く。丘を登ってゆく途中でも、あちこちで修復作業の大規模な工事をしている。その工事現場の中を縫うようにして、小高い丘の頂上に出る。すると、開けた視界に巨大な神殿が姿を現す。
 パルテノン神殿は、古代ギリシャの時代に建てられた壮大な神殿である。残念なことに、オスマン帝国の支配下にあった15世紀に弾薬庫として使われ、ここにベネチア軍の砲撃を受けたために破壊されてしまった。今、これを修復する工事のため、あちこちに工事用の足場が組まれている。修復途中でもその姿は圧倒的な迫力で迫ってくる。
 重機もない時代にこれだけの建造物を建てたということに、人類英知の底深さを感じる。ただ心配なのは、工事現場といいながらも、近くに寄って見学することができる。いきなりグラッと崩れてくることは?
 そんな素人の心配はさておき、この丘からはアテネの町全体を見渡すことができる。古い街並みがどこまでも続いている。異国の地にやってきたんだなぁと、心底感じる一瞬である。さて、丘を降りて街を散策しよう。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年06月02日 10:00

桃の花

 花見と言えば桜が相場だが、もうその季節も過ぎた。梅、桜、桃、どれも昔から花見の対象として楽しまれてきたが、桃の花を見るというというのは、なじみがないのかもしれない。だが、桜に負けず綺麗なものである。
 桃も桜と同様、果実をとる種類と、花を観賞する種類がある。花を観賞するものの中に、花弁が細かく、幾重にもなったものがあり、菊桃と呼ばれているものがある。この木が小さな森のように植えられている観光園が広島県の山間部にある。花の季節に訪れると、まさに「桃色」の森になっていた。桃の花を見るための観光園、珍しい。
 中に入ると、木によって花の色が異なっていて、これらが重なり合って美しい光景になっている。桃色、白、赤が重なり合っている。歩きながらこれらの色の重なり具合の変化を楽しむ、というのもいいものだ。ゴザをひいて酒を呑むだけが花見ではない。それにしても、種類の異なる桃の木をたくさん植えて、いっせいに咲く花を楽しむ。なんと贅沢なことだろう。この庭園は、オーナー自身が独自で作られたものだという。維持も含め、大変な苦労があることだろう。
 庭園の周りは深い森と竹林で囲まれているので、自然の中に桃の森が広がっているという感じで周囲とよくマッチしている。庭園内の散策ルートの最後の方で、小高い丘になっているところを上がってゆく。桃園の全貌が見えてくると、すばらしい眺めが眼下に広がる。桃でも桜でもそうなのだが、こういう花の咲く木というのは上から眺めると、とてもきれいだ。枝が花に隠れ、花が一面を埋め尽くす。ルートの最後に、一番きれいな光景に出会えた。
 ふと気付くと、背後に墓がある。一瞬ぎょっとしたのだが、きれいに手入れがされているその墓は、オーナーのご先祖の墓だ。桃園が一番良く見える場所に墓を建てられたのだろう。先祖供養、大切だな。

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年04月28日 10:00

チューリップの丘

 誰でも一度はチューリップの球根を鉢植えにしたことがあるんじゃないだろうか。小学校に入学して、初めてやるのが朝顔の種まき。そして次がチューリップ。小さなたまねぎのようなヤツから、可愛い花が咲くのが不思議といえばフシギ。
 17世紀のオランダでは、チューリップの球根が投機の対象になり、途方もない金額で取引されたことがあるという。チューリップ・バブルというやつである。珍しい花を咲かせる球根一つを買うのに、金貨が何枚も必要だったとさ。全くあきれるハナシなんだが。オランダといえばチューリップのイメージだが、その背景にはこんな歴史もあるのだ。
 広大なチューリップ畑を見るには、本場オランダに行くしかないというのは過去の話。いまでは日本国内でも各地で観光用のチューリップ畑が作られている。だいぶ温かくなってきたころ、家族で出かけたという次第。
 場所は広島県の世羅町。山間の高原の中に、大きな観光農園がある。ここでは季節ごとの花畑を作っている。民家も周りにない山間の、広大な畑が季節の花で彩られている。海外に行かずとも、チューリップの大パノラマがある。
 現地に到着すると、そのスケールに圧倒された。遠くの山々が見渡せる広大な丘一面が、パステルカラーの帯で彩られている。品種ごとに畑の畝を変えて植えられているのだ。こんな景色は北海道の富良野の花畑で見たとき以来だ。
 赤、白、黄色、ピンク、オレンジ、紫。花弁の形もあわせて、よくこれだけの種類があるものだと感心する。ただし、青色の花はない。思い出すのが、僕が小学校に入学して初めての理科のテストのこと。最後の問題が、チューリップに好きな色を塗りなさい、というもの。僕は迷わず青を塗った。しかし採点は、青い花はないということでバツ。なんと悔しいことか。青いチューリップは、現代科学の先端で、バイオの研究者が生み出す努力をしているという。早く実現してほしいものだ。

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投稿者 J_Sekiguchi : 2011年04月14日 21:00

月食の夜

 ここ何年も皆既月食を見ていない。初めて月食を見たのは小学生の頃、大晦日の晩だったと思う。深夜に月が全部欠けるというので、寝ているところを夜中に、両親に起こしてもらって見た記憶がある。満月がまるで、10円玉のように赤く暗くなっているのが印象的だった。それ以来、月食というのは大晦日の晩におきるものだと思い込んでいた。
 月食というのは、満月のときにある条件が重なると起きる天文現象だ。毎年同じ日に見えるわけではない。地球の影の中に月が入ると、欠け際のエッジがぼんやりしたように欠けてくる。地球の影の中に月が全部入り込むと皆既月食になる、というわけだ。皆既月食になると完全に月が見えなくなるのではなく、赤く暗い姿で天空に浮かんでいる。
 地球の影は月よりもだいぶ大きいので、日食と違って広い地域で皆既月食を楽しむことができる。また、完全に欠けている時間も数十分に渡る。月が地球の影の中心に近づくほど、また地球の大気の状態、たとえば大きな火山で噴火があったというような場合、皆既月食中の月の明るさは大きく落ち込む。
 ステレオ写真を撮るようになってから初めて見た皆既月蝕は、かなり暗くなったのを覚えている。一番暗い時間帯は、双眼鏡を使わなければ見えないほどだった。このときは皆既月食の時間帯がかなり長いこともあって、ステレオで面白い写真が撮れないかと考えた。ビルの谷間から覗く皆既月食。そんなものをステレオで撮ろうと思った。
 場所は幕張新都心。大きなビルが林立しながら道路は広く、夜になると人も少なくなる。車で撮影場所を探しながら移動するにはちょうどよいと考えたのだ。被写体が遠距離になるのでハイパーステレオが最適だろうと考えた。だが、このときはステレオベースを最適にすることに失敗し(長くしすぎ)、うまく撮れなかった。さて、次のチャンスはいつだろう。

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△リアリストで撮影したので立体感に乏しい。

投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月30日 10:00