STEREO CLUB TOKYO

旅の供

 バラトン湖から北東に130km。バスに乗り、ドナウの真珠と謳われるブダペストに到着した。街の真ん中をドナウ川がゆったりと流れ、街の東西をいくつかの橋が結ぶ。橋はどれも古風だが、中でも鎖橋と呼ばれる吊橋は見事だ。石の主塔と橋台に見事な彫刻がある。和名の「鎖」の元となった「CHAIN」は、本来の意味は「首飾り」だという。
 今日はこの鎖橋の近くのホテルに泊まり、聖イシュトバーン大聖堂、三位一体広場、漁夫の砦などを見てまわるのだ。それにしても、ウィーンもブダペストも、街に特徴がある。景観とか、建物の様式いったところだけじゃなく、街の雰囲気に独特のものがあると言ったほうが良いだろうか。日本の都市というのはだいたいどこへ行っても同じ様、というのと何か根本的なところで理由は同じじゃないかと思う。つまり、街の雰囲気というのは住む人によって作られる、ということか。
 さて、三位一体広場のレストランで昼食をとったが、使われている食器がヘレンドだった。装飾を控えた普段使い風の皿だったが、日本に輸入されているもののほとんどはこのクラスだろう。やはり、道具というのは使って良さを感じたい。価格がどうとかで評価するのではなく、使ってどう感じるか。これが道具の評価になる。そう、カメラも同じ。
 というわけで大いに満足した昼食の後、漁夫の砦の周りを散歩する。ここは小高い丘になっていて、ドナウを眼下にすばらしい大パノラマを見ることができる。リアリストを持って散歩。結構楽しい。ここでも何人かに「それ、ステレオカメラだろう?」と声をかけられた。「ええ、そうですよ。とても楽しいですよ」と応える。果たして、伝わっているだろうか。
 やがて日が暮れ、ドナウに街の明かりが映える。鎖橋に明かりが灯り、ドナウにかかる首飾りのように見える。静かに夜が更けてゆく。リアリストという旅の供がいてくれたおかげで、大切なものに出会えた。さて、またどこかの街で。(終)
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△遠景だと、立体感が出ません(笑)
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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月27日 10:00

感謝のしるし

 太陽はまだ欠けている。ちょっと太い三日月のような形をしているが、周囲は普段の日中の風景を取り戻している。大きな感動が過ぎ、体の力が抜ける。この体験は、どのような記録機材を駆使しても再現することは不可能だろう。コロナの濃淡の全てを記録できる装置はなく、ましてや写真プリントではコロナやプロミネンスの力強い輝きを再現できない。
 そんなことを考えながら、バラトン湖畔でビールを片手に余韻に耽る。写真撮影は少しだけした。でも、撮影結果が失敗に終わってもいい。自分の眼で見て、体で感じたものは決してカメラでは記録できないのだ。カメラは目では見えないものも捕らえることができるが、残念ながら目で見える全てのものを記録できるわけでもないのだ。
 この場所にいた、全ての人が感動に浸っている。皆、幸せそうな表情をしている。あちこちで祝杯があがる。感動のあまり、バラトン湖に飛び込む人までいるではないか。だんだんと力が抜けて、腹が減ってきたことに気付き、ホテルのスタッフが用意してくれた軽食とワインを貰う。彼らに礼を言い、彼らをステレオで撮影させて欲しいと願い出た。
 するとスタッフのチーフと思しき人物が、写真を送って欲しいという。彼の住所をメモし、必ず送ると約束した。(後日談。帰国してからステレオスライドに仕上げ、ビュアーと共に彼の元に送ったときのこと。彼は約束したのが立体写真だとは思っていなかったらしい。ずいぶんと喜んでもらえたようで、シーズンオフで家族と共にブダペストに引き上げた先から返事が届いた。)
 さて、皆既日食を終え、明後日は帰路につく。途中、ドナウの真珠とも謳われるハンガリーの首都・ブダペストに立ち寄り、最後の観光を楽しむ予定である。フィルムはまだまだたくさん残っている。ステレオ・リアリストも快調に働いてくれている。古い都に古いカメラがマッチして、いい写真が撮れるに違いない。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月23日 10:00 | コメント (2)

闇に光る太陽

 皆既日食当日。朝を迎えてあまり天候が良くない。前日まで観光三昧で、結構楽しんでいたせいもあって、僕はぐっすり寝ていたのだが。天気が気になる人はあまりよく寝られなかったらしい。深夜から天候が急変し、明け方前にはにわか雨と雷があったようなのだ。こんな場面に遭遇したら気が気ではないであろう。気にしたって晴れるわけではないのだが。
 観測場所は湖に面したホテルの庭だ。芝生になっていて、視界が開けている。場所としては申し分ない。天候は徐々に回復し、雲がだんだん薄くなってきている。これなら期待が持てそうだ。皆既日食の時間帯はランチタイムと重なるので、ホテルのスタッフがいつでも昼食を取れるよう、庭に用意をしてくれている。太陽が欠け始める。ここからが長い。
 太陽が徐々に細くなってゆく。月が覆いかぶさるように太陽を隠してゆく。辺りがだんだんと暗くなり、気温も少し低下してきている感じがする。待ちわびて、まもなく月が完全に太陽を隠す時がきた。まだ少し、薄い雲が流れている。
 細く細く、もう点のように小さくなった太陽だが、それでも強烈な光を放っている。そして完全に月が覆いかぶさるほんの少し前、黒い太陽の周りにコロナが輝きだした。周りから歓声が沸き起こる。薄い雲を通してはいるが、コロナの輝きは意外にも力強い。活動の極大期を迎えた太陽のコロナは大きく輝いている。記憶に刻むよう、じっと見つめる。
 黒い太陽の縁にピンク色の輝きが見えた。プロミネンスである。肉眼で見るプロミネンスは赤よりも明るく、美しい。ふと辺りを見回すと、周囲は闇に包まれ、月明かり程度のコロナの光りだけで照らされている。地平線の彼方がオレンジ色に輝いている。黒い太陽の周りにはいくつかの惑星と恒星が輝いている。神が創った奇跡の光景に出会えたことに感謝する。
 程なくして、太陽は力強い輝きを取り戻し始めた。旅の大きな目的の一つが今、終わりを迎えたのだ。(つづく)
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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月20日 10:00

晴れを祈りつつ観光

 皆既日食は明日。特に準備をすることもなく、また観光。今日はハンガリー国王、アンドラーシュ1世が埋葬されている修道院教会を訪れた。小さな建物であるが、内部は神聖な空気で満たされている。こういった古い寺院を見て回るというのもいいものだ。至る所に宗教画が描かれている。時間が許すならば、ずっと眺めていたい、そんな気分になってくる。
 明日の皆既日食が無事晴れるよう、できることなら力添えして欲しいと地下に眠る国王にお願いし、教会を後にする。後で思えば、国王も困惑しただろう。数百年の眠りを妨げられ、見ず知らずの東洋人に天気をどうにかしてくれと言われても。
 この後、有名なヘレンド窯の見学に行く。陶磁器の工場である。ヘレンドの陶磁器は繊細で美しい装飾がされているが、全て手書きなのである。多くの窯が大量生産に向くプリントによる絵付けを増やす中、頑なに手書きによる絵付けを続け、マイスターの育成に力を注いでいる。日本ではごく一部の製品しか入ってこないが、美術的評価の高いものが多くある。
 トルコの日食ツアーを選ばずにバラトン湖畔のツアーを選択したのは、ヘレンド窯をこの眼で見ることができるということが大きかった。工場にはミュージアムが併設されており、購入も可能。あれこれ見て回り、どれか一つ買おうということになったのだが・・・リアリストやら露出計やらを買ったので予算が少ない。これは困った。ここでしか買えないのに。
 結局、ハンガリーの民族衣装シリーズのフィギュアの中から「花嫁」をムリしてクレジットカードで購入。日本ではなかなか手に入らない。だが、「花婿」もいないと可愛そうだ、ということも気になっていた。後日談だが、だいぶ後になってebayで「花嫁」に相応しい「花婿」を探して購入。今は仲良く並んで飾ってある。ebayは便利なものである。
 さて、明日は皆既日食が起きる。今のところ晴れてはいるが、明日の天候はどうか。気になるところである。(つづく)
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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月16日 10:00

ワインフェスティバル

 ちょっと荒い運転のバスの旅を楽しみ、バラトン湖の畔にあるホテルに到着した。この時期、ハンガリーでF1グランプリが開催されていると聞いたのだが、まさかバスの速さはF1の影響か。それはさておき、湖畔の周りは観光客でいっぱいだ。バラトン湖は大きな湖で、海から遠い内陸にあって、夏の避暑地として毎年賑わうのだという。
 湖畔に沿った通りでは、ワインフェスティバルが開かれていた。道の片側に屋台風のワインバーがたくさん並んでいる。この辺りはワインの産地で、特に貴腐ワインのトカイは有名だ。早速、リアリストを持って散歩に出かける。
 カメラを持って気ままな撮影散歩をするなら一人がいい。もう自分は「あちこち見て回るモード」にスイッチが切り替わっている。屋台で小さなグラスのワインを飲み回りながらの撮影だ。ワインがうまい。気分が良くなって、店の娘に声をかけて撮影させてもらう。恥ずかしそうに笑うその姿をハイ、パチリ。次の店でまた飲んで、ハイ、パチリ。
 いくらグラスが小さいとはいえ、赤、白、トカイ、また赤からはじまって・・・これでは酔いつぶれてしまう。撮影のための飲み歩きは早々にやめて、湖畔を散歩する。真夏なのに蒸し暑さがない。日本と違って、湿度が低く過ごしやすい。湖からの風が心地よい。湖畔にヨットが留めてあり、水鳥が群れ、少年たちが釣りをしている。その風景を撮る。
 驚いたのは、通りを歩いているだけで「Oh!ステレオ」と何度か声をかけられた。日本よりステレオカメラの認知度が高いようである。で、声をかけてくれた人を記念にハイ、パチリ。僕はこういった旅行の写真には通行人であっても積極的にフレームに入れる。だけど、カメラを向けると「ああ、邪魔なのね」という感じで向こうからフレームアウトしてしまうことが多い。だからこういうときは「あなたは画面に入っていませんよ」というオーラを出して撮るのだ。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月13日 10:00

貴族の館

 ウィーンの街は美しい。音楽の都とも称されるこの街は、決して華美ではないが、歴史に裏付けされた重厚な雰囲気が感じられる。通りに面する建物はどれも古い。歴史を感じさせるものを街中で発見するたび、シャッターを切る。
 ヨーロッパの格式ある建造物。中でも格別なのがシェーンブルン宮殿だろう。18世紀の建造物、マリー・アントワネットとか、モーツアルトの時代のものといえばわかりやすいだろうか。巨大で豪華な宮殿と、あまりにも広大な庭園。宮殿の正面には大きな花壇がいくつも並び、生垣で囲まれている。宮殿のテラスに立つと、美しいパノラマが広がる。
 これだけの庭園を維持するため、たくさんの庭師が働いているのだという。周囲の生垣はきれいにカットされ、まるで迷路のようだ。訪れた時にも、庭師が手入れをしていた。花壇も季節によっていろいろな花に植え替えられるのだという。
 次に、やはり同時代に造られたベルヴェデーレ宮殿を見学する。ここの庭園もきれいに手入れがされている。かの昔、これらの宮殿で暮らした人々の営みはどのようなものであったか。それはどのような書物であれ、想像の域を越え、おとぎ話のごとく聞こえる。当時のステレオ映像でもあればより現実味を帯びた出来事として体感できるのだろうが。
 さて、ウィーンは中継地点でしかない。のんびりしている時間はない。観光を早々に切り上げ、ここからはバスに乗ってハンガリー・バラトン湖に向けて南下する。ウィーンの町から南南東に向けて約200km。途中国境を越えるが、思ったよりスムーズに検問をパスする。ハンガリーは過去、共産圏であった。国境の検問はもっと厳しいかと思っていたのだ。
 国境を越え、バスはひたすらハンガリーの片田舎を走る。単調だが、見慣れない風景が続く。それにしてもこのバス、飛ばすじゃないか。大きな図体で次々に遅い車を追い抜いてゆく。日本のバスとは大違い。早く着くかな? (つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月09日 10:00

リアリストを持って西へ

 欧州旅行へは、リアリストを持ってゆくと決めた。当時の相場価格は4万円前後。既に旅行代金を支払ったので、予算の余裕はない。いくつか中古カメラ店を回ると、格安のリアリストがあった。相場を大きく下回る価格で入手できたのは幸いだった。本当にうまく撮影できるか不安を抱えながらもこれを購入したのだが、その顛末は前に紹介したとおり。
 さて、購入したリアリストでテスト撮影だ。単体露出計が必要だったから、これも格安で中古のスタジオデラックスを買った。今まで、反射光式のスポットメータばかり使ってきたが、入射光式の露出計というのは実に使いやすい。テスト撮影の結果は露出もバッチリ適正で、マウントしたものを簡易ビュアーで覗くと、初めてビュアーで見た立体写真の感動がよみがえる。
 これで撮影機材は揃った。フィルムは多めに持ってゆこう。今回の旅行は、ロンドン・ヒースロー空港乗継でオーストリア・ウィーンに飛び、あとは観光をしながら陸路で国境を越えてハンガリーに入る予定だ。空港のX線検査が重なるので、念のため鉛入りのバッグを使う。フィルムはかさばらないよう、箱とケースを捨てて、小さなビニール袋に入れ替えてバッグに詰めた。30本のフィルムを手荷物にするための工夫だ。預け入れの荷物に入れたりしたら、より強力なX線でダメージを受ける。
 こうして、リアリストと露出計、フィルムの3点セットがいつも鞄の中にあるというスタイルができあがった。旅の間中、僕とリアリストはいつも一緒になった。撮影することが楽しい。初めてカメラを手にしたときの、撮影することが楽しかった頃の気持ちと同じだ。いつの間にか、日食を見に行く旅行が、ステレオ写真を撮りに行くという旅行に変わっていた。
 さて、長い長い空の旅の末、ようやく夜のウィーンに到着した。既に街はひっそりと静まりかえっている。外を見ても、墨を流したような暗闇に包まれた街角しか見えない。今日はもう寝るだけ。明日からが楽しみだ。(つづく)

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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月06日 10:00

昔の思い出

 今から溯ること約10年、リアリストを手にして欧州行きの飛行機に乗った。行き先はハンガリーにあるバラトン湖。ヨーロッパを縦断して起こる皆既日食を見るためである。20世紀最後の皆既日食、1999年8月のことだった。
 皆既日食を見ることのできる地域というのは、ごく限られた場所になる。地図の上にサインペンで線を引いたような細い地域、ここに行くのである。太陽が南中する前後に皆既日食が起こる場所が最もよいので、ハンガリーやトルコへのツアーが旅行会社各社で用意されていた。問題は、その土地の天候である。8月のその土地は、どの程度晴れるのか。
 僕は天候が悪くて日食を見ることができなかった場合に備え、観光が充実しているハンガリー行きを選んだ。それでもカメラを持ってゆくことはどうでもよかった。皆既日食のコロナは自分の眼で見るに限る、と思っていたし、写真を撮ること自体にちょっとあきていたのだ。せいぜい、いつものマキナ67と数本のフィルムがあればいいだろう、と。
 旅行の申し込みをする日を前後して、ふと持っていたカメラ雑誌を手に取った。ステレオカメラか・・・このとき、僕はステレオカメラについてはほとんど知識がなかった。撮影に失敗しないよう一度に2枚を撮るものだ、昔のフィルムは質が悪かったんだろうなんて勝手な想像を膨らませていたこともある・・・立体写真が撮れるカメラか。面白いかもしれない。
 どんなものだろうと少し興味が涌いてきたので、とりあえず中古カメラ店に行ってみる。いくつかあるじゃないか。珍しいものだと思っていたのだが。ふと見ると、簡単なビュアーにスライドをセットしたものが置いてあった。これを覗いてみて、自分の感覚が大きく変わった。これだ。ハンガリーに持ってゆくカメラはこれがいい。いや、これで撮影旅行をするのだ。当初の皆既日食を見に行く、という目的が、ほんの少し変わってゆく感じがした。(つづく)
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投稿者 J_Sekiguchi : 2010年12月02日 10:00

ミッドセンチュリー 

 古い車が好きである。街中でとっても古い車が走っていると嬉しくなる。フォルクスワーゲンのカルマンギアなんて、本気で中古車を買ってみようかと思ったこともある。こんなことを言うとカメラも含めて懐古趣味なんだろ、と指摘されそうなんだが。別に古いものならなんでも好きというわけじゃない。ただ、車に関してはやっぱり‘50sのデザインが好きなんである。
 景気の動向と車のデザインには相関があると聞いたことがあるが、景気との相関はともかく、その時代に受け入れられるスタイルというものがある。‘50sに流行ったテールフィンなんかも好きなデザインだ。
 この時代にはミッドセンチュリーといわれるデザインがあって、宇宙的とか近未来的といったデザインの製品が多く作られた。流線型のボディにニキシー管表示の電卓とか、カプセル型のボディにフリップを使ったいわゆるパタパタ時計とか。デザインの奇抜さと、使われているパーツの古さのアンマッチが今になると面白い組み合わせに見える。
 そんな感じでカメラのデザインに目を向けると、あんまりモダンなのが無いよな。リアリストなんか四角だし。そのほかのステレオカメラにしても、全体的な印象からすると平凡に見える。やっぱりビューマスター・パーソナルとか、ステレオVividなんかがデザイン的には一番、ミッドセンチュリー・モダンなのかな。
 カメラは何とか自分でメンテナンスができるし、仮に壊れても命にかかわる問題にはならない。だけど車となると別だ。車検もあるし、修理や部品の調達にもお金がかかる。そんな苦労を考えると、古すぎる車に手を出すことに躊躇する。自分の家にガレージがある環境と、休みのたびに工具を持って整備するところまで好きじゃないと続かない。
 古い車に乗るのは諦めたが、クラシックカメラは小さな机一つ分のガレージで済むので今のところ続いている。
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投稿者 sekiguchi : 2010年08月20日 10:00

神楽奉納

 広島に来て気がついたのが、この土地の人々は氏神様を大事にしているのだなぁ、ということ。祭りの時期が近づくと、あちこちに「捧寄進」と書かれたのぼりが立つ。各家々には御幣と呼ばれる紙垂を沢山付けた縄が張られる。いよいよ秋の大祭が始まるのだなあという雰囲気が町中に広がるのだ。大祭には縁日の屋台が並び、神輿が出て町内を練り歩き、最後には神社への奉納の儀式が行われる。この儀式、神社ごとに異なるようで、それぞれを見て回るのも面白い。
 神輿が練り歩くといっても、有名な祭りに見られる大勢の男衆が威勢よく担ぐ神輿ではなく、小さな神輿か山車を子供たちが引いて家々を回るという感じ。笛や太鼓、鬼の面を被った男衆が一緒に回ることもある。子供たちは鬼を怖がったりからかったり。そんな様子を眺めるのも楽しい。小さくとも、地域に根付いた祭りならではの味わいがある。
 さて、大祭前日の前夜祭が圧巻なので紹介しよう。神社の境内で行われる奉納の中でも、神楽の奉納がすばらしい。この神楽、一般的な神楽のイメージとは大きく違う。中国地方には伝統的な石見神楽が伝わっており、今でも沢山の神楽団がある。この神楽団を呼んで奉納をするわけだが、娯楽性に富んだ演目がいくつも演じられ集まった人々を楽しませる。
 子供たちに大人気なのが「恵比寿舞」だ。中盤で餅やお菓子をばら撒くので皆興奮状態になる。つづく「塵輪(じんりん)」では豪華な衣装に身を包み、大きな鬼の面を被った演者が登場する。あまりの迫力に、こんどは泣き出す子供も出る。最後には「八岐大蛇(やまたのおろち)」が披露され、大蛇がいくつも登場し舞台を埋め尽くす。これには本当に圧倒される。
 この神楽、日が暮れてから始まり、夜遅くまで続いた。テンポのよい神楽のお囃子がいつまでも山にこだましていた。都市化が進んで失われてゆく文化も多い。生活が便利になろうと、こういう文化はいつまでも残って欲しいものだ。

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投稿者 sekiguchi : 2010年08月13日 10:00

そっぽヒマワリ

◆みなさーん。こっちを向いてくださーい。
◇イヤですよー。
◆そんなこと言わないでくださいよ。こっちを向いてくださーい。
◇イヤですよーだ。
◆ちょっとぐらいイイじゃないですか。じゃあ、真ん中の人だけでも。
◇なんでアタシなの。イヤですよー。
◆写真を撮りますから。きれいに撮りますから。
◇そんな恥ずかしい。イヤですよー。
◆何でみんなあっちのほうばっかり見てるんですか。
◇だってお日様がすきなんだモン。
◆こっちのほうを見てくれたってイイじゃないですか。
◇イヤだったらイヤですよーだ。
◆わたしのことキライですか?
◇だいっキラーい。
・・・あのね、ヒマワリは自分で向きを変えられないの。

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投稿者 sekiguchi : 2010年08月06日 10:00

変色

 今はもう中古のステレオカメラを買うこともなくなった。いろいろ手に入ったのでお腹いっぱい。くれると言われれば喜んで貰うかもしれないが、中古屋巡りをして新しいアイテムをわざわざ探すという行為はここ数年していない。熱が下がってきたのかとも思ったが、物欲が治まっただけでステレオ熱が冷めたわけではない。
 リアリストは同じモデルを2台も持っていたりで、改めて数えたら10台もあった。これだけあると順番に使うのも大変。気分で使い分けるのもいいけど、フィルムを使い切らないで別のカメラを使い出すと混乱が始まる。カメラになじんでくると、手に持った重さの感触でフィルムが入っているかが分かるという話を聞いたことがある。が、いくらなんでもそうはいかない。カメラを使うときはいつも、巻き戻しノブを回してみてフィルムが入っているかどうかを確かめることにしている。
 そんなある日、ノブを回してみるとカラのはずなのにフィルムが入っている。何だろう?思い出そうとしても思い出せない。とりあえず残りのコマを適当に撮影して現像に出してみる。仕上がりを見て驚いた。なんと、2年以上前のものだった。
 何かの用事で夏のシーズンも去った後の新島に行ったときのものだ。適当にスナップしたのだが、大して思い入れも無かったのでそのままにしておいたのだ。島から帰って棚の上に置いたまま、別のカメラに興味が移ってそのまんま。明るい場所に置いてあったからごくわずかな光漏れが蓄積されたのだろうか。そんな光線引きの生じたコマもある。
 露光したフィルムをあまりにも長時間放置しておくと、潜像がだんだんと薄れ、ついには何も写っていない状態になるのだが、このフィルムはそこまでいかなかった。だが、全体に赤みが強い変色を生じていた。それでも使えそうなコマをマウントし観賞してみると、撮影したときの記憶がよみがえってきた。記憶は変色しないから、この赤味はとても気に障る。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月30日 10:00

金魚ちょうちん祭り

 山口県といえば下関のふぐ、ふぐちょうちんのイメージだが、似たような形のちょうちんで金魚ちょうちんというのもあるというのを知った。なんともかわいらしいちょうちんである。いったいどこのものだろうと調べると、柳井市に古くから伝わるもので、8月には祭りがあるという。町中にこのちょうちんが飾られるという。
 そんな楽しそうな祭りなら、一度行って見なければならん。というわけで、ステレオカメラをお供に出かけた。柳井市の大通りには屋台が立ち並び、多くの人であふれかえっている。一方で古い町並みが残されており、ここに一歩踏み入れると子どものころに遊んだ路地裏の雰囲気がよみがえってくる。家々の軒先には金魚ちょうちんが並んでいて、大通りとは趣の異なる、昔の素朴な祭りの風景が広がっていた。
 撮影するのも忘れて散策していると、古くから構えているふうの商店があった。入ってみると醤油屋さんである。柳井市は甘露醤油という独特の醤油が名産であるとか。店の中は昔の雰囲気そのままで、あちこち見入ってしまう。天井には金魚ちょうちんが吊るしてある。店の方にお願いして、店内を撮らせてもらった。醤油を一瓶購入し店を出たが、ここは間違いなくこのカメラより古い歴史を持っている。醤油屋だけでなく、文具店とか理髪店、土産物屋でさえ旧家のままで、その造りを活かしながら使われている。
 夕刻になるにつれ、祭り客が増えてきた。金魚ちょうちんに明かりが灯り、祭りの雰囲気が盛り上がる。デジタル一眼レフと三脚を抱えたおじさん達の集団があちこちで目に付く。このところ、写真を趣味にしている人が増えているような気がする。だけどフィルムで撮影している人は誰もいない。ステレオで撮影している人も誰もいない。それが寂しいかというとそうでもない。時代がどのように流れようと、残るものは自然と残っていくような気がする。この街並みのように。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月23日 10:00

古代ハス

 ハスの花はどこか神秘的な雰囲気がある。仏様が座る台座にもハスの花がデザインされているからだろうか。大きく優雅で、触れてはいけないような雰囲気を漂わせる。この花、受粉すると種を作るのだが、ラッパのような形をした実が熟し始めると茎が大きく伸びてくる。中には大振りの種が並んでいて、美しい花に比べると奇妙な形をしている。
 この中の種、一般には「ハスの実」と呼ばれ食用になる。結構おいしいらしい。で、この種は他の植物の種に比べると皮が厚く、保存状態次第で長い期間にわたって発芽能力を維持することができる。ハスは底に泥が厚く堆積した水辺で繁殖するが、種がこの泥の中に埋まり、酸素から遮断した状態に置かれると、何百年も発芽能力を維持したまま生き残るらしい。
 そんなハスの種が地中から発掘され、発芽したのが昭和27年。世界的な話題になったという。その古代ハスが株分けされ、各地で花を咲かせているという話をだいぶ前に聞いたのを思い出した。どうせハスの花を観賞するなら古代ハスを観に行こうと決め、茨城県古河市にステレオカメラを持って早朝に出かけた。ハスの花は朝開き、午後には閉じてしまうからだ。
 到着すると大きな蓮池がある。これが全て一粒の種から生まれた子孫か、と驚くほどに繁茂している。朝も早いというのにもう観に来ている人がちらほら。失敗したのは脚立を持ってこなかった。奥のほうまで見渡すことができない。
 奥のほうの花を見るために池の中に入ってゆくわけにも行かない。撮影するだけなら長い棒の先にカメラを付けてみるか。でもどうやって付ける?シャッターはどうやって押すの??そんなどうにもならないことをあれこれ考えているとフラストレーションが蓄積する(笑)。そんなこっちの思いなど関係無しに、ハスの花は優雅に咲いていた。これが2000年間眠っていた種から生まれた子孫であるとは。生命というのはなんと不思議な存在であろうか。なむなむ。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月20日 10:00

SLに乗ろう

 えすえる。スチーム・ロコモーティブ。蒸気機関車である。僕はもうおじさんの年代だが、子どもの頃にSLが走っていたわけじゃない。だけど、蒸気機関車を見るととても懐かしく思えてしまうのはなぜだろう。SLは電車とは違って、遠いどこかの知らない土地に連れて行ってくれる乗り物というイメージがある。思えば、貨物列車の最後部に車掌車が付いていたころ、あの車掌車に乗ったらやっぱりどこか知らない土地に行けるような気がして、一度でいいから乗ってみたいと思っていた。因みに車掌車というのは貨物列車の後部ブレーキの役目も持っていたらしく、ブレーキ制御が高度になった現代では車掌車は廃止されている。この車掌車というのも機関車同様に黒く塗装されていて、イメージが似ている。
 車掌車を見なくなってずいぶん経つが、SLは一部の区間で今も運転されている。観光のために復活したものだが、それでも嬉しいものである。夏の盛り、山口線に臨時列車として運行されているやまぐち号に家族そろって乗ることにした。事前に予約が必要とのことで、近所の「みどりの窓口」で手続をしておいた。特急扱い、全席指定である。実は動いているSLを見るのははじめてであった。動かないSLならその辺の公園なんかにも置いてあるが、遠くからヘッドライトを点け、煙を吐きながら近づいてくるのは迫力が違う。駅舎にゆっくりと近づいてくる。ああ、コイツはまさに生きているのだ。
 客車の中も昔のまま。冷房も効いていて快適だが、電車とは違うリズムが聞こえる。同じレールなのになぜだろう。なぜか気持ちが落ち着く。このまま、どこか遠くの土地まで行ってしまいそうである。さて、旅行のスケジュールの関係もあって終点の手前で下車する。やまぐち号とここでお別れだ。小さく見えなくなるまで見送ったが、実は終点まで行きたくなかったのだ。それは、もうここで終わりなんだと実感してしまうから。想像の中では、彼は知らない土地をいつまでも走っている。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月16日 10:00

なんだこれは

 デジタルカメラの天敵はホコリだそうである。レンズ交換のたびに撮像素子に降り注ぐ、塵やホコリがとてもいけないんだそうだ。で、ユーザーで掃除をすることができない厄介なものだという。意外だね。そんなこと常識じゃないかと言われるかもしれないが、僕は機械カメラしか使わないからデジタルのことはほとんど知らないのだ。それにしても、デジカメではホコリがそれほど厄介だとは本当に思いもしなかった。フィルムの場合は常に新しい面が出てくるからホコリの影響はまずない。
 そんな風にのんきに構えていたら、マウント作業のときに画像に異常があることがわかった。右画面の左下に、おかしな影が映っている。蜘蛛のような変な形。撮影のときにレンズの前にゴミでもあったんだろう、と思っていたが、多くのコマで同じように写っている。別の日に撮影した、別のリールのフィルムでも同じように写っている。
 これはカメラ内部に何かあるとひらめいた。画面の左下ということは、カメラ内部では上下さかさまの映像になっているから・・・おそらく右上の角に何かある!もしかしたら蜘蛛が巣を作っているのかもしれない。さて、どのカメラで撮ったのか。記憶をたどると、今まさにフィルムが入っているリアリストだった。途中までの撮影枚数をメモして、ゆっくりフィルムを巻き戻す。フィルムをはずして、まさにこの位置という場所を恐る恐る覗き込む。
 なんと、そこにあったのは蜘蛛ではなく、毛玉だった。たぶんフィルムをセットするときに、袖口に当たったかして毛玉がくっついたんだろう。それにしても、フィルムを変えた時にも気がつかなかったとは。
 フィルムをセットするときには確認をしなければならない。当たり前のことに気がついた。幸い、毛玉は簡単に取り除くことができた。蜘蛛が巣を作っていなくて、ホントウによかった。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月06日 10:00

花火を見よう

 打ち上げ花火は、星と呼ばれる火薬玉の集合体を、球状にまとめたものを打ち上げる。だから上空では球状に展開しているのだ。遠くにあるので平面的に見えるが、巨大な球の形に広がっている。これを確かめるには巨人の視点で眺めるとよくわかる。2台のカメラを使ってステレオベースを数mのレベルで広げた撮影がこれを実現してくれる。巨人の視点で見た、大きく広がった花火を縮小化して立体視するというものだ。ハイパーステレオと呼ばれている。
 僕はこのようなハイパーステレオ撮影をやったことがない。やり方はわかるのだけど、実際に大勢の花火見学客がいる中で2台のカメラをセッティングする体力がない(笑)。ステレオクラブの例会で、メンバーが撮ったステレオ花火を鑑賞させてもらったが、実にすばらしい。色とりどりの光跡が球状に展開しているのが手に取るようにわかる。
 見せてもらうとやりたくなるのだが、いまだに実現できていない。僕にとって花火観賞は、ビールを右手、イカ焼きを左手に持つのが常である。これではとても2台のカメラをセットして、構図と同期を見計らって撮るという余裕がない(笑)。それでもイカ焼きを食べた後の左手には余裕ができるので、リアリストのシャッターを押すぐらいはできる。
 そういうわけで、ハイパーステレオにはならないけど花火の写真をちょっとだけ撮影した。面白い仕上がりにするため、花火見物客を入れて立体的にしてみた。広島の宮島水中花火大会では、海面で展開する花火が迫力満点だ。これならシルエットがうまく出る。みんな三脚を立てて撮影しているが、僕はスローシャッターにしてあえて手持ち撮影だ。おでこホールドなら1/2secまでブレない自信がある。少々酔ってはいるが、呼吸を整えて花火が展開するタイミングにあわせてシャッターを押す。機械式のカメラはレスポンスがいい。

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投稿者 sekiguchi : 2010年07月02日 10:00

水準器

 ステレオ撮影をするときは水平にすること。と、よく言われる。立体視するには水平にすることが大事なんです。と説明されることもある。コダックステレオとか、ステレオVivid、ビューマスターパーソナルなんかにはビューファインダーで確認できる水準器を内蔵しているものもある。でも、本当に水平にして撮らなきゃいけないんだろうか?
 水準器を内蔵しているそのほかのカメラといえば、レンズがスイングするパノラマカメラがある。これは、左右を水平にするだけではなく、俯仰角の水平も確認できる水準器が付いている。なぜかといえば、この方式のカメラは画面が大きく歪むので、水平から外れると写真の雰囲気がまったく変わってしまう。たとえば、カメラを水平にして風景を撮ると、地平線が直線に記録されるので違和感が無い。しかし、カメラを上に向けると地平線が凸形に変形するし、下を向けると逆にへこむ。作画を意識して歪ませるものオモシロイが、そうでないならば厳密に水平にせねばならぬ。ビューファインダーだけではこの「厳密に」というところが難しいので水準器が内蔵されている、というわけだ。
 ステレオでは、わざわざカメラを傾けて撮ることは少ないだろう。画面が傾いても画面が歪むわけではないし、少しぐらい水平じゃなくても不自然に見えるわけではない。そんなわけで、僕は水準器が付いていようといまいと完全に無視して使っている。でも、初めのころは水平にして撮らなければイケナイんじゃないかと思い、リアリスト用に売られていた後付の水準器をebayで購入したことがある。純正のものではなく、後発のアイデア商品だ。取り付けてみると、ビューファインダーの画面が大きく狭まって見えづらいことこの上ない。こんなものイラナイ。もっといいものができるはず、とバラバラにしてみたが、水準器の必要がないことがわかったので今もバラバラのままだ。

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△撮影したときと同じに、見上げる姿勢でビュアーを覗くと臨場感が出る。

投稿者 sekiguchi : 2010年06月29日 10:00

おまつり

 僕はお祭りが大好きだ。神輿を担ぐのが好きとかいう分野じゃなくて、夜店を見て歩くのが好きなのだ。白熱電球で照らされた駄菓子やおもちゃが、いつもとは違ってキラキラと光っている。今ではずいぶんと減ってしまった駄菓子屋も同じように好きなんだが、楽しみの傾向としては同じなのかもしれない。
 ただ、僕が子供の頃に比べると夜店のスタイルもずいぶんと変わってしまった。最近の夜店は食べ物を扱う店が圧倒的に多い。金魚すくいは定番として生き残っているものの、射的や輪投げなんていうのもあまり見かけなくなった。夏祭りなら鈴虫や蛍を売る店、吊り忍と風鈴なんていうのがあったのに今では見ない。七味唐辛子の口上売りというのもない。子供の頃は唐辛子なんて無縁だったが、大人になったら好きな風味にブレンドしてもらおうという夢も遠いものになった。
 それでも夜店を見て歩くのは楽しい。夜店の定番、綿菓子屋やお面屋も健在だ。大人になってビールを片手に散策するというのもいものだ。浴衣に下駄履きでリアリストを首から下げる。一眼レフじゃなくてレンジファインダーというところがポイント。クラシックであるというところもポイント。このときだけは撮影はおまけ。気が向いたときだけ、ちょっとだけ撮る。ビールを右手、イカ焼きを左手に持っていたのではカメラの操作もうまく出来るわけがない、というわけだ。
 さて、子供と一緒に祭りに出かけるようになって気がついた。そうか、昔の夜店は子供達の視点で楽しめるようになっていたのだ。子供達が欲しがるようなものがこれでもかというぐらいに並べてあった。こづかいを握りしめながら次は何を買おうかと迷ったものだ。夜店のスタイルが変わってしまったのは、子供たちの興味の対象が大きく変わってしまったことも理由にあるのだろう。ゲームばっかりやっていないで、こういう楽しみもあるよ。おじさんになった僕は、今そう思う。

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投稿者 sekiguchi : 2010年06月25日 10:00

目の錯覚

 リアリスト・レッドボタンビュアーを使って、池に浮かぶ睡蓮の花のスライドを見ていて気がついた。平面のはずの池の水面が湾曲している。言葉で表現するのが難しいんだけど、画面の真ん中が膨らんで見える。ちょうど、大きなボールの表面のように池が湾曲して見える。睡蓮の花はしっかり立体で見えている。マウントの仕方が悪かったのだろうか。
 こんな現象は聞いたことがないのであわてた。自分の視力もとうとう限界に来たかと落胆もした。でも待てよ、とビュアーの目幅調整をしてみる。フォーカスがずれるので合わせ直すと、立体感はそのままで今度は池がへこんで見えるではないか。ということは、ちょうど良い目幅ポイントがあるはずだ。というわけで目幅を合わせると自然な池の水面が現れた。
 今まで、ビュアーの目幅調整なんておまけ程度と考えていた。実際、目幅の調整をしたところで立体感に差はない。これは、画面の湾曲を調整するために必要なものだったのだ。こんな現象が起きる理由についてはわからないが、たぶん左右の画面の中心とレンズの光軸、目の角度のズレによって錯覚が起きるのだろう。この現象について気がついている人は少ない。ステレオで撮影したスライドをただ鑑賞しても、被写体によっては感じにくいからだろう。
 試しに、いくつかのスライドを用意して画面の湾曲を意識して鑑賞すると、画面の湾曲が気になってくる。目幅を調整して鑑賞しないと気分がしっくりこない。意識しているか否かで感じる似たような現象に「ステレオは書き割りのように見える」というのがある。僕もステレオを始めたころは被写体によってカキワリのように見えることがあった。でも、慣れてくるとカキワリに見えなくなってしまった。頭脳というのはマコトに不思議なもので、順応というすばらしいものを持っている。このために気がつかないでいることがあったり、錯覚を起こしていることもある。という話。

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投稿者 sekiguchi : 2010年06月22日 10:00

トマソン物件

 昔、TVのタモリ倶楽部でやっていた「東京トワイライトゾーン」のコーナーが好きだった。なんでこんなものが存在するのだ?という、街中にある奇妙な物件を紹介するというもの。一つの通りの中にマンホールが異常に多く存在する「マンホール銀座」とか、住宅の2階の壁面に唐突に設けられた蛇口とか、記憶に深く突き刺さっているものが多い。毎回楽しみにしていたのだが、終了してからだいぶ経つ。500円札を知らない世代には、何のことだかわからないだろう。
 録画したものなどないので確かめようがないが、あのコーナーを担当されていた久住さんか滝本さんが首からぶら下げていた奇妙なカメラ、あれはスレテオカメラではなかったか?久住さんが赤瀬川さんの本に登場しているのを発見し、このコーナーがトマソン、路上観察に深く関係している、と気がついたのはコーナーが終了してだいぶ後になった頃だった。
 そんなわけで、僕もトマソンというかトワイライトゾーン的な物件を観察するのは好きである。ステレオカメラをぶら下げて散策しているときも、トマソン物件がないかとつい探してしまう。でも、自分でそういう物件を探し出すというのはあまり得意ではない。見つけようと思う時に限って見つからない。ぼんやり歩いているときの方が遭遇しやすいが、これは!?と思うものがあってもなか記録に残せない。いざとなると、こんなもの本当に面白いかなぁ、と考え始めてしまうのだ。
 そんなぼんやりとしていたある日。とある海岸の駐車場である。海水浴のシーズンも終わるという頃。駐車している車が少ないナーと思ったら、不審車が一台。だが、これを一台と呼ぶべきかどうか。ハッチバックの後の扉だけなんである。扉だけ置いてあるなら不法廃棄の自動車と同じであるが、これにはちゃんとナンバーが付いている。邪魔だからと、勝手にどかしたりしてはいけない。どうしてもどかしたいなら、警察に電話してレッカー車を呼ばなければならない。

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投稿者 sekiguchi : 2010年06月18日 10:00

地下鉄

都市の地下深くに張り巡らされた迷路。どこまでも続く迷路。
暗く、曲がりくねった道が縦横に走る。地上の明かりは届くすべもない。
壁からは地下水が少しずつ染み出ている。暗く、暗く、湿った臭い。
ここには昼も夜もない。夏も冬もない。闇があるだけ。
もしかしたら。
闇の中に誰か隠れていませんか。
世の中が嫌になってこんなところに隠れていませんか。
おーい。出ておいで。
僕は地下鉄に乗って窓の外を覗き込む。そこには暗い闇しか見えない。
もしかしたら。
おーい。出ておいで。
心の中で声をかけてみる。
だけど、窓には自分の姿が映って見えるだけだった。
君も地下鉄に乗ってみませんか。
彼を探してみませんか。

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投稿者 sekiguchi : 2010年06月08日 10:00

除虫菊の里

 夏が近づくと、あのいやな虫、蚊が飛び回る。奴らはほんの少しの水溜りさえあれば繁殖する。バケツに水を入れて外に放置しておこうものなら、ボウフラがたくさん涌いてくる。それにしても、奴らはどうやって冬を越しているんだろう。
 蚊を退治するのに今ではいろいろと殺虫成分を配合した商品が売っているが、僕らの世代で馴染み深いのはやはり蚊取り線香だろう。少々煙たいが、ブタを模った線香置きなど趣深い。線香の渦巻き型、昔は手でこねた線香のモトをひも状にして巻いて形作った。燃焼時間を長くする工夫だという。この線香のモトに、蚊が嫌う殺虫成分を錬り込んであるというわけだ。
 蚊取り線香のパッケージには菊がデザインされている。そういえば子供の頃、蚊取り線香には菊が練り込んであると聞いた。だから強烈に濃い緑色なのか、と納得したのを思い出す。だけど、仏壇の線香も含めて、線香は緑色が普通だったじゃないか。やはり、なぜ緑?・・・まあ、それはさておき、練り込んでいる菊は普通の菊ではなく、殺虫成分を多く含む除虫菊であるということを最近になって知った。今は大量生産のために合成された殺虫成分が使われているが、今でも昔ながらの蚊取り線香がある。
 この除虫菊の花畑が瀬戸内海の因島で見られるという。5月ごろが見ごろだというので行ってみた。日の当たる斜面を利用して除虫菊が植えられている。小さな白い花が一面に広がっていて美しい。こういう花畑を立体写真にすると面白い。立体で見ると、一つ一つの花が分離して、どの花も主張しているように見える。これが線香になるとは想像もつかない。
 それにしても瀬戸内海というのはいつ行っても波が穏やかだ。静かな海に小さな島々が浮かぶ。風は穏やかで波の音もせず、海はまるで大きな湖のようだ。ふと見上げれば、除虫菊の咲く丘から島々を結ぶ吊り橋が見える。これだけ美しい風景がありながら、派手な観光地にならずに島の暮らしが残っている。のんびりと海からの風を身に浴びるのが心地よい。

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投稿者 sekiguchi : 2010年05月14日 10:00

対馬 

 たまたまある用事で、対馬に行くことになった。九州と朝鮮半島のあいだにある南北に細長く伸びる島。あらためて地図をよく見ると、朝鮮半島と九州のちょうど真ん中辺りに位置していて、朝鮮半島までは50kmほどしか離れていない。地理的な関係から、大陸との交易の拠点になったであろう事は歴史を調べるまでもなく容易に想像できる。
 日帰りの用事であったが、時間的に余裕があったので万松院に行ってみた。ここは約400年前に対馬藩主である宗家が建立した寺であるという。ここでいろいろ聞いたのが、宗家は当時の朝鮮王朝との交易で中心的な存在であり、重要な役割を持ってそれに仕えたこと、山手には代々の墓が建立されていて、墓所の内部には財宝が隠されている、とか。また、その墓は朝鮮王朝の文化を取り入れた朝鮮様式であるとか、墓石が重すぎて墓荒らしの盗賊が途中で諦めた跡がある、とか。
 墓所までの階段には和風の灯篭が並んでおり、ここ全体が朝鮮との折衷様式になっているという。そんな話を聞きながら、やっぱり僕は歴史が得意じゃないと思い知らされた。この辺の歴史は学校でも習ったのだろうが、ちっとも憶えていない。
 せっかく立ち寄ったのだから、階段を登って宗家の墓所にお参りに行ってみた。驚いたのは墓所の周りに杉の巨木が並んでいる。木の勢いも良く、幹が太い。これだけ大きな杉というのも珍しい。おそらく樹齢は1000年を超えているのではないだろうか。万松院が建立された以前からここにいたに違いない。
 日が暮れる前には島を後にしたのだが、昼食の定食で出た刺身が最高においしかったのを思い出す。泊りであるなら、夕食には刺身の舟盛をオーダーしたことだろう。対馬海流が流れるこの島は、漁場として最高の場所にある。とびきり鮮度のいい魚が手に入るのだろう。次に行く機会があったら、極上の刺身醤油を持ち込んで旬の魚を存分に味わう、と決めている。

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投稿者 sekiguchi : 2010年05月11日 10:00

鍾乳洞探検

 一度でいいから行ってみたかった、山口県の秋芳洞。図鑑で見る秋芳洞の千枚皿や、巨大な鍾乳石は、平面の写真でありながら不思議な雰囲気と美しさを伝えてくた。人間の手が一切加えられていない、自然の力のみで作られた神秘の世界。これを間近で見たらどんなに素晴しいだろう。少年のころの思いがやっとかなう時が来た。洞窟に一歩入ると、不思議な世界が広がる。
 これをステレオ撮影するために、リアリストに大型のストロボをセットすることにした。大型といってもガイドナンバー36だからそんなに大きいわけじゃない。でも、最近のカメラ内蔵型のストロボが当たり前に見えてくると、なんとも巨大なものに見えてくる。このストロボはパナソニックがまだナショナルだったころのもので、海外にも大いに輸出されたもの。国内で販売されていたものを持っていたが、シューの部分が破損したので同じものをebayで手に入れたのだ。
 さて、鍾乳洞とか洞窟というものは、年間を通じて気温があまり変化しない。夏場だとひんやりと涼しい。しかし湿度は異常に高い。天井からも水滴がポタリと落ちてくる。この水滴が鍾乳洞の中の神秘的な造形を生み出したモトなんである。水滴の中の成分が不思議な造形を作っている。
 しかしこの湿度、電気製品には酷な環境だろう、と思っていた矢先にストロボが発光しなくなった。マズイ!と思っていたら内部から破裂音がしていやな臭いが。。。ああ、またコンデンサーのヤツが!!
 これ以上使っていたら何が起こるかわからない。電池を抜いてバッグに放り込む。しかし鍾乳洞の中に照明があるものの、撮影には暗すぎる。ううむ。ストロボ無しではどうにもならない。しばらくの後、もう一度だめもとで電池を入れてみた・・・おおっ。動くぢゃぁないか。購入した相手の英国人は長年使っていなかったのだろう。中にホコリでも溜まり、それが湿気を吸い、高電圧がかかってショートしたのかも。というわけで、ちょっとビビリながらであったが、無事神秘の世界の撮影を終えた。

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投稿者 sekiguchi : 2010年04月30日 10:00

飛行機を見に行こう

 世の中に交通機関は数あれど、空を飛ぶものは乗ることはあっても手が触れるような間近で見ることは少ないだろう。空港に行って旅客機を見ることはできても、エンジンの中を覗き込んだりすることはできない。でも、航空機を展示している場所だったらできるのではないか。そう、自衛隊の一般公開がこんな望みをかなえてくれる。航空機だから航空自衛隊かというと、空自は飛行展示がメインであり、着陸している機体には近づけない。陸自は車輌がメインで、航空機となるとヘリコプターが若干展示されるのみ。ヘリもいいけどやっぱりジェット機がいい。となるとお勧めなのが海自の下総基地だ。
 ここは海上自衛隊の直轄部隊であり、教育航空集団を構成する組織なのだ。航空機に係わる隊員たちの教育を行っている。ここも他の駐屯地と同様、記念行事として年に一回の一般公開をしている。戦闘機こそはないものの、様々な用途の航空機が集まり、展示されている。これがまた、手に触れることができるほどに間近で見ることができる。もちろん、オ手ヲ触レナイデクダサイとういことなんだけど。ステレオで撮影すると、本当に触れることができるのではという感じが伝わるかな。ヘリコプターのプロペラなんかはステレオで撮ると面白い。マウントのときに、わざとステレオウインドウより手前になるように左右画面を調整する。そうすると「飛び出る」ステレオ写真になる。これはオモシロイよ。
 航空機を眺めるだけでなく、基地内では様々なイベントが実施されるのでこれを見るのも楽しい。時間の経つのもあっという間で終わりの時刻になり、そろそろ引き上げようかという頃。名残惜しいなぁと思っていたら、展示の航空機達が順番に飛び立ち、元の所属に帰ってゆくではないか。さっきまで近くで見ていた機体が飛び立ってゆくのである。これには感動した。バンクで翼を振り、去ってゆく。やっぱり、航空機は飛んでゆくところを見送らねばしっくりこないものだ

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投稿者 sekiguchi : 2010年04月16日 10:00

ロケット基地の見学

 日本のロケット打ち上げ場は2箇所ある。鹿児島県の大隈半島にある内之浦宇宙空間観測所と種子島宇宙センターだ。どちらもだいぶ前に見学に行ったのだが、内之浦のほうは撮影をしなかった。してはいけなかったのか、勝手に遠慮したのか覚えていないが、普通は入れない施設の中も見せていただいた。古い建物の片隅にニキシー管表示の制御装置か何かがあってとても興味深いものがあった。日本ではじめて人工衛星を打ち上げ「おおすみ」と名付けたのは、打ち上げ場所のあるこの半島の名前から取っている。その頃の装置かと思うようなものが置いてある一方で、別棟では最新の電子機器が使われている。小ぢんまりとした感じでありながら、日本の宇宙開発の歴史を感じさせてくれる場所である。
 種子島に渡って、宇宙センターではH-Ⅱロケットの発射台を見学した。内之浦の固体ロケットとは違い、大型の液体燃料ロケットを発射する場所であるため発射台にも工夫がある。ロケット噴射を受け止める部分はコンクリート製の大きな水槽になっていて、燃焼ガスの威力を受け止める仕組になっている。実際にロケットがセットされていれば相当な迫力であろう。発射台だけでも、ここから宇宙に飛び立つのに必要な多くの課題を克服するための工夫が盛り込まれている。
 さて、種子島といえば鉄砲伝来の島である。異国の技術を基にしているとはいえ、日本の鍛造技術があってこそ鉄砲を国内で作ることができたのだ。今でも種子島には昔からの鍛冶屋さんがおり、鋏などの製造をしている。鋏を一丁購入させていただき、作業の様子を見学させていただいた。ふいごの炭火で真っ赤に加熱された鋼を、ハンマーでたたいて命を吹き込む。硬い刃先と持ち手の鋼をつなぎ合わせる。あわせ面に硼砂と砂鉄を混ぜたものを挟むそうである。ハンマーをひと振り。飛び散る火の粉が美しい。物造りの素晴しさを感じる一瞬である。

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投稿者 sekiguchi : 2010年04月09日 10:00

逆ステレオ

 マウントのとき、左右の画面を間違えてセットすると凹凸が逆になった妙なステレオ写真ができてしまう。左右を間違えなくても、フィルムの裏と表を間違えても同じことが起きる。完全に貼り付けてから気がつくと、マウントをはがしてやり直さなければならないから大変だ。大事なフィルムに傷がついてしまうこともある。
 左右を間違えないようにという意味で、ステレオカメラの画面には切り欠きが付いていることがある。リアリストの場合だと、右側画面の下(フィルムだと上下が逆になるから上)に台形のくぼみが付いている。でも、実際に撮影したフィルムではこのマークは見えにくい。僕はマウント作業のときにこのマークをあてにせず、フィルムのコマナンバーの大小で左右の確認をしている。ただ、作業の時には画像が逆になる位置でセット作業をするので、コマナンバーは逆文字で見なければならない。うっかりするとフィルムの裏表を間違えてセットしてしまうことがたまにある。
 話は変わり、山の中で咲いている桜の撮影に行ったことがある。公園に咲いている桜とは違い、人の手が入っていないから樹高が高い。低い位置に枝が伸びていないので、桜の花は遥か頭上にある。おまけに足元は膝ぐらいまで伸びた雑草でいっぱい。見上げた姿勢で撮影するしかなかった。これをマウントして鑑賞すると、やっぱり花が遠くて面白みが無い。
 何枚かマウントしているときに間違って逆ステレオにしてしまった。ところが、桜の花が近くに飛び出して見える。ちょっと変わった感じの写真になったが、密集した木々の葉枝を背景に桜の花が手前に見える。普通にマウントすると地味に背景に埋もれてしまう花が、よりきれいに見えるではないか。これは面白い。マウントをやり直すことなくそのまま仕上げた。逆ステレオの使い方として新しい発見をした気分だ。積極的に使えるワザでもないが、こんな効果もあるんだというお話でした。

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これは平行法でご覧下さい。

投稿者 sekiguchi : 2010年03月30日 10:00

一本桜

 春といえば桜。なじみの深いのはソメイヨシノ。いっせいに開花するので桜前線が北上して・・・というようなニュースを毎年聞かされる。ソメイヨシノというのは栽培種であり、人間が手を加えて品種改良し、全国に広めていったものである。では、品種改良したのならそのモトとなった桜は?といえは、山に咲く山桜である。山桜と一口に言っても亜種が多く、その木特有の花を咲かせたりする。ソメイヨシノより早く咲くものもあれば、だいぶ後になって咲くものもある。
 山里には古い山桜が大事に残されていて、巨樹となり、その地域の一本桜として有名になっている場合がある。天然記念物に指定されているものもある。広島県の比婆山脈にある山里に、こうした一本桜で有名なところが3箇所ある。それぞれ車で20分圏内に隣接しているから、開花の時期がうまく合えば1日で3箇所を巡ることが出来る。最近はこうした一本桜巡りがブームなのか、見に行く人も多いので桜の周りに囲いがしてある。根を踏みつけると木が傷むからである。どれも樹齢が数百年と推定される貴重なものだから、毎年花を咲かせてくれるよう配慮してあげねばならぬ。
 3本のどの桜も見事だが、千鳥別尺の山桜と呼ばれるものは視界が開けている中にドンと立っている。のんびりと花見をするのにちょうどいい。樹高が高く、周りが刈り取ったあとの田になっているので、囲いの外で弁当を広げても木の全体が見渡せる。ちょうど近くの田では田植えの前の代掻き作業をしていて、水を張った水田に大きく桜が写っている。夕刻までのんびりしていると、対面の山から満月が昇ってきた。水田に満月が映える。こういった幻想的な風景は写真に残すのがとても難しい。イメージ通りにはなかなか撮れないものだ。
 こういった風景はいつまでも失われること無く残って欲しいと思う。

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                                         木の根本に小さなほこらがある

投稿者 sekiguchi : 2010年03月26日 10:00

火星大接近

 今から約6年半前の2003年8月に火星が地球に大接近した。地球も火星も太陽の周りを楕円軌道で回っているから、あるところで大きく近づくことがあるのだ。このときはマスコミも大きく報道し、各地の公開天文台は見学客でにぎわった。僕も大きな望遠鏡のある天文台に出かけ、約5600万km彼方の火星の姿を見せてもらった。地球に大接近した火星はマイナス2等級ぐらい。望遠鏡で拡大すると赤く輝く円盤に、微かな模様が浮かび上がる。
 にわかに天文熱が出始め、情報を収集すると9月9日には月に近づいて見えるという。これは距離が近づくという意味ではなく、見かけ上の位置が近づくということ。角度で6分まで近づいて見えるというではないか。明るく輝く火星は、満月に近い月に近づいても霞むことなく見えるし、望遠レンズを使って両方を同一画面に写すこともできるだろう。
 ところで、星は地球の自転によって東から西に移動して見える。月も同じように動くが、月は地球の周りを回っているので、この分だけ移動する速さが違う。厳密に言えば、火星も太陽の周りを回っているから、恒星とはわずかに移動する早さが違うのだ。この辺の詳しい話はやめておく。火星と月の間隔が時間とともに変わるということだ。というわけで、一眼レフに350mmの望遠レンズを付け、三脚に固定してわずかな露出で撮影した。時間を置いてもう一回撮影。これをステレオペアに見立ててマウントすると、間隔の変化が視差と同じように働く。月の奥に火星が輝く立体写真が完成した。
 わざわざ立体にしなくてもよいではないか、という声も聞こえてきそうであるが、ちょっとやってみたかったのである。空を見上げたときには月に火星が接近するように見えるが、これは見かけ上のことであって、実は相当な距離があるのだ、という写真にしたかったのだ・・・大きな望遠鏡で撮影した写真でやったら、もっと面白かったかもしれない。

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投稿者 sekiguchi : 2010年03月19日 10:00

下北再び

 シモキタと言っても下北沢じゃないよ。本州の最北、下北半島である。最近は大間のマグロ一本釣りでTVに登場したりするが、他にも見所がいろいろある。前に恐山の話を書いたが、その後、寒さが和らいだ季節に再び行く機会があった。その話。
 この半島は本当に不思議な形をしている。マサカリの柄の部分は両側を海に囲まれた南北に伸びる陸地なのだが、たとえば羽田発-千歳行きの飛行機に乗るとこの上空をまっすぐ通り、その地形を観察することができる。東側は太平洋の荒波、西側は湖のように静かな陸奥湾に挟まれている。この海に挟まれた土地には菜の花の耕作面積が日本一の横浜町がある。春先には菜の花がいっせいに花開く。上空から見ると黄色いモザイクが一面に広がって美しい。
 今回は三沢空港からレンタカーを借り、太平洋側の道を北上した。菜の花畑は実に広大で、どこまでも黄色いじゅうたんが広がっている。ステレオ写真というのは、ハイパーステレオにしない限り遠景の立体感は出ないのであるが、こういう手前から奥まで花畑というような状況なら臨場感があるのではないかという気がしていた。スライドに仕上げると広大な風景がビュアーの奥に広がるではないか。さて、モニターでどこまで再現できるか。。。それにしても本当に広い菜の花畑だ。
 黄色一面を堪能し、さらに北上すると、鳴り砂のある海岸があり、さらに北上して最先端まで行くと尻屋崎という岬にたどり着く。ここには天然記念物の寒立馬と呼ばれる野生馬がいる。ずんぐりとした体形がかわいらしい。野生といっても管理された放牧環境にある。岬には灯台があり、海と灯台と馬という不思議なコントラストの風景がここにあるのだ。
 さて、陸奥湾の名物はホタテである。ここのホタテは大きくて味が良い。残念ながらこの時期は旬をやや過ぎていた。代わりに乾物のホタテを味わうと、これが実に旨い。ビュアー片手に土産の乾物ホタテで酒が進んでしまうではないか。

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投稿者 sekiguchi : 2010年03月05日 10:00

測距儀

 リアリストのレンジファインダーはミリタリータイプだと以前に書いたことがある。戦場で砲撃をするには、まず標的までの距離を測る。この距離に弾丸が落ちるように調節して弾丸を発射する。どうやって調節するかというと、弾丸が飛ぶ速度と砲の仰角で調整する。砲によっては射撃のたびに火薬の量を調節し、弾丸が飛ぶ速度を変えられるものもある。
 そんなわけで、戦場では目標物までの距離というのは重要な情報で、レーダとかレーザー光線を使った距離計で計測をする。光学機器としては測距儀があり、現代では射撃には使わず、僚艦との距離を測ることなどに使われる。
 このレンジファインダーの親分みたいな機械、海上自衛隊が行う観艦式で見ることができる。昔、運よく観艦式の予行に参加する艦船に乗船できた。横須賀港を出航し、各方面から来た艦船と相模湾で合流。縦一列になって進んでゆく。このきっちり並んで進むことは高度の操艦技術が必要だという。ここでも測距儀が使われることだろう。
 航空機の観閲、艦艇の観閲、訓練展示と続き、一連の行事を終えるとまた一列になって港に帰る。帰る頃になると、艦内のあちこちを見学させてもらうことができた。ブリッジの近くに周囲が見渡せる見張り台のようなものがあって、ここに測距儀が置いてあった。アイピースを覗き込むとリアリストと同じように上下に分割した像が見える。ダイヤルを回すと像が動く。先を行く艦艇のマストに合わせてみる。ゆっくりと、カメラでフォーカスをあわせるようにダイヤルを回す。
 ちょうどマストの像がきっちりと合った。ダイヤルの数値を見ると1kmほどだったろうか。基線長が長いのでこのぐらいの距離のものでも正確に測定できる。こういうのがあれば距離を測るのに便利だ。でも、なんに使うの??・・・おお、そうだ、ハイパーステレオを撮るときに使ったら相当便利じゃないかな。ね、使えそうですよね、関谷サン。

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投稿者 sekiguchi : 2010年03月02日 10:00